(6)dreamer side
何度目かの転居のあと、ナイトのように私の前に現れたのが森下さんだった。出会いは偶然。アパートの近くで起きた傷害事件の聞き込みをしていた森下さんが、うちにも来たんだ。
「お休みのところ申し訳ありません。松端署の森下と申します。情報提供にご協力ください」
礼儀正しい、がっちりした体格の若い刑事さん。テレビドラマとかによく出てくるかっこいい刑事さんとはまるっきりイメージが違ってて、表情が硬くて視線がきつい。受け答えは丁寧だったけど、なんか他人行儀で冷たいなあと感じた。でも森下さんは、戸口で話をしている間、何度も背後を気にしていた。
「あの……どうされました?」
「下に、この部屋の様子をずっとうかがってるやつがいますね」
「!!」
さすが刑事さんだなと思った。それで……ストーカーにつきまとわれてる窮状を相談してみたんだ。森下さんの担当している事件じゃないから、スルーされるかなと思ったんだけど。森下さんは、私の受けてきた被害の経緯とつきまとってるの男の特徴を丁寧に手帳に書き留め、もう一度背後を振り返った。
「被害届を出されてますか?」
「いいえ。かえって犯人を刺激するから、徹底的に無視するのが一番だと交番の方に言われて」
「ちっ!」
鋭い舌打ちの音が廊下に響いた。
「何悠長なこと言ってんだ。警らの連中、ぶったるんでるな」
森下さんは、苛立った様子で何度も背後を振り返った。
「それは逆です。あなたが無視すればするほど、向こうはつけあがる。抵抗されなければ、抵抗するまで強度を上げる。手応えがないと征服する気にならない……それが連中の論理です」
ぱん! ストーカーを威嚇するように音を立てて手帳を畳んだ森下さんは、階下をじっと睨みながら私を急かした。
「付き添います。被害届を出してください。それなら私が表立って動けます」
「あの……ご迷惑では?」
「やつは、もう直接行動に出るタイミングを見計らってる。迷惑だなんだと言ってる場合じゃないです」
ぞっと……した。
◇ ◇ ◇
森下さんはすごかった。ストーカー以上の執念深さで男の身辺情報を全部暴き出して、男が私にしてるのと同じプレッシャーをかけたんだ。おまえの居場所もやらかしていることも全部わかっている、と。私を追い詰めていたはずの犯人は、反対に森下さんに追い詰められていった。
冷静さを失った男は、私が勤めている会社に刃物を持って現れた。森下さんは、男が私への直接行動に出るのをじっと待っていたんだろう。機を逃さず、男を職務質問した。ぶっ殺してやると叫びながら刃物を振り回して暴れた男は、その場で森下さんたちに取り押さえられた。銃刀法違反、殺人未遂での現行犯逮捕。森下さんの警告通りで、私は危うく難を逃れたんだ。
過去にも同様のストーカー行為を繰り返して女性を傷つけていた男は、今回のことで罪が格段に重くなるらしい。間違いなく長期の収監になるだろうと森下さんに聞かされ、ほっと……した。
でも。私はまだ心を緩めることができなかった。今度は、森下さんが私から離れてくれなくなったんだ。
犯人が検挙されるまで、森下さんはストーカーを威嚇するかのように頻繁に私のアパートを見回ってくれた。それはすごくありがたかったんだけど……必ずしも警察の責務だからじゃなく、森下さん個人の思い入れが混じっているように感じたんだ。森下さんは犯人に執着してるんじゃなくて、私に執着してるんじゃないかなって。
森下さんの配慮に感謝している反面、それが本当に下心なしの親切心かどうかわからなくて。私の心理的な負担がかえって重くなってしまった。
その懸念は、犯人が逮捕されてからどんどん膨らむようになった。一件落着したんだからそっとしておいて欲しかったんだけど、森下さんは私のところにしばしば顔を見せるようになったんだ。その後、おかしなことはありませんかって。
もちろん、アフターフォローが職務の一環だってことはわかってる。ストーカーと違って、一日中森下さんの気配を感じるっていうこともない。ちゃんと激務をこなしているんだろう。でも、普通は私からの働きかけがない限りフェイドアウトしていくよね。たまにと言っても森下さんが訪問してくることは、私には心理的圧迫にしかならなかったんだ。
それでも私は、もういいですって森下さんに言えなかった。ものすごくお世話になった森下さんには……言えなかったんだ。心を緩めることができないストレスで、私は誰かにつきまとわれる夢を頻繁に見るようになった。
限界が近かった。私を解放してほしい。お世話になった人を突き飛ばすような断り方はしたくなかったけど、言わないと自分が保たない。ちょうどその時、森下さんから電話がかかってきたんだ。話したいことがあるから、会えないかと。森下さんの話がどんな内容であっても、私はそれで最後にするつもりだった。
◇ ◇ ◇
「!! 森下さん! どうしたんですか!」
私の前に現れた森下さんは、誰かにひどく殴られたのか顔が腫れてぼこぼこになっていた。
森下さんはそのわけを一言も口にせず、無言でアパート近くの小さな公園まで歩いていった。私は慌ててあとを追った。ベンチに並んで腰掛け、森下さんが口を開くのをじっと待った。
「朽木さん。すまん。申し訳ない」
「どうしたんですか?」
「俺は……最低だ」
そのあと。森下さんが泣きながら白状したことは、どうしようもなく衝撃的だった。
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