最初の儀式はつつがなく

 満面の笑みを浮かべるヴィオレットに見惚れていると、優しいキスが額や頬に振ってきた。

 耳にまでそれが及び、くすぐったさに耐えていたら、痛みが生じるほどに噛み付かれる。

 背中に回された手が、するりと背筋を撫でていく。跨られたままさらに腰を寄せられて、肉体が強く密着した。


 とても官能的な行為をされているはずなのに、邪念が表に出てくることはなかった。ただひたすらに心地よく、ただ一途に愛おしい。

 衝動的にヴィオレットの腰を抱くと、少女のようにクスッと笑われた。そして、くちびる同士が重なった。


 女が為すことをこちらも返し、やがて二人の息が合ってくる。

 互いの腕が互いの身体を拘束し、半身がくまなく凝着ぎょうちゃくした。


 しんとした寝室に、男女が情を交わす音だけが響く。蝋燭の明かりの域外では、闇が息をひそめて二人の契りを見守っているようだった。


 やがて、ヴィオレットが顔を離し、熱烈な愛の交歓は一時中断となる。

 一体どれほどの時間、夢中になっていたかわからない。膝の上に乗るヴィオレットの肉体が、己の一部になってしまったかのようだった。


 窓の外を一瞥すると、まだ暗い。夜の女神が館に戻るのはまだまだ先のようだ。けれど今日くらいは、たっぷりと寄り道をしてくれたらいいのにと思う。


「ラス」


 ひどく熱い声で女が囁く。


「次は、一息に貫け。多少の痛苦になら、私も耐える」


 黒髪を後ろへ払い、白い首筋を見せつけてきた。


首筋そこじゃないと、ダメなのか?」


 逸る気持ちを抑えるよう、何気なく尋ねると、ヴィオレットは呆れたように笑った。


首筋ここでなければ、抱き締められない」

「……ああ、そうだな」


 至極、納得のいく答えだった。

 ラスティは、ヴィオレットの滑らかな肌に口内の尖鋭せんえいを突き立てた。今度はためらわず、深部までを一気に穿つ。


「――ッ」


 今度の苦鳴のあとには、ヒステリックな怒声も打擲ちょうちゃくもやってこない。


「っ……ああ……」


 女の声にはやがて色艶いろつやが混じり、それ一色に染まる。

 湧き出してきた甘露を啜ると、ヴィオレットの背が弓なりに反った。逃すまいと抱き寄せ、さらに強く皮膚を吸う。


 全身に力が満ち、今まで漠然と感じていた口渇感が癒えていく。

 すると、『これ以上飲むのはやめておこう』と理性が制止をかけた。しかし、今度は本能が『もっと獲物をなぶれ』と主張を始めた。


 深々と沈めた牙を半分以上抜き、肉の浅い部分に新たな傷をつけた。牙を抜かない限り、痛みが生じることはないと直感でわかったからだ。

 すでにヴィオレットの肉体は、ラスティの『力』に支配され、咬傷こうしょうに悦楽を覚えるようになっているようだ。


 ヴィオレットが深く喘いだ。ラスティの身体に爪を立て、煽情的な抗議をする。

 それから、反らせた喉で小さく笑う。


「それで、いい。ただの食事で……終わらせるな」


 弟子の成長を喜ぶ師のような物言いだが、合間合間に愉悦の吐息が混ざっていた。


「……お前はもう、一端いっぱしの『超越者』だ」


 見事、女王のお墨付きを得たというわけだ。

 どうやら最初の儀式は、つつがなく終了したらしい。ラスティはそっと口を離し、残った血を丁寧に舐めとった。


 ヴィオレットもラスティから離れると、寝台にどさりと身を預けた。まるで卒倒するような動作だったため、ラスティは驚き、うろたえる。


「だ、大丈夫か?」


 失血症状が出るほど飲んだ自覚はないが、なにぶん初めてのことだったし、不具合があったのかもしれない。女の目は、虚ろだった。


「……ああ、こういうことか」


 独り言のようにヴィオレットはつぶやく。


「私が今までしてきたのは、こういうことだったのね」

「ヴィー?」


 また女の瞳が潤む。けれど、そこにあるのは哀しみの色ではなかった。やがて、ふっと笑声をこぼした。


「なんでもない。――では、寝るぞ」


 ヴィオレットはもぞもぞと這い、枕の方へ頭を向けた。


「ああ……お、おやすみ……?」


 寝るから部屋へ帰れ、ということかと思ったが、どうも違うような気がする。だって、ヴィオレットは枕の位置をずらしてから、掛布をまくり上げたまま停止している。


 しかしそこに潜り込んでいいものか。言動を誤れば、きっとまたぶん殴られる。

 戸惑っていると、眉根にしわを寄せたヴィオレットがわずかな怒気を飛ばしてきた。


「たわけ。愛でた女を放って去るとは、不埒千万ふらちせんばん

「えっ、ああっ……? い、いいのか?」


 上擦った声で尋ねたが、ヴィオレットの返事はない。ただ、無言の威圧感を放っている。どうやら、女にこれ以上言わせるな、ということらしい。

 機嫌を損ねぬよう、慌てて靴を脱いでベッドの上へ上がりこむ。


 勢いのままヴィオレットの隣へやって来ると、途端に蝋燭の炎がすべて消え、室内に闇が満ち満ちた。それがカルミラの民の力の一端だと、ラスティは感覚的に理解する。

 便利なものだ、と感心していると、ふわりと掛布をまとわされた。わずかに惑ったが、おずおずとその場に身を横たえる。


 すると、すかさずヴィオレットがしがみ付いてきた。優しい花の香りに、ラスティの心臓は高鳴る。

 さんざんキスをして、血も吸わせてもらったのに、たかだか同衾どうきんでここまで緊張するとは思わなかった。


「鼓動がうるさい。鎮めろ」

「無茶言うなよ」


 無体な要求に反論すると、女は少女のようにクスクス笑った。ラスティも自然と口元を緩める。


「ラス……お前は温かいな」


 ヴィオレットは芋虫のように身体を丸め、ラスティの胸の中に顔を埋めてきた。


「あの部屋は片づけさせる。……今日から、私を温めながら寝ろ」

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