(3)
「ねえ、森下さん」
「は……い」
「浜崎さんに、責任取って刑事辞めるって言ったんでしょ」
「……」
「そりゃあ殴られるわ。わたしでも殴る」
「おい、ゆめ。どうしてだ?」
慌てたようにお父さんが聞き返した。
「辞めるのは逃げだから。プライドがないやつは刑事やるなって言われたら、普通はちくしょうって奮起してプライド鍛えに行くでしょ」
「ああ」
「それがさあ。すいません、わたしはプライドがないので刑事辞めますって言っちゃう? しかもこれまで指導してくれた上司に対してでしょ? 浜崎さんが激怒するのなんか当たり前だと思う」
「あっちゃあ……」
お父さんが頭を抱えたってことは、会社にもそういうタイプの人がいたってことなんだろなあ。なんだかなあ。
「わたしも、この前部活で村岡先生にこてんぱんにやられたんだ。たった一点すら取れない。あんたたち部活でなにやってんの、だらけすぎ、弱すぎだよって先生に呆れられちゃった」
「ほう?」
「それを、そうですーてきとーですー弱いですーへらへらーじゃあ、練習する意味なんかないじゃん。悔しいって思ったのはわたしだけじゃなかったから、今はみんなぎっちり絞ってるよ」
「なるほど。確かにそれがスジだな」
「でしょ?」
村岡先生がこの前言ったみたいに、自分を支えるしっかりした骨があったらそんな発想にはならないよね。いや、違うか。骨はあっても真っ黒い骨だった。今はそれを抜いちゃったからくらげになってる、の方が近いかも。でも、ごっつい刑事がくらげに退化しちゃうんじゃ論外だよ。
「で、辞めるんですか?」
決めかねているのか、森下さんの答えはしばらく返ってこなかった。わたしは、森下さんがどうしようと知ったこっちゃないよ。だけど何もかもぶん投げて逃げるのは、森下さんのことを親身に案じてる浜崎さんに対しての裏切り行為だ。それは最低だよ。
かなり間があって、森下さんがようやく重い口を開いた。
「今」
「はい」
「私が担当してる案件がいくつかあります。どうするかは……それが山を越してから考えます」
わたしの夢視と同じで、保留かあ。全部投げ出さなかっただけましってことなのかもしれない。わたしが黙り込んでいたら、這いつくばっている森下さんが突然変なことを言い出した。
「すいません。この期に及んで図々しいお願いが……あるんです」
「はあっ!?」
この人、アタマおかしいんじゃない? どんなに謝っても、わたしは絶対許さないよ。あんたのお願いなんて聞くつもりはない。絶対にない! さっさと家の中に入ってドアを閉めたかったけど、後ろにいるお父さんが邪魔で動けない。
わたしがぶすくれていたら、森下さんが土下座をキープしたまま顔だけぐるっと後ろに回した。それで初めて、門の近くに女の人が立ってるのに気づいたんだ。白っぽいコートを着た、すらっと背の高い若い人。美人だけど、雰囲気がすっごく暗い。肩を落としてずっとうつむいている。
「彼女の夢視をってことですか」
「はい」
「あなたの関係者ですか?」
「いいえ。私が担当した事件の、被害者です。事件はもう解決してます」
「どんな、事件?」
「ストーカーです。警告で収束しなかった上に極めて悪質だったので、犯人は逮捕されました」
「じゃあ、もう終わってるじゃないですか。なんで夢視?」
「つけられてる気配を……感じるんだそうです」
「夢で?」
「はい」
「それ、捕まった犯人じゃないんですか?」
「わからないって、言ってます」
うーん。森下さんの関係者の夢視は、絶対に引き受けたくない。自分でも言ってたけど、図々しいにもほどがあるでしょ。人のことをこっぴどく侮辱しといて、手のひら返したみたいにさあ。
でもわたしは、ぎりぎりまで追い詰められているような女の人の雰囲気がすごく気になったんだ。わたしも夢視でそっち系の人に絡んじゃったことがあるから、ストーカーの怖さはよくわかるもん。しょうがない。
「視ますよ。ただしっ!」
「はい」
「森下さんが付き添うならやりません」
「……はい。わかりました」
わかってる? 全然わかってないよ。どうしても自分の謝罪を受け入れてくれっていうのは一方的な押し付け、無理強いなの。森下さんは、そういうところに全然デリカシーがない。わたしは、きっぱり突き放した。
「あのね、森下さん」
「はい」
「あなたは、絶対に許せないっていう強いマイナス感情を知ってる。いや、知り尽くしてるでしょ?」
「ええ」
「わたしがあなたに対して同じ感情を持ってしまったということ。それを、しっかり認識してください」
「……」
「あなたは、わたしを全否定したんです。わたしという存在そのものを! それは殺人と何も変わりません」
「おいおい」
慌ててお父さんが取りなそうとしたけど、全力で拒否する。
「あなたの謝罪を受け入れるつもりは一生ありません。償うつもりがあるなら、その気持ちは他のところで使ってください」
背後で、ふうっというお父さんの吐息が聞こえた。だって、それしかないでしょ?
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