葛藤のディフェンス

 カツカツと、千尋の足音が建物内に響き渡る。

 足を止めると相変わらずな調子で淡々と、

「やぁ、また随分真っ暗な場所を選んだもんだね」


 忍の足下で燃える廃材だけが、月明かりの届かない館内を仄かに照らしあげていた。

「別に? ちょっと肌寒くなってきちまったからな。焚き火で暖を取ってただけさ」

 言って、忍が身構える。


「ヒヒヒ……そうかい? そういやぁハンターの姿が見えねぇが……」

 千尋の居る場所からでは、明かりの元にいる忍の姿しか確認出来ない。

 もしかしたら暗がりの中に隠れているのかもしれないが……


「ああ、アイツはお前との戦いじゃ役に立たねぇからな。ちょいと外に応援を呼びに言ってもらってるよ」

「……あ?」

 忍の寝言の様な言葉に千尋は眉根を寄せ、ゆっくりと忍へと歩み寄る。


「ほら、お前が信じてなかった神様ってやつをよ、呼んできてもらおうかって。神様同士で話し合ってくれや」

「ちょっとちょっと、何勝手な事してんのよ? 何で俺達の戦いにカンケーないヤツが介入してくんの?」

 ゆっくりゆっくり、一歩ずつ。


 一方の忍は至って真面目な面持ちで、

「いやぁ……お前強いからよ。それにお前が神様になるってんなら、現神様をぶっ倒してからにしないと、神様が二人存在する事になっちまうだろ?」

「をいをいをいをい……マジか……?」


 千尋との距離がある程度縮まったその時。

 忍はニヤリと微笑み、

「ああ、嘘だ」

 一瞬にして地面を蹴った。


「ハッ……何テンション上げてんのか知らねぇけど、あんまバカな事は考えねぇこったなぁあッ!」

 忍の速さに腕一本のハンディを感じさせる事なく対応する千尋。

 振り向きざまに衝撃波を放出する。


 この暗さの中俊敏な動きを見せる忍に、千尋の攻撃は当たらない。


「まず、一回目ぇっ!」


 そんな千尋の死角から忍の声が轟く。

 また壁を割るつもりだろうと瞬間的に判断した千尋は、その声の方へと振り向き後退する。


 所詮腕一本分のリーチなど一度避けてしまえば恐れるに足らない。

 腕を伸ばし無防備になった所で、確実に衝撃波をお見舞いしてやろう。


 千尋は暗闇の中に手を翳す。

 さっき蓄積した最大級の衝撃波を。


 とりあえず、この戦いに於いて一番厄介なのは絶対防御を突破してくる使い魔なのは間違いない。

 ハンターは死ななかったが、使い魔まで死なないなんて事はないだろう。

 使い魔さえ潰してしまえば、後は何とでもなる。

 千尋の顔が無意識に歪む。


 しかし、


「悪い、今のも嘘だ(笑)」

 暗がりの中、再び無防備な背後から忍の声が聞こえたと思った次の瞬間――――


 パリィン――――

「な……ん……」

 千尋の体を纏っていた無色透明の壁は、背後から破壊された。


 ――――ブラフ。


 さっきの声は千尋の意識を引くためのフェイクだったのだ。

 この真っ暗闇の中だ、動きが微塵も把握出来なかった。何より、死闘の真っ最中によくもぬけぬけと嘘なんて。


 結果的に壁を壊されたのは事実。

 千尋は大きく舌打ちし、背後の存在へと振り返る。


「いやぁ、悪いね。生まれつきこの口の悪さには俺自身困っててよ。しっかし、この土壇場でちゃんと貫通技が発動してくれて良かったぜ。まだ発動条件わかんねぇからよ。さっきみたく不発だったらどうしようと不安だったんだ。唯一お前に対抗出来る力なのにさ」

「クソッタレがぁッ……」


 息を荒げる千尋に、更なる悲劇が襲いかかる。


 突如として左腕にはしる激痛。

 何かが千尋の左腕を、胴体から切り離したのだ。


「……ッ!!」

 千尋が目を見開く。

 暗闇の中で不気味に光るそれは、れいんが手にしていた大剣。その刀身は、今まで千尋が見たことがないくらいに長い。

 文字通り、刀身が伸びているのだ。


 その刀身の元を辿ると、刀は部屋の片隅から延びている。

 距離にして十数メートル。この暗がりの中、予め刀身を伸ばした状態で設置されていたのだろう。

 千尋の壁が割られるのを虎視眈々と待ち、その一瞬の隙を突き、ギロチンの様に剣が振り下ろされたのだ。


「ハンターっ……!!」

 ギリリと奥歯を噛む、千尋の怒りに似た声と同時に、その片隅。暗がりかられいんが大剣を手放し走り寄る。


 勢い任せに天井ギリギリまで飛び上がり再び手の内に大剣を出現させると、そのまま掲げた剣を、千尋目掛けて振り下ろした。


 千尋の脳がフル回転する。

 ガードをするしかない。この剣が自分に到達するまでの数秒の間に、激痛に耐えながら壁を形成するしか道はない。

 集中力を、雑念を全て捨て――――


 カキィン!

「くっ……」

 甲高い音を立てて、れいんの振り下ろした大剣は、千尋の肩に到達する事なく弾かれた。

「……ヒヒ……」

 千尋は引きつった笑顔を浮かべる。


 この土壇場で、部分的な壁の形成に成功したのだ。

 部分的な形成は初めてで、かなり神経を使う作業であった。だが、これなら文字通り瞬間的な時間で形成出来そうだ。

 安堵の表情を浮かべる千尋。


 その刹那、

「お~い」

 千尋のすぐ隣り。そこで静かに笑う、声の主に千尋は振り向いた。

「しまっ――――」

「俺を忘れんなよ」

 忍が千尋に目掛け、再び手を伸ばす。

 今全身に壁を形成しても、また忍に割られるかも知れない。

 かと言って忍に反撃をすれば忍を吹き飛ばす事こそ出来るだろうが、無防備な箇所にれいんの一撃をくらう事になる。


 この一瞬の間で、千尋の脳内で葛藤が超高速で繰り広げられる。


 結果として、千尋の下した決断は壁の形成。

 忍の貫通技が確実じゃないのなら、と下した結果だった。


 しかし、

「ホント嘘ばっか吐いて悪いな。実はさ、貫通技も……使いこなせるようになっちまってたんだ、これが」

「…………ッ!」

 ギシギシ……と、千尋を取り巻く壁は忍の手によって悲鳴を上げる。

 まともな判断力を失った千尋は、今目の前で起きる事態を眺める事しか出来なかった。


 忍の手が、少しずつ壁を歪める。


 そして、


 パリィン……


 再び壁の割れる音が、真っ暗な建物内に響き渡った。

 最早千尋と忍との間を隔てる壁はない。



「道は……切り開いたぜ?」

 自分の役目を終えた忍は床に倒れ込む。

 体力限界まで踏ん張った結果だった。


 そのすぐ後ろから、

「えぇ、ありがとう」

 寸分の間も与えずれいんの追撃。

 れいんは突きの構えを取ると、剣先を千尋の胸。心臓目掛けて一心に突く――――


「……っつ」

 千尋も忍によって割られた壁の再生を試みる。


 させまいと、

 れいんの剣先が伸びる。


 通すまいと、

 千尋の壁の再生が始まる。



 伸びる。


 壁が構築され――――



 壁が完全に再生しきる寸前。穴が塞がり切るほんの僅かな隙間。千尋の全身を覆う直前に、それよりも僅かに速く、れいんの剣先は到達した。


「はぁあああああああ!!」

 全身に力を込める。全体重を乗せ、千尋の体の中へ、中へ。

「く、クソがぁあああああッ!」



 ◇


「ラルヴァ……って言ったっけ? あんたは一体何なんだ」

 肌寒い深夜の公園で、僕は得体の知れない男と一緒にいた。


 僕を神にするなんて素っ頓狂な事を言った外国人。

 今そいつは、ボサボサの金髪を靡かせ、青白い顔で静かに月を見ている。


 小さく笑ったかと思うと少し間を置いて、

「ワタシは……俗に言ウ、吸血鬼というヤツデス」

 僕の問いに答えた。


 何を言うかと思えば。思わず鼻で笑ってしまう。

「まァ……信じられナいでショウがネ」

 言って、男も僅かに微笑んだ。


 だってそうだろう?

 男は見てくれこそホームレスのようだが、至って普通の人間の姿をしている。

 確かに僕だって一目見た時は、この男は僕の中の死神のイメージにピッタリだとは思った。

 しかしあれはあくまで比喩的な表現であって……


「いや、まぁ……確かにあんたからは普通じゃない感じするけどさ」

「それは、ワタシの見た目が変わってるカラですかね」

「はは、そんなんじゃないって」

 笑うラルヴァの横顔は切なかった。

 頬は痩せこけ、唇は青ざめ、それこそ病人のそれだ。確かに見た感じからして色々普通じゃない点は沢山あるけど。


「この国ニハ……百聞は一見に……って言葉がアルんですよネ」

「ん?」

 突然独り言のように呟いて、男はゆっくりベンチから立ち上がる。

 そして静かに僕の方へと顔を向け、

「チヒロ、アナタにはワタシが吸血鬼だとイウ証拠をお見せします。シバシお待ちヲ」


 それだけ言うと、ラルヴァは僕の返事を待たず、華奢な体でヨロヨロと歩き出し公園を後にする。


「……」

 すっかり冷え込んだ夜の公園に一人きり。


 この時点で帰ってしまっても良かっただろう。

 相手はついさっき出会ったばかりの男。

 僕はこの街の住民ではない。今後会う事だってないだろう。

 ちょっと待ってろなんて口約束、別に守る筋合いなんてないのだ。


 だけど、非現実が僕を待ってるような気がして、不思議とワクワクしてしまっていたんだ。

 この胸の鼓動こそが真実だった。



 それから数十分後、ラルヴァは一人の女性を連れて戻ってきた。

 否、この場合連れてと言う表現は適さない。文字通り、ラルヴァは女性を物のように引きずって来たのだ。

 そしてベンチに座る僕の元までやってくると、ラルヴァは手に持っていたその体を乱暴に地面に放る。


「え、これ……死ん……」

 目を見開き、さも苦しみながら死んだような顔の女の亡骸を見て、僕の鼓動は高鳴った。

 さっき僕が殺した女の影が脳裏をちらついたのだ。


「この方には……ちょっと協力してもらおうと思いまシテ」

 言って、ラルヴァは微笑んだ。

「何を……」

「いえ。今さっきこの方の血を吸わせて頂いたのデス。今こそ死んでいるヨウデスが、そろそろ目を覚ますでショウ。ワタシの、手下の吸血鬼となって……ネ?」

 そう言うラルヴァの瞳がさっきまでとうって変わり、赤く発光している事に気付いた。

「……え?」

 僕の言葉と同時に、見開いていた女の瞳も赤く発光しだす。


 すると、

 ガルル……と、女は人間と思えぬ呻き声を上げ、まるでキョンシーの様に飛び起きた。

 その口からヨダレを滴らせ。

 どう見ても普通じゃない。


「そしてもう一ツ……」

 ラルヴァはこれ見よがしに自分の手の平に噛み付くと、その手から血を流し始めた。

 何をするかと思う間に、


 ラルヴァの手の平から滴る血は形を成して行く。


 大きく、大きく。

 何かの形へと。


 いつの間にか、僕の目の前には血で出来た大きな紅い鎌が出来上がっていた。


 怖いとは思わなかった。

 むしろ、

「す……げぇ……」

 純粋に凄いと思ってしまう程に、その鎌は芸術的で、妖艶な空気を纏っていたのだ。


 その鎌を手にすると、ラルヴァは鎌の刃を今しがた飛び起きたまま動かない女の首に突き付ける。

 何をしようと言うのか、ある程度予想が出来てしまう。


「普通のニンゲンは死ネバ肉体はそのままデスガ……吸血鬼となったモノハ、死を迎えると肉体は残りマセン。このように――――」


 言葉と同時に、ラルヴァは女の首ごと鎌を引き寄せた。

 決して力を加えた様子もない。何とも鮮やかに、女の首と体が切り離される。


 ブシャアと、切断された部分からドス黒い血液がけたたましい勢いで噴射した。

 明らかに即死である。

 だと言うのに、女の体は倒れる事もなく、直立不動のまま。


「……っ!」

 僕は言葉を失った。

 ただただ目の前で壊れたスプリンクラーと化した女を見て、必死に吐き気を抑える事しか出来ない。


 やがて女の体が血液を噴射しきった頃、女の体はサラサラと砂の様に、幻想的に消えて行く。


「――――塵となって消滅するのデス。チヒロ、ワタシはあなたを神にスルと言った」


 どうやったのか、あれだけ大きな鎌を一瞬にして何処かに消し、ラルヴァはついに本題を切り出した。

 今、目の前で起きた事は夢ではない。もうここまで来たら信じるしかないじゃないか。

 これが吸血鬼ってモノなのかは判らないが、この男は間違いなくバケモノだ。


 そんな男を前にして恐いとか思わない僕は、きっと狂っていたんだろう。


「ああ……言ってた」

 ラルヴァの言葉に、僕は頷いた。


「そして、ワタシに協力してホシイと」

「ああ、僕は何をすれば良い? あんたは何をしてくれるんだ!?」

 この男みたいな力を僕にくれるのか?

 それとも僕の言いなりに動いてくれるのか?


 次第に僕のテンションが上がっていく。


 ラルヴァはそんな僕を制するような仕草をすると、一度自分の体を眺めため息を吐いた。

「……ワタシの体は見てのトオリ、ボロボロです。この体はワタシが数十年前にどこぞの国で手にイレタ物なのデスが……ニンゲンの体は時間とトモに衰える。そろそろ新しいカラダを見付けなくてはならないのデスヨ」

「良くわかんないけど……それで?」


「ワタシがチヒロにチカラを授けます。神たるモノ、万物の声が聞けてコソ。

 そしてそのアカツキには、チヒロの配下となったニンゲンのカラダからより強ク、あわヨクば若いモノを、ワタシに譲ってホシイのデス」

 ラルヴァが再び僕の脇に腰を下ろす。


「力を……僕に?」

 ドクンと心臓が大きく脈打った。

「えぇ。神であるアナタには何人たりとも手を出せないようナ、絶対的な防御壁。

 万が一、アナタに手を上ゲルような不届きなヤカラが現れた場合、直接手ヲ下さずとも制裁を加えられるチカラ……」

「……す、すげぇ……すげぇ! 体なんていくらでもくれてやるよ!」

 何やら凄くファンタジーチックな感じになって来てるじゃないか。

 良く判らない力だが、この男のような力を僕も手に入れる事が出来れば、何でも出来る気がする。


 しかし、テンションが上がる僕とは相反してラルヴァのテンションは低く、

「そのタメには……ワタシがチヒロの血を吸い、アナタを吸血鬼にする事になってしまうのデス……」

「僕が……吸血鬼に?」


「えぇ。ご存知の通り、ワタシは神ではありマセン。ですからあなたを神にする、と言う願いは聞けまセン。

 今回ワタシの言う神というのは、吸血鬼の神。万物の声を聞けるヨウにと言うのは、これからアナタが血を吸って吸血鬼にしたニンゲンの声を……と言うモノなのです。

 ですから、アナタが人々の声を聞くには血を吸い配下を増やす必要がありマス」

「何やら面倒だな。でも、俺は無差別に人を殺すような独裁者になるつもりはないんだ。

 人に害をもたらす人間を排除して、マトモな人間にとって住みやすい世界を作りたいだけなんだ」

 確かにさっきは完全に無差別な殺人をしてしまったが、僕の本心は今言った通りなのだ。

 この世には害虫が多すぎる。でも、人間達を吸血鬼にするなんてのは……


「ご心配なく。吸血鬼となっても、昼間は普通のニンゲンと同じように生活出来マス。吸血鬼としてのサガに目覚めてしまうのは夜のみ。しかしソレも、理性さえ保てれば普通の暮らしが出来るのデス。

 アナタが配下を増やせば増やす程、アナタはその配下達の声を聞ケル。そのモノが何に悩み、何を望んでいるか。誰に脅かされているのか」

「……じゃあ」

「アナタの配下となる吸血鬼が住みやすい世界を作っていくと言うコトは、結果としてアナタの言うこの世界の神になるのと同じコトなのデス。同時に吸血鬼になレバ、人並みハズレた身体能力を得るコトも出来マス」


 全くもって現実味のない話だが……

 僕はこれまでの血へドが出そうな生活から脱却したい。

 この歪みに歪んだ世界を変えたい。

 この男のように……人間離れした能力を使ってみたい。


「なるほど……僕には断る理由はないよ」

「契約……セーリツでよろしいデスカ」

 吸血鬼が怪しく微笑んで見せる。

 それが最終確認だった。


「ああ」

 僕も覚悟を決めた。


 返事を聞くや否や、ラルヴァの顔がぬうっと僕の顔の目の前に現れる。

 それに一瞬だがビクついてしまった。


 ラルヴァは例の紅い目で僕の目を見つめ、

「それデハ……詳細は後ほど、お伝えシマスヨ」

 ゆっくり僕の首筋に牙を突き付けた。



 ◇


 ラルヴァ。僕はこの世界を変えるタメ、この短期間で何人もの人間を吸血鬼にしてきた。

 あんたのくれた力のおかげで僕は連中の声を聞き、彼らが怨みを持つ人間をことごとく排除してきた。社会のクズをことごとく。


 マトモに生きる人間達にとって、少しずつだけどこの世は良い方に向かってたはずなんだ。

 全部あんたのおかげなんだ。


 あんたは俺に力をくれた。なのに、俺はまだあんたとの約束を守れていない。

 あんたが喜んでくれるような体を与えられていない。


 だからこれからも続けなきゃならないんだ。


 だから……


「終りよッ!!」

 再生し始めた壁をれいんの剣先がグイグイと広げていく。

 ビキビキと音を立てて、壁がひび割れていく。


「……っ」

 やがてその剣先が千尋の皮膚に到達した。


「お、俺は……」

 そのまま肉を、内臓を貫通する。



「……僕はぁッ!」

 さらに骨を粉砕する。



「まだ死ぬワケにはいかないんだよぉおおおお……ッ!!」

「はぁあああああああああああああッ!」

 ここぞとばかりにれいんが奇術を使い、先刻千尋の左腕を切断した時のように大剣の刀身を伸ばす。


 その勢いで千尋の体は真っ暗な闇の中へと舞った。

 大剣に貫かれたまま、風を切り闇の奥へ、奥へと。



 モノの数秒後、千尋の体は大剣に貫かれたまま向かいの壁へと打ち付けられた。


「……まだ……だ……ィャだ……死にたく……ない……痛い……痛いよぉ……」

 壁に張り付け状態の千尋はおびただしい量の血を吐きながら、その目に涙を浮かべた。

 そして自分の脈が弱まるのも、体が冷たくなるのも感じないまま、


 サラサラと


 砂となって闇の中へ消えて行った。



「……」

 千尋の波長が途絶えた事を確認したれいんは、大きく息を切らしながら床に膝をつく。


 やがて乱れた息が整うと、傍らで横たわる忍の頭に手を乗せ、

「ホント……良くやってくれたわよ、あんた」

 僅かに微笑んだ。



 ◇


 窓も、家具も、生活感も何もない真っ暗な狭い部屋の中央に、ボロボロの金髪男は立っていた。

 湿気の多い室内で静かに、ただ静かに。


 その表情は切なく、血色の悪い顔を俯かせ、

「波長が途絶えた……チヒロ、死んじゃったんデスネ……」

 小さく呟いた。


「アナタが戦った相手の吸血鬼は、アナタの波長とは比べ物にならないくらい強イ……

 波長は吸血鬼の強さそのモノ。あり得ない結果ではなかった……と言う事デスカネ。

 しかし、絶対防御を持ちながらヤラレテしまうとは。

 確かにアナタの死はカナシイですケド、それ以上にお相手の方にキョーミがわいてしまいましたヨ」


 男はジメジメと湿った壁に寄りかかり、ズルズルと腰を下ろす。


 何かを考え、親指のツメを前歯で噛みながら、

「これは一度……ワタシが直々に会いに行った方がよさそうデスネ。チヒロを葬る程の吸血鬼なら、ワタシの次の肉体の候補としても申し分ないでショウし……ネ?」

 言って、男は虚ろな目を見開き、一人でケタケタと笑い始めた。

 男の笑い声が密室内に渦巻くように木霊する。


 もうすぐ夜が明ける。

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