天敵

「さぁて、次はどこかなぁ? さっき、あんたは俺の手が危ないとか言ってたけど、あんたの手も危ないみたいだからなぁ。その右手が良いかな?」

 言って、純志麻は横たわる俺の無防備になった右腕に指を向ける。


「く……そ野郎がぁああああッ!」

「なっ……」


 身の危険を察知し、俺は足の痛みを堪えながら瞬時に起き上がった。

 やられたのは左足。まだ右足が残ってる。右足に体重を乗せ、左足にかかる負荷を軽くすれば立てない事もない。


 そのまま、起き上がりながら握った拳を純志麻に目掛け――――


「くぁ……ッ」

 暗闇を、真っ黒な血が舞う。

 俺に向けられた純志麻の右手人差し指。先刻味わった痛みが再び、今度は右腕に走る。

 ほんの一瞬の隙に、また衝撃波とやらが放たれたのだ。


 意識を失いそうな程の猛烈な痛み。

 そのせいで俺の中の時間は拳を構えたまま止まる。


「キシシシ……あんまビビらすなよ」

 まさか足を射抜かれた俺が、限界寸前の俺があんなに俊敏に立ち上がるなんて思ってもなかったのだろう。

 純志麻は純志麻で突然の危機を脱出した事から安堵の表情を浮かべて見せた。


 そして、またいつ予想外の行動を起こされるか判ったもんじゃないと思ったのか、

「もう手も封じた。あんたは肉弾戦がメインだろ……? そんなんじゃ殴る事も出来ない筈だ。とりあえず死んどけよ。なぁ?」

 純志麻自らゲームエンドの道を選び、俺の顔に手を翳す。


 しかし、

「うるせぇ」

 俺の体は言葉より先に動いていた。


 別に殴れないから何だ。あの純志麻を相手にして殴ろうなんて、もう毛ほども思っちゃいない。

 ただ、その体に俺の手を貫通させようとしているだけなのだから。


「なん……」

 純志麻が反応を示すよりも速く、俺の手は純志麻の腹に到達する。

 本当なら顔面にソレを見舞ってやるハズだった。

 だけど攻撃を食らい、力もロクに入らずにダランと下げてしまった腕をもう一度振り上げるよりは、純志麻のがら空きになった腹は、腕に負担をかけずに振るえる高さだったってだけの事だ。

 ただ精一杯、死に損ないなら死に損ないらしく、足掻いてやろうと。


 ――――ピキピキ


 再び何かに亀裂が入る音が響く。

 痛みからマトモに握れてすらいない俺の拳は、ゆっくりと純志麻の奥へ奥へと入って行く。

「ふ……」

 さっきまで到達すら出来なかった純志麻の服に、皮膚に、内臓に、俺の手が侵入して行く。


「ふざけるな……っ!」

 純志麻が体内に入り込んだ俺の手を引き抜こうと後退する。


 パリン――――


 それに伴い、また、あのガラスが割れるかの様な音が俺の耳に届いた。




 とっさの判断で後退した千尋は、たった今忍に抉られた腹部から溢れ、流れ出る血を見てワナワナと震え出した。

 暗がりに、そんな千尋の荒い吐息の音だけが響き渡る。


 そのままその場に崩れる様に座り込むと、千尋は必死に傷口を押さえながら、

「痛ぇ……何なんだ。何なんだよ、お前は!? 何で壁を割れる!? さっきから何をしてやがるってんだッ! こんな何度も割られちまって何が絶対防御だ! 一体何だってんだよ!? 痛ぇ、クソが……痛ぇょぉッ!」


 特に追撃をして来るワケでもない、ただ目の前に立っているだけの忍への反撃も、砕かれた壁の再構築をする事さえも忘れ、純粋な気持ちを掠れた声でがなった。



 ――――壁……ね。

 やっぱりバリアみたいなのを張ってやがったのか。

 忍の仮説は見事に的中し、確信へと変わった。


 そしてもう一つ。

 自分の打撃やれいんの奇術さえも効かなかった千尋のバリアも、この貫通技ならモノの一撃で使い物にならなくする事ができ、千尋本体へダメージを与える事が出来る。


 この確証を得た事が、他の何よりも大きかった。

 まだ貫通技の発動条件は曖昧なままだが、今は運良く発動してくれた。


 ダメージを省みないこの特攻だって賭けでしかなかったのだ。

 もし今までの度重なるパンチのおかげで、バリアに後たった一撃ですら耐えられない程の亀裂が入っていただけだったとしたら――――

 貫通技だからソレを割る事が出来た、と言うワケじゃなくなってしまう。



 もし、今も貫通技が発動すらしなかったら。


 自分は間違いなく千尋の反撃を食らい、完全に戦闘不能に陥っていただろう。

 活路さえ見出だせず、立ち向かう気力さえ奪われていたかも知れない。


 自分を守ってくれる存在もなくなり、生存確率が著しく低下しヤケになったからこそ成し得た結果だった。


 どうせ死ぬくらいなら――――


 行動の源は怒りと自棄。


 一歩間違えれば待つのは死。今の忍の判断が、行動が、賞賛に値するモノであったかとなれば疑問は残るが、忍からすればこの結果を得られただけで充分だった。


 未だに今回の決め手となるであろう貫通技の発動方法が判らないと言うのは、実に心許ない。

 それでも、千尋の目に見えぬ攻撃の正体、張られていたバリアの存在、そしてそれの突破の仕方を、全て暴き出したのだから。


 その為に代償となったのは足一本と腕一本。

 決して安くはない犠牲だが、それらを知れたと思えば釣りが来るくらいの犠牲にしか思えない。


 まだ自分は立ち上がる事も出来るし、拳が握れなかろうと貫通技を使う事は出来る。

 何より自分には、まだ命があるのだ。


「はぁ……はぁ……」

 忍は右腕をだらんと下げ、息を切らしたままその場に立ち尽くす。

 死線を潜り抜けたのは千尋だけでなく、忍とて一緒だった。今はただ立ち尽くし、乱れに乱れた息に整える時間を与えるだけ。

 生き延びたという安堵感に、ほんのちょっと、浸るだけ。


「……」

 未だに追い討ちをせず立ち尽くすだけの忍を見て、千尋は千尋で傷口を庇う様に抑えながら、今がチャンスと考え立ち上がる。

 まずは壁の再構築が先じゃないか、と。


 壁が必然的に割られるなんて有り得ない。有り得るワケがないのだ。こんなのはまったくもっての偶然なのだ。

 きっと、さっきの再構築の際に自分が何かミスを犯していたに違いない。

 だから壁を割られたのは何かの間違い。

 そんな事は有り得ない。断じて有るワケがない。


 自分が優先してすべき事を思い出した今、千尋は壁の再構築を開始する。

 壁を張っていないと言う状態は千尋にとって不安過ぎるから。


 まったくの丸腰では、どんな攻撃すらもダイレクトに飛んでくる。

 目の前の敵はコンクリの破片が当たったても怯みすらしなかったが、千尋の場合はそれだけでうずくまり兼ねない。


 触れた瞬間に、外部からのそれらにかかっていた全ての衝撃を吸収する魔法の様な無色透明の壁。

 その壁が張ってあると言うだけで、千尋が得られる安心感は相当なモノだった。


 自分を取り巻くのはそんな無敵の壁なのだ。

 だからこそ、千尋は改めて必死に思い込む。


 忍が壁を割るのは何かの間違いなのだ、と。

 きっと自分が再構築の際に何かミスを犯しただけなのだ、と。


 必死に、ただ必死に。自分で自分に言い聞かす。

 自信を失わない為に。自尊心を保つ為に。



 一度全身を覆う壁を解除。再構築を試みる。

 より強靭な、何があっても砕けない、無敵の壁を―――――


 壁さえ張っていれば、自分は文字通り無敵になれるのだから。



 腹を抱えながら逃げるように、徐々に自分との距離を置こうとする千尋を、忍も見逃すはずがなかった。


「逃がさねぇよ……」

 今まさに壁の再構築をしている最中である千尋の腕を、忍は勢い良く掴みあげる。


「っく、クソが! 離せッ!」

 その瞬間、千尋の集中力が乱れ、構築途中だった無色透明の壁は音もなく消滅した。

 同時に千尋の顔から血の気が引く。


 壁の再構築を失敗した千尋を守るモノは、今、何も無い。正に丸裸状態なのだ。


 破損した部位だけの再構築の方法を見いだせず、一度全ての壁を解除しなければ再構築出来ない。

 それが自分の敗因になるかもしれないなんて、千尋は微塵も考えていなかった。

 だって、

 そもそもこの無敵のバリアを突破するような相手が目の前に現れるなんて、あるワケがないと思っていたのだから。


 それもついこの前まで自力で戦う事すら出来なかった、ハンターの腰巾着がだ。

 まさかそんなヤツがハンターより厄介な存在になっていただなんて……自分の天敵になるだなんて。


 今となっては連中に猶予を与えてやった事にさえ後悔している。

 千尋は奥歯を噛みしめ、自分の腕を掴む相手の顔を睨み付けた。さっきまでとはうって変わり、自信も覇気もない弱々しい表情で。



 全ての敗因は、千尋の自分の力への異常なまでの過信となった。


「ここからずっと俺のターンな感じか?」

 言って、忍が握る手に力を込める。


「い、痛ぇだ……ろうがぁあああっ!」

「うおっ!?」

 言葉と同時に、千尋は掴まれた腕から衝撃波を放出。

 壁を張っていなければ衝撃を吸収する事は出来ないが、張っていなくとも体内に蓄積された衝撃波を放出する事は出来る。


 まだ蓄積されていた衝撃だって残っているのだ。


 千尋の腕から放出されたソレによって、掴んでいた忍の手は無理矢理に引き剥がされた。


 ―――今のうちに。

 千尋が再び壁の再構築を試みる。

 壁が構築出来なかったせいで、掴まれただけで腕にダメージを負ってしまった。


 掴んだだけでこの力かよッ……!?


 舌打ちし、壁の再構築に意識を向ける。


 が、

「まだだ」

 隣で忍の声がした。


「くっ……!!」

 千尋は反射的に振り返る。

 本来の気転を活かせれば振り返ったりなんてせず、その場から飛ぶように後退する事が出来た筈だ。

 しかし、今の千尋にはそれが出来なかった。


 暗闇の中から、千尋に向かって音の速さで影が伸びる。

 その影の正体が忍の手だと理解したのは、右腕を掴まれた瞬間の事。

 腕を掴むや否や忍は今自分の持てる全ての力を、ありったけの力を込める。


「……まずは俺も、手を封じさせてもらうぜ」

 再び耳に届く忍の声。

 その言葉の意味を千尋が理解する前に、


 ―――グシャアアアッ


「う、うぐわぁああああッ!!!」

 千尋の右腕は引き千切られた。

 肩から綺麗に、まるで人間のモノとは思えない握力に、一瞬にして腕そのものを奪われた。


 体験した事のない猛烈な痛みに、千尋は傷口から鮮血を撒き散らしながら地面にうずくまり、悲鳴を上げる。涙が込み上げる。


「痛ぇ……痛いょぅ……ッ……ァァアアアッ……!!」

 苦悶の声だけが木霊した。

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