愛だの恋だの

「改めて紹介しておこう。ぼくはエドマンド・イライアス・オルドリッジ。我々『カルミラの民』の中で最も栄えている一族の末っ子さ」

「俺はラスティ。孤児だったから出自は知らない。くたばりかけていたところを、ヴィーに拾われてここにいるだけだ」

「ふぅん」


 エドマンドはこの赤毛の男を見直した。皮肉を込めて『末っ子』と言ったことを察して、ラスティ自身も自虐的な自己紹介にしたのだろう。間抜けとばかり思っていたが、コミュニケーション能力は意外とあるようだ。


 二人がいるのは、朝と同様、応接間。シェリルの淹れてくれたハーブティーを挟んで、ヴィオレットの指示通り交流を試みているところだ。


「ヴィーとは幼馴染でね。この屋敷に住んでいた時期もある」

「……恋人、だったのか?」


 ラスティの声に、嫉妬の色はなかった。ただ、感嘆の念だけがある。


「人間風に言うと、そうなるのだろうね。本来個人主義であるはずの我々が、お互い好意的な感情で共に暮らしていたのだから」


 エドマンドは当時のことを思い出していた。ヴィオレットと連れ添って人間の貴族たちの中に紛れ込み、金持ちを篭絡して贅沢の限りを尽くし、食餌人間を物色し、飽きたらこの屋敷に戻る。

 本当に楽しかった。お互いまだまだ若い個体ではあるが、あの頃がもっとも輝いていた。


 だが、夫婦になり子どもを持とうと言ったら頑なに拒否され大喧嘩になった。幾度『春』――すなわち発情期を迎えようと、ヴィオレットは決して身体を許してくれなかった。

 エドマンド自身、己の子孫を残すことにさほど執着はなかったのでしつこく食い下がることはなかった。ゆえに二人の関係は元に戻ったが、それでも『ある事件』をきっかけに壊れてしまった。


「まぁ、恋人というより親友、悪友とも言えるか。我々は、同族同士であまり愛だの恋だの言わないんだよ」

「え~? それはなんか寂しいな」


 意外なところでラスティは反論した。エドマンドは茶を啜りながら答えてやる。


「我々は基本的にプライドが高く我が強い。利害の一致以外でつるむことは少ない。そもそも夫婦になる個体も少ないんだ」


 そう、カルミラの民は自分のことしか考えない。

 男性は気の強い同族の女を避けて人間に傾倒してばかり。

 女性は母性が薄く妊娠を厭い、発情期の火照りは生殖能力のない従者か、生殖的隔離のある人間で鎮めることが多い。出産を遂げても従者に任せて放置する。

 子どももある程度成長したら、親に縛られることを嫌って早々に独立してしまう。


 夫婦、家族を形成することが稀なのだ。

 ただ、その珍奇な例として、エドマンドの生家オルドリッジ家は一族の中でかなりの繁栄を遂げている。


「俺は、いつか大切な女を見つけて結婚して、幸せな家庭を築くのが夢だったけどな」


 ラスティがぽつりと漏らした言葉に、エドマンドは心の中で冷たく思う。

 ――それは、お前が超越者となった瞬間に泡と化した。それが人外の力を手に入れた者の代償だ。


 しかし、ラスティは声を弾ませる。


「でももう叶った。血は繋がっていないけど、家族は手に入れた」

「なんだと?」


 眉根を寄せたエドマンドの前で、赤毛の男はきらきらと目を輝かせた。


「ヴィーと、シェリル。俺にとって、この二人は守るべき、この世で一番大切な家族になった」

「……!」


 はっと思い至り、エドマンドは思わず口元を押えていた。

 ヴィオレットとシェリルと、この男の間に流れる親密で柔らかい空気。それは、ラスティと同じ気持ちを、女二人が抱いているからではないだろうか。


 喰うものと喰われるもの、支配者と被支配者。絶対的な関係を、この男は『家族』と呼ぶというのか。

 とある男は、それの関係を『奴隷』だと唾棄し、憎悪したというのに。


「ええと……エドマンド……さん?」


 思考に没頭するエドマンドへと、ラスティが声をかけてきた。おずおずと付加された『さん』という敬称が妙にむず痒く、エドマンドはくちびるを震わせたあと、嘆息とともに頭を振る。


「いや、気安くエドマンドと呼べばいいさ。曲がりなりにも、お前は我々の同胞になったのだから」

「へぇ、超越者っていうからには、とんでもないナニカになっちまったのかと思ってたけど、要するにヴィーやあんたらと同じようなもんか」

「……むぅ」


 ラスティの物言いに対し、エドマンドは小さく呻った。『あんた』という呼びかけは気に食わないが、この男に『あなた』や『君』と言われるのも気色悪いか。

 気を取り直して、解説してやる。


「まぁ、伝承によれば、始祖ラウラは数人の超越者たちとの間に子を成していて、それが我々の源流らしい。すなわちぼくたちの中にも超越者の血が流れているし、『超越』なんて大層な名前がついてはいるが、『本来は猛毒であるぼくたちの血を飲むことができる』程度の存在だろう。食料の選択肢が一つ多い、くらいに思っておけばいいさ」


 エドマンドは記憶を巡らせるが、カルミラの民の歴史上、超越者がなにか特別なことを仕出かしたという伝承はないはずだ。先ほどラスティを『視た』限りでは、特に強大な力を秘めているようにも感じられなかった。


 従者たちがそうであるように、きちんと修練すれば肉体を霧に変える程度のことはできるようになるだろうが……。


 そこでエドマンドは、ヴィオレットの言葉を思い出した。『ラスにいろいろ教えてやってちょうだい』と。

 あれ、もしかしてヴィオレットは、そこまで教育しろ、と言っているのだろうか。カルミラの民として、『力』の使い方を教えろと?


 エドマンドの顔から血の気が引き、ただでさえ白い頬が蒼白になる。シェリルのような可憐な娘相手ならばやぶさかではないが、こんな男の『教師』になるのはまっぴら御免だ。

 ふとラスティを見遣れば、なにか考えるように上を向いて、口元をわずかに綻ばせていた。


「なにをニヤニヤしているのだ、気色悪い」 


 心の底から湧いてきた感情をぶつけると、ラスティはさらに笑みを強くした。


「いや、子どもができるんだな、と思って」

「は……?」

「超越者っていうのは、カルミラの民との間に子どもができるんだな。そりゃよかった」


 とても目出度いことがあったかのように男は満面の笑みを浮かべた。エドマンドはきょとんとなったが、すぐに激情とともにテーブルを叩いた。


「お前っ、ヴィーとの間に……などと考えてないだろうな!」


 するとラスティは何度もまばたきしながら視線を泳がせた。これは図星というやつだろう。ゆえにエドマンドはさらに白熱した。




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生殖的隔離:複数の生物個体間で、様々な要因により生殖が行えないこと。カルミラの民と人間においては、「遺伝子が異なる」という理由で交配が叶わない。だがこの時代において、彼らはそこまでの理由を知る由もない。

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