疑念

「そのひとが、トム・・を保護したんです。あたしはそのひとに命令されて、こうして屋根の上に連れてきただけ。そのほうが見つけやすいだろうから、って」


 フレデリカはきびきびとした口調で、そう説明してくれた。


 確かに『そのひと』の言う通り、人目につかぬよう屋根に登ってくれていて助かった。お陰で、霧になった状態で真っ直ぐここまで来れたのだから。

 それに、どうやらラスティは『トム』という偽名を使ったらしい。馬鹿で間抜けなヤツだと思っていたが、意外に機転が利くようだ。


 また、今までラスティの気配が掴めなかった理由がようやく判明した。

 フレデリカの雇用主である『そのひと』が、なんらかの理由で、気配を不明瞭にする術を使っていたのだろう。

 だからこそ、その傍にいたラスティの居場所も曖昧なものとなっていたに違いない。『そのひと』から離れたことで術の範囲外へ出たのだ。


 必ずしもそうとは限らないが、おおよそ間違いないだろう。謎が解けてさっぱりした。


「そうか。その御方にお礼を言いたいのだが、まだこの街にいるようだったら、案内してもらえるかな」


 しかしフレデリカは、上を向いて『うーん』と呻った。


「お心遣いに感謝します。でも、面倒な事情を抱えたひとなので、会いたがらないかもしれません」


 少女の物言いは、呆れたようなふうだった。雇用主への忠義はあまり高くないようだ。


「そうか……」


 まぁ、気配を隠さねばならぬような事情を抱える人物なのだから、仕方ない。

 そう思ったところで、エドマンドはと気付いた。まさか考え過ぎだろうと己に言い聞かせつつも、表情が強張り、鼓動がわずかに早まった。


「フレデリカ」


 改まった声で少女に呼び掛ける。動揺がにじまぬよう努めたが、上手くできたかはわからない。


「はい、なんでしょう?」


 愛想よく答え、首をかしげるフレデリカ。エドマンドはその緑色の目を真っ直ぐ見た。


「やはりどうしても、君の奉公先のかたに礼を言いたい。もしその方がこのトムを保護してくださらなければ、どうなっていたかわからない。だからこそ、このまま侘びも入れずに去るのはとても心苦しい。手間をかけて申し訳ないが、その方に対面の許可を取って来てもらえないだろうか」


 懇請こんせいすると、少女は恐縮したように眉尻を下げた。


「まあ、ご丁寧に……。お気持ち、受け取りました。あたしの手間なんて大したことありません。ただちに確認を取って参ります」

「すまない、頼むよ」

「はい、こんな屋根の上で申し訳ありませんが、少々お待ちください」


 大仕事を任されたかのように胸を張って、フレデリカは霧になり、風と共に流れていった。だが――。


「おいおい……あれは……」


 エドマンドは嘆かずにいられなかった。シェリルを見遣ると、彼女も信じられないものを見るように目を見開いている。


 フレデリカは、完全に霧になれていなかった。長い栗色の髪が半分ほどそのまま。風に飛ばされた洗濯物のように、空中を浮遊していた。

 あんな未熟な娘を奉公に出すなんて、フレデリカの主人の気が知れない。いや、もしかすると、未熟ゆえに他者へ預け、鍛錬している最中なのかもしれない。ぜひともそうであって欲しい。


 少女の髪は、やがて見えなくなった。存外遠くからやってきたようだ。


「子犬のように可愛らしい子でしたが、危なっかしいですわね」


 シェリルがぼやく。しかし、『お姉さま』と呼ばれた歓喜の炎はまだ胸にくすぶっているらしく、両頬を押さえてニヤニヤしていた。


「俺もシェリルのこと『お姉さま』って呼ぼうか?」


 ラスティが揶揄し、シェリルは笑いながら手の平を振る。


「結構ですわ! こんな大きな弟分はいりません。でも、たまに呼ぶくらいでしたら……」

「おお、いつでも呼んでやる」


 すべてがすっかり解決したかのように戯れ合う二人に、エドマンドは峻厳な声をかけた。


「喜ぶのはまだ早い!」


 二人はびくりと硬直し、エドマンドを見た。シェリルに対しては怯えさせて申し訳ないと感じるが、もう一方に対しては苛立つ限りだ。


「おい、赤毛!」


 まなじりをつり上げて乱暴に呼びかけると、ラスティはびくりと肩を震わせた。


「お前を保護した人物は、長髪だったか?」


 唐突な質問にラスティは小首をかしげたが、素直に答えた。


「ああ、女みたいに長ーい髪をしていた」


 ということは、その者は男性ということか。


「では、華奢な体躯をしていたか? 中性的な容貌だったか? 見ようによっては、女性にも見えた?」


 矢継ぎ早の質問に、傍らのシェリルが強い動揺を見せた。『エド……』となにか言いかけたが、結局口を閉じた。

 一方のラスティは不可解そうに眉をひそめていたが、ぶんぶんと頭を横に振る。


「いや、違う。違うよ。俺を保護してくれたひとは、そんな見た目はしていなかった。あんたみたいに綺麗な顔立ちだったが、明らかに男だった」

「そうか……」


 エドマンドはうつむいて考え込む。フレデリカの雇用主こそ連続殺人事件の犯人ではないかとわずかな疑念を抱いたのだが、考えすぎだろうか。


 噂では犯人は、『長髪をなびかせた、男とも女ともつかない、美しい若者』だというから、ラスティの話を聞く限りでは当て嵌まらない。

 それに、フレデリカのような天真爛漫な娘が、連続殺人を犯すような外道に仕えているとは到底思えなかった。思いたくなかった。


 しかし、ヴィオレットだって普段は明らかに女性で、性別が不明瞭になるのは男装して『獲物』を物色するときだけ。だからこそ、まだ疑いを晴らすわけにはいかない。もしフレデリカがこのまま戻らなければ、ますます怪しい。

 やましいことがあるなら、エドマンド他のカルミラの民に会うことを厭って街から立ち去るだろう。

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