2 壁の穴は壁でふさげ(3)

 現実主義者のあやねは、ビジネスと断言されて納得した。ひとれなどのロマンチックな理由を示されたら、あり得なさで不審感いっぱいになっただろう。


「そして僕は、この地に居をかまえる妖かし一族の次期頭領です」


 いきなり話が現実からファンタジーになった。


「大半の人間は知り得ませんが、古来より日本各地には多くの妖かしがいます。仙台の地にも同様に、正体を隠してひとの姿で暮らしています。実際、この青葉グランドホテルの正社員は、みな妖かしです。取引のある外部の業者や派遣スタッフは人間ですが、僕たちの正体を知る者は、ごくごく一部、ほんのわずかです」


 あまりのファンタジーぶりに、あやねはとっさに受け止められない。でも、昨夜見たあの顔がふたつある女性。あれは夢ではなかったのだ。現実だったのだ。

 忘れていた恐怖がよみがえるが、震えを必死に抑え、あやねは耳を傾ける。


「古来より人間は、おとぎ話と思いつつも、妖かしを恐れています。得体の知れない恐怖の具現化ですからね。そして実際、一部の妖かしには人間を害そうとするものもいる。人間にも犯罪者がいるのと同じ話ですが、しかし、おとぎ話ではなく現実にそんな危険なものがいるなら、根こそぎ排除しようと考えても仕方がない」

「ははあ、はい……」


 吞み込めないまま、あやねは呆然と相づちを打った。


「あなたは東京住まいでしたね。偉大なるおんみようなんこうぼうてんかいが、鬼門封じにより江戸城への〝魔〟の侵攻を防いだという事例は、ご存知ですか」

「いや、あの、そういう系はまったく……」

「そうですか。要するに、妖かし退治専門の陰陽師が古来より存在するのです。そういう厄介なやからと対立するのも体力がいる。そこで、各地には妖かしを統率してまとめる大妖怪がいます。同類や人間に害をなそうとする妖かしを抑え、陰陽師との対立を避け、多くの弱い妖かしを守るために」

「つまりそれが、高階さんの家なわけですね」

「そのとおりです」


 高階はうなずくが、ふと目を落とした。


「しかし僕は若輩者で、その大役を担う技量がまだまだ足りない。そんな折、突然に祖父が引退を決めて各所に通達をしました。事前になんの話もなく、です」

「えっ……ほのめかすくらいもなかったんです?」

「ええ、一言も。少なくとも僕には」


 高階はどこか寂しげな面持ちだった。あやねは同情のおもいがこみ上げる。

 いくら自分を若輩者と思っていても、引退という大きな決定を祖父からなにも聞かされていなかったなら、疎外感があるはずだ。


「高階家は、この地に深く広く根を張り、妖かしたちだけでなく、事情を知る一部の人間たちとも親密なつながりを作り上げてきました。その高階家になにかあれば、人間との共存関係が不安定になるはずです」

「えっ、でしたら急な代替わりは、とても危うい状況では……?」

「そのとおりです。五百年近くものあいだ、高階の頭領としての地位が盤石だったのは、祖父の力量によるものでしたから」


 五百年。

 さすがファンタジーワールド、あやねはいっそう実感が湧かない。

 五百年って、もしかして伊達政宗公より前の時代からってこと?

 つまり政宗公と会った可能性も?

 すごい、友人の『伊達の女』に教えてあげたい。

 半ば現実逃避するあやねに、高階は淡々と説明を続ける。


「その祖父の跡目を継ぐなら、よほどの力量がなければ認められない。歳星なら、祖父の補佐として働いてきた経験と、生来の資質と能力も問題ない。周囲からの圧力に屈しない自信もある。だから僕は納得しています。もっとも」


 高階の顔が曇った。


「そういう僕の消極的な面が、祖父の目にはなおさら甘く、力量不足だと映っていたのでしょう。無理もありませんが」

「えっと、でも……慎重なのは悪いことじゃないと思いますよ」


 あやねは前の会社での失敗を思い出す。

 例のパワハラ上司の一存で、食材の卸売業者が変更になったことがあった。プランナーの業務について以来、お世話になっていた取引先だった。

 変更に強く反対してその上司と対立したが、あやねの強固な反対があだとなって変更は強引に行われた。

 だが直後のパーティで仕入れに不備があり、上司からその失態の責を押しつけられて、結果あやねは退職せざるをえなくなったのだ。

 強硬過ぎた自分の態度を悔やみつつ、あやねは言葉を継ぐ。


「穏便に世代交代を行うために、ワンクッション置くのは有効だと思います。土門さんが総支配人の地位にいるあいだ、高階さんが影響力を伸ばせば、次の交代も、きっとスムーズに行くんじゃないでしょうか」

「花籠さんはポジティブですね。頼もしい」

「そんな、職なし家なしのわたしの状況に比べれば、あはは、は」

「花籠さん!?」


 ずーん、と落ち込んでテーブルに突っ伏すあやねに、高階があわてる。


「すみません、自分でいって落ち込んで。あの、状況はわかりました。ですけれど、それがなぜ、ビジネス結婚の話に?」

「祖父の引退が通達されて以降、僕への縁談話が急増しました」

「ああ、政略結婚的な……」

「それならまだ納得します。地盤を固めるための縁組はありふれたものですから。しかし、そんなわかりやすいものばかりではない」


 あやねが眉をひそめると、高階も形のいい眉をきつく寄せる。


「若輩者の僕と縁組して、高階の利権を乗っ取ろうとする者。高階の弱みを握るために、スパイとして娘を嫁がせようとする者……。なにせ五百年ぶりの世代交代です。これを機にのし上がろうと考える者たちが湧いてきている」

「ははあ……外部からの騒音が大変なわけですね」

「外部だけでなく高階の親族も結婚をと、やかましいのです。頼りない僕を結婚させて、一人前にしようというつもりらしい。結婚しただけで一人前になるなどと、そんな考えは浅慮といわざるを得ません」

「そうですよ!」


 思わずあやねはこぶしでテーブルをたたいた。


「結婚なんかしなくたって一人前になれますよ! だいたい、なんで結婚が一人前の条件になるんですかね? 働いて自分の稼ぎで食べてるだけで、万々歳ってものですよ! ……って、あの、どうも、失礼しました」


 我に返ってしおしおとうなだれるあやねに、高階は小さく笑んだ。


「きちんとご自分の意見を持っている方なのですね。ますます花籠さんにお願いしたいという気持ちが募りました」

「えっ、なぜです……?」


 訊き返すあやねに、高階は冷静に答える。


「慣れない環境でもスキルを発揮できる臨機応変さ。お客さまの要望に応えようとするサービス精神。ホテル業という僕の仕事柄、キャリアのあるあなたなら対外的に疑問を抱かれにくい。なにより観察眼の鋭さと意志の強さは、非常に頼もしい」


 機械のスペックをリストにするように、高階は数え上げた。


「さらにあなたはよそ者で、まったくの部外者だ。高階に取り入ろうと画策する者たちとは無関係です。高階の地盤を守るためにも、跡継ぎとしての力を養うためにも、僕は当面むやみな相手とは結婚できない。しかし、次々と縁談は持ち込まれる」

「はあ……その縁談を断るにも角が立つわけですね」

「はい。青葉グランドホテルの大事な取引先からも話がきていますから」


 ふーむ、とあやねは考え込むと、重々しく口を開いた。


「ご事情は大変よくわかりました。それでは、わたしのほうのメリットは?」

「まず、報酬は月に百万。手取りで、です」



【次回更新は、2019年10月27日(日)予定!】

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