吸血鬼と呼んではいけない

 入室してきたのは、メイド服の少女だった。男を見て、大きな目を限界まで見開いたあと、ぱちくりとまばたきしながら歩み寄ってくる。


「お目覚めになったのですね」


 それは男に対してではなく、女への語りかけだった。


「今起きたのよ。頭は意外としゃんとしてるわ」

「第一声はなんと?」

「『ありがとう』と言ったわ」


 途端、メイドはしたり顔をした。


「ほら、ヴィオレット様。『これは夢か』なんてことは言わなかったでしょう。夢とうつつたがえるなんて、物語の中だけの虚構ですわ」

「そうね、シェリルは賢いわ」


 女はメイドを引き寄せると、その頬にちゅっと音を立てて口づけた。メイドはわずかに顔を赤らめ、さも嬉しそうに身をくねらせる。

 女二人の戯れ合いを見せつけられた男は、目のやり場を失くし、再度天井を仰いだ。


「お水、飲みますか?」


 メイドの柔らかい問いかけは、今度こそ男へ向けられたものだった。思いのほか飢えも乾きも覚えていなかったが、せっかくの厚意、ありがたく受け取ろうと思う。


「ありがとう、可愛いメイドさん」


 軽い賛辞ともに礼を言うと、メイドは『あら』と頬を押さえた。


「口の上手い殿方は信頼できませんね」

「本当のことだけど」


 そう、この少女はとても可憐だ。顔立ちはもちろんのこと、声や態度から、朗らかな人柄が伝わってくる。つい、もっと褒めたくなるような。それは本人が醸し出す魅力だ。


「では、水をお持ちしますね」


 メイドがにこにこしながら退室していくと、寝台の傍らに座す女が憤然と息を吐き出した。


「お前、私のものを口説くとは良い度胸だな」


 形の良い眉を歪め、あからさまに怒っている。その不機嫌な顔さえ麗しく、男は言わずにいられなかった。


「……あんたは、うつくしいな」


 柔らかい寝具に埋もれたまま、女の美貌を陶然と見つめる。


「この世のものとは思えないほど、きれいだ。あんたみたいな人に命を救われて、俺はこの気持ちをどう表現したらいいかわからない」


 嘘偽りない素直な気持ちを告げると、女は虚を突かれたような表情をしてから、どこか困ったようにそっぽを向いた。

 よくわからないが、照れているわけではないようだ。女心は難しい、というやつか。


 メイドが盆に水と器を載せてやって来てから、男はようやく上体を起こした。

 『不死の霊薬』で傷が癒えたものだとばかり思っていたが、腹の中がシクシクと痛み、眩暈めまいも起こった。

 せっかく持ってきてくれた水も、数口で受け付けなくなった。喘ぎながらベッドへ横たわると、それだけでずいぶん楽になる。

 すると、メイドがハンカチで口元を拭いてくれた。その懇切丁寧な献身に面映ゆさを感じ、緩んだ笑みを浮かべてしまう。それが、女には不愉快だったようだ。


「ふん、外見は無事でも、肉体はまだ不完全か」


 と吐き捨てられる。


「……そうみたいだな」


 男はシャツの袖で額の汗を拭う。今さら気付けば、衣服も清潔な木綿のものに着替えさせられていた。


「それで、俺の身体にはどんなことが起こった? そして、あんたらは一体何者なんだ?」


 核心を尋ねると、女とメイドは顔を見合わせる。なにかアイコンタクトをしたあと、口を開いたのはメイドだった。


「カルミラの民、という名を聞いたことはありませんか?」

「……え? そりゃ、おとぎ話で何度かあるけど……。え、ええ?」


 男は、女とメイドの顔を交互に見る。


「あんたら、『吸血鬼』なのか」


 するとメイドが苦い顔をして首を横に振り、女は眉間にたっぷりしわを寄せた。


「その呼び方は二度とするな」


 冷え冷えとした警句。吸血鬼と呼ぶことのなにがいけないのかわからないが、男は二度と言うまいと決意した。

 素直に反省の態度を示したことにより、女の表情が和らぎ、説明を開始する。


「お前が死ぬに死ねない、ひどい有様だったから、血を与えて楽にしてやろうと思ったの」

「……え? 『血』?」


 目を見開くと、傍らのメイドが補足してくれた。


「カルミラの民の血液は、人間にとって猛毒なのです。たった一口の摂取で死に至るらしいですよ」

「はぁ……」


 間抜けな返事をすることしかできない。つまり、命を救ってもらったのではなく、トドメを刺されそうになった、ということだろうか。


「けれど、お前は蘇った。本来なら毒であるはずの我々の血を受け入れ――『超越者』としてね」

「ちょう、えつ……?」


 女は獲物をなぶるような微笑を浮かべ、状況を飲み込めずにいる男を脅しつけるように、傲然とした物言いをする。


「そう、それは我々の歴史の中でもほんの一握り。人間がカルミラの民へと――いいえ、それを超越する者へと変容した存在」


 それからにやりと口角をつり上げ、矢継ぎ早に言う。


「お前は、勝率の極めて低い賭けに勝ったのよ。幸運だったわね。いえ、悪運だったのかもしれない。だってお前は人ならざる存在になっ――」

「幸運だよ」


 声にかぶせるように毅然と言うと、女は相当に面食らったようで、口元を引きつらせて言葉を失った。


「俺は死に打ち勝った、ということだろ? それがどんな形であれ」


 そう、男は生きることを切望していた。その願いが叶ったのだ。

 しかもただ蘇っただけではなく、伝承に聞く『吸血鬼』もとい『カルミラの民』という種族に類似した力を手に入れたらしい。

 それが人知を超えた、いわば『化け物』的な存在だとしても、今こうして生きていることがただひたすらに嬉しい。


 改めて湧きあがってきた生への実感に、目頭がじわりと熱くなった。

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