2 壁の穴は壁でふさげ(5)

「邪魔をするぞ、太白」


 高階が腰を上げると、階段を悠々と上ってスーツ姿の長身が現れた。

 土門歳星。

 昨夜のパーティで次期総支配人と紹介された人物だ。高階より背が高く威圧的で、堂々とした人目を惹く男ぶり。全身からも自信があふれている。


「だれも入れるなとバトラーには命じたのですが、歳星」

「許せ。堅物のおまえが、女性とふたりきりで食事というのが珍しくてな」


 ずいぶんと芝居がかった言動だった。昨夜は客の前だからか、まだ丁寧な口調だったのに、いまはプライベートのせいか、堂々というより少々厚かましい。

 と思っていると歳星が目を向けた。あやねはあわてて立ち上がって会釈する。


「ご紹介します。彼女は花籠あやねさん。僕の……」


 高階がいいかけてためらう。だが、すぐにいい切った。


「僕の、結婚相手です」

「……なんだと?」


 歳星は信じられない顔で訊き返す。そこへ追い打ちするように高階は続けた。


「今日から彼女と一緒に、僕の家で暮らします」

「なっ……、いきなりの結婚宣言のうえに同居!? しかも今日から?」


 自信満々の態度もせ、歳星はあからさまにたじろいだ。


「正気か。おまえは高階の次期頭領だぞ、なのに勝手に結婚などと!」

「僕たちふたりが相談して、もう決めたことです」


 ぜんとした太白に、あやねは覚悟を決めて、丁寧に頭を下げた。


「はじめまして、花籠あやねです。このたび高階太白さんと結婚することになりました。土門さんのことはうかがっております。どうぞ、よろしくお願いいたします」

「……ふん、そういうことか」


 歳星は非常にうさんくさげな上から目線を返す。これはますます、いやな感じ。


「マザーコンプレックスか、太白。父親と同じく人間を伴侶に選ぶとは」


 今度はあやねが目を剝く番だった。高階に目をやりそうになるが、そんな事情も知らなかったと思われては怪しまれるだろうと、懸命にこらえる。

 さらに歳星は、鼻で笑うようにこういった。


「もっとも、父親のちようこうのほうが趣味はよかったぞ」


 嫌味なあてこすりに、さすがにあやねもむっとする。

 いやな感じ。いやな感じ。

 平々凡々の容姿だと自覚はしているが、外見で判断するなど、本人の個性や意志をないがしろにする見方だ。いい返したくなるが、初対面も同然の相手にみつくのはさすがに短気だ。だからぐっとこらえる。


「そういう観点だけで彼女を選んだわけではありません」


 高階が冷静に、そしてきっぱりといい返した。


「彼女を侮辱するためにきたのですか。いくら歳星でも許せる発言ではない。用がないなら、彼女と話の途中です。即刻、退出を」


 あやねは高階を見上げる。その表情はとても厳しかった。


〝……どんなトラブルも僕が対処します〟


 先ほどの言葉にうそはない。やっぱり彼は信頼できる。


「そう怒るな。意外だっただけだ。しかしちょうどいい機会だったな」


 歳星が皮肉げにいった。その表情にあやねは不安になる。

 なに、もっと難癖つけるつもり?

 と警戒していると、次の言葉が聞こえた。


「五日後に、ここの家となんよう家の見合いが入っていただろう。その立会人として、ふたり一緒に出ろ。これは総支配人としての命令だ」

「なっ……!?」「え、ええっ? 立会人?」


 あやねと高階は同時に声を上げた。高階がすかさず抗議する。


「お断りします。僕らの結婚について正式な発表はまだです」

「これが手始めだ。正式発表前だが、大事な場なので特別に婚約者と立ち会うと。両家は重要な取引先だ、ご機嫌を取るためには別格扱いが有効だぞ。それに」


 歳星の威圧的な目線が、上からあやねに向けられる。


「高階家の嫁ならば、夫を支えるために、社交的な付き合いで陰からパワーバランスを調整できて当然だ。これくらいのことができん者を、高階の嫁として認めるわけにはいかん。俺だけではなく、ほかの一族の者たちも同じだ」


 あからさまな挑発かつ、挑戦。

 あやねはぐっとこぶしを握る。昔から負けず嫌いの性格だった。挑まれたら応える性分だった。


「いいでしょう、わかりました。出席します」

「花籠さん!?」


 さすがに高階も驚くが、あやねはかまわずいい募った。


「それと、高階家に〝嫁に入る〟つもりはありません。あくまでもわたしは高階さんの配偶者です。彼のパートナーとして、必要な務めを果たすだけです」


 我ながら可愛げがないな、と思ったが相手は客ではない。

 にこやかに対応する必要はないし、毅然とした態度を取らなければ、この先められる一方だ。

 こちらから突っかかりはしなくても、挑まれたらちゃんと受けるんだから。

 そんなあやねを見て、高階は口の端で笑んだが、歳星はかすかに鼻白む。


「必要な務めか。まるで業務だな」


 ぎくり、とあやねの体が強張った。

 鋭い。このひと(ひとかな?)は鋭い!

 さらに歳星は容赦なく突っ込んでくる。


「それに、どういう経緯で出会ったか知らんが、お互いを名字で呼び合うとはずいぶん他人行儀なものだ。とても結婚する仲とは思えん」

「あなたの前だからです」


 高階が反論すると、歳星は問い返す。


「入籍したらどう呼び合うつもりだ」

「それは……事実婚の予定ですから、僕も彼女も姓はそのままのつもりです」

「事実婚? そんな新規で珍奇な価値観を、どこで教え込まれた」

「二年前までは、あなたのもとで学んできました」

「つまらん口答えの仕方を教えた覚えはないぞ」

「あなたの切り返しを間近で見てきただけです」


 対立? けん

 とあやねはドキドキするが、どうも彼らのあいだで皮肉の応酬は日常茶飯事のようだ。

 ふん、と歳星は鼻を鳴らすと、あやねにいった。


「いいだろう。見合いは五日後、このホテルのガーデンラウンジで十二時からだ。着付けのために、朝の九時に迎えをやる」

「着付け? えっ、着物ですか!?」

「みっともない格好で出させるわけにはいかん。高階の名誉にかかわる」


 いちいちむかつく言動だ。

 いやいや、これも仕事。こらえろ、あやね。


「珍しいな、太白。いつものパンケーキじゃないのか」


 歳星が半壊のクロワッサンが載った皿を見ていった。すると高階は、無言で目をそらす。さっきまで負けじといい返していたのに。


「結婚相手にまだ気を許していないようだな。どうなることやら」


 皮肉をひとつ置いて歳星は背を向け、現れたときと同じに堂々とした足取りで去っていった。階下でドアが閉まる音がしたあと、高階が頭を下げる。


「歳星が失礼しました。ああいう性分でも、客の前ではもっと礼儀正しいのですが。さぞ不快だったでしょう。申し訳ない」

「そんな、高階さんが謝る必要はありません。わたしはなにも……」


 気にしてない、といいかけてあやねは思い直す。高階に噓はいいたくない。信頼を預けて仕事をする相手だ。正直に、誠実に相対したかった。


「気にしてないことは、ないです。でも、打たれ強さと負けん気だけはありますので、だいじょうぶです。むしろ、やる気が出ます」

「そうはいっても、不慣れな状況で、無理なことはさせたくありません」

「社交的付き合いに慣れるためにも大事な機会ですよ。それに、わたしひとりじゃなく高階さんも一緒なんですから。とても心強いです」


 あやねの力強い言葉に、高階は目を丸くすると、ふっとまなざしを和らげる。


「わかりました。花籠さんに頼りにされるに値するよう、努めます」


 意外な表情に、あやねは思わず彼をじっと見つめてしまう。

 高階さん、こんな顔もするんだ。

 真面目で冷静で、堅苦しくて、感情を出すほうではないと思ったけれど……でも、いい笑顔だな。


「高階さんこそ、どんとわたしに頼ってくださいね」

「もちろんです。頼りにしています」


 ほのぼのとしたやり取りに、あやねの心が温かくなる。先ほど歳星がもたらしたとげとげした空気が、噓のようだった。


「あの、ところで、思ったのですが」


 小さくせきばらいして、高階はいった。


「歳星の指摘もありましたし、名前で呼び合ったほうがいいのでは」

「ああ、たしかに、ですね。他人行儀と見られるのは、怪しまれますし」

「では、よろしくお願いします。……あやね、さん」

「はい、た、太白、さん」


 ふたりはぎこちなく名前を呼んで、お辞儀をし合う。

 たかが名前呼びで恥ずかしがるなんて、と照れること自体も照れくさい。


「そうだ、九戸家と南陽家のプロフィールをいただけませんか。情報をいただいて、少しでも場を持たせられればと。おふたりの話を取り持てばいいんですよね」

「わかりました。個人の連絡先を交換しましょう。そこにお送りします」


 打てば響くとはこのこと。大きな会社は、上意下達は速やかでも下意上達はもたつくものだ。なのに話の早い太白に、あやねはますます信頼が深くなる。


「あと……同居に当たって必要なものも、使用人に命じて準備します。その、僕にはいいにくいこともあるでしょう。まずは世話役をご紹介します」


 そういって、太白はバトラーを呼びつける。


「あやねさんに紹介しますので、いずみさんをここへ。小泉さんなら、まだあやねさんも抵抗がないはずですから」


 まだ?

 抵抗?

 ってなに?

 含みのある言葉に戸惑っていると、階下でドアが開く音がした。世話役がきたのかと思ったら、まずバトラーが上がってくる。


「小泉さまをお連れいたしました」


 しかしイケオジの背後にはだれもいない。

 と思ったら、足元からするりと三毛猫が顔を出す。

 なぜここに猫? とあやねが眉を寄せると、猫は口を開いた。


「はじめましてですにゃ、小泉ですにゃあ」

「しゃ、しゃべっったああ!?!?」


 あやねは椅子から転げ落ちる。

 猫が! 猫がしゃべった!

 あまりの展開に腰が抜けて、あやねは椅子の陰から立ち上がれない。


「あやねさん、こちらが小泉さんです。小泉さん、彼女が僕の結婚相手の花籠あやねさん。今日から同居しますので、彼女の世話役をお願いできますか」

「太白が結婚? しかもいきなり同居? マジですかにゃ!?」


 やけに砕けた口調で、猫は驚きの声を上げる。


「はあ、突然の話ですにゃあ。まあ、よろしい。小泉が責任持って承るですにゃ。それでは、あやね。今日からこの小泉が面倒見てさしあげますにゃ」


 へたり込むあやねの前に、猫はぴん、と先っぽがふたつに分かれた尻尾を立てて歩んでくる。

 二股尻尾……つまり、この猫さんも、妖かしというわけ?


「小泉の名前の由来は、宮城県もとよしぐんの旧小泉村出身だからですにゃ。特技は主に〝可愛い〟。なので、可愛い小泉さんと呼んでくださいですにゃ!」


 握手をするように、猫は前脚をぺたんとあやねの膝に置く。

 それではっと気づいた。そうだ、もう今日から同居になるわけだ。

 あやねは太白の顔を見上げる。

 改めて、とんでもなく整った顔だった。


 この人間離れした──実際、人間ではないはず──イケメンと、同居。


 ぜったい、ぜったい、寝起きの顔もすっぴんも見せられないっ!

 妖かしなんかよりもっと、あやねは太白との同居におじづいた。だがしかし、すでに契約は交わされたも同然だ。

 逃げ帰ろうにも帰る家はない。


 そうして無情に、無慈悲に、粛々と、太白との同居生活は始まった。



【次回更新は、2019年10月29日(火)予定!】

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