見出された活路

 千尋の抉られた脇腹からは、止めどなく血が溢れ出て来ていた。

 ここまでの痛みを伴う怪我は、今までの人生の中でも経験した記憶がない。


 忍が何をしたか判らない。

 まさかさっき忍が言っていた、弱点に気付いたと言うのは本当だったのか?

 それをハッタリだと思ったのは、自分の力に絶対的な自信を持っていたからだ。


 そんな攻略法のないこの能力を突破する方法を、コイツは本当に見出していたと言うのか。

 吸血鬼になって、初めて自分に傷を負わせた相手の顔を、千尋は改めて見つめた。


 何とも呆気にとられた様子で、馬鹿丸出しな忍の顔。

 これは……本人すら何が起きたか判ってないのじゃなかろうか。

 今のは偶然が産み出した産物だったって事か?

 何度も殴られた事により既に壁に亀裂でも生じていたのか? いや、それこそ有り得ない。


 本当に意味が判らない。この絶対防御は正に言葉通りの絶対的なモノだったハズだ。

 現に今までの攻撃は全てシャットアウトして見せた。


 それが何だ。何故、あんな体勢を崩しながら放たれた弱小パンチで、この壁を割られなきゃならないのだ。


「一体何をしやがった……? 何で壁が割られた? ヒヒヒ……意味が、意味が判らねぇよ……」

 独り言を呟く千尋。息を荒立てながら脇腹の激痛を堪えようと、奥歯に力を込めた。



 今自分が優先すべき事なんて判りきっている。

 自分にダメージを負わせた忍は今こそあんな表情をしているが、いつ冷静な判断力を取り戻し追撃して来るか判らない。

 ならばチャンスは今しかないのだ。


 一息吐くと千尋は一度全身を覆った壁を解除。

 そして次の瞬間には再び壁を形成し、その華奢な全身に無色透明のプロテクトを施した。


 こんな事態は初めてで、破壊された壁のある箇所だけを修復する術など、千尋には判らなかった。

 ならば試行錯誤するよりも全身の壁を一度解除し、再び形成した方が勝手も判っている分早い。

 実際、それに要する時間だってモノの数秒だ。相手との間合いさえ上手い事確保出来ていれば、容易に修復は出来る。


 とりあえずは今のが不慮の事故であれ、相手の能力であれ、忍を近付けるのは危険だ……と、千尋は決断を下した。

 こちらとて手の内を全てさらけ出すようなヘマはしていない。忍を近付けないようにする手段など、他にいくらだってあるのだ。



「……」

 その様を、忍はずっと眺めていた。

 そして、意図せぬ場所から突如として見出された活路に、勝機さえ見ていた。


 その興奮からだろうか、一度は落ち着きつつあった心臓の鼓動が再び大きく脈打ち始めたのを感じる。


 自分には打撃しかない。ずっとそう思っていた。

 それは力を開眼してからと言うもの、今まで殴り飛ばしただけで相手の吸血鬼を倒せていたから。

 だから記憶の影に埋もれてしまっていたのだ。


 自分にはもう一つ、打撃でも斬撃でも奇術でもない力があったではないか。

 今の一撃で思い出す事が出来た。


 自分の意思とは反して過去に何度となく発動し、あまりのグロテスクさから憂鬱な気分にさせられたあの反則まがいな貫通技。


 正に今ソレが発動したのは偶然だったが、ずっと無敵状態だった千尋にダメージを与えられたのは事実。


 そして、確かに耳に届いた何かが割れる音。

 何かを呟く千尋の口から漏れて来た“壁”と言う単語。


 これはまだ憶測の範囲でしかないが、千尋は体の周りにバリアの様なモノを張っていたのではないか。


 そんな仮説が忍の中に出来上がっていた。


 それならば、打撃が効かなかったのも、炎に包まれたと言うのに無機物の服すら燃えていなかったのも納得が出来る。


 憶測? きっとこれは、そんな利口なもんじゃない。

 こじつけでしかないかも知れない。


 それでもこの貫通技ならば、例え千尋がバリアの様なモノを張っていたとしても、それを貫き、千尋の本体へと拳を到達させる事が可能なのではないか。

 今の出来事が何よりの証拠だ。


 ――――ああ、あくまで憶測でしかない。

 こじつけでしかないのだ。


 しかし、これなら太刀打ち出来る気がする。いや、これに賭けるしかない。


 淡い期待が忍の中に芽生える。

 貫通技の肝心の発動条件はまだ判らないが、勝機があるとすればそれだけだろう。



「ああ、痛ぇ……痛ぇよまったくよぅ。ビビった」

 万全を期した千尋が不敵に笑いながら、ゆっくりと忍へ向き直る。


 真っ暗な闇の中にこっそりと光る希望の光を見つけた忍には、もう立ち止まっている理由はなかった。

 それを確実な結果へと結びつける為、はやる気持を抑えながら千尋との距離を詰める。


 勝機は見えた。

 しかし不用意に飛び込み、またコンクリの壁に叩き付けられては全てが水の泡になる。

 細心の注意を払いながら、何とかしてもう一度貫通技を見舞わなければならない。


 ある程度の距離にまで忍が近付いた時、千尋が顔から笑みを消した。


 そして、歪んだ笑顔を浮かべながら、右手を天に向け大きく掲げる。

 何かする気だと察した忍も足を止め、いざと言う時のタメに身構え――――


 ボゴゴゴゴ……ッ!


 その瞬間、突然千尋の頭上の天井が、大きな破壊音と共に崩れ落ちて来た。


 けたたましい音と共に崩れ落ちて来る天井は、コンクリートの破片と呼べる程可愛いモノではなかった。

 まさにコンクリートの塊と言った方が正しいであろう程の大きさだ。


 こんなモノが道を歩いている時に、頭上から落ちて来たらたまったもんじゃない。


 これが事故でない事は忍にもすぐ判った。

 千尋が手を掲げた途端に起きた事なのだ。また千尋が何かしたに違いない。


 しかし、忍の頭上の天井を破壊すれば、避けきれずに当たった可能性だってある。

 何故千尋が自分の頭上にそんな危ないモノを落とそうとするのか。

 打撃が効かない奴なのだから、自滅の道を選んだ……とかでは無いだろうが。



 無数のコンクリの塊が重力に従い、千尋目掛けて勢い良く落ちてくる。

 それよりも前に、石塊のターゲットとなっていた千尋は一歩退いた場所に移動し落下地点からの退避に成功していた。

 忍と目が合うと千尋は大きく口元を歪め、


 ただ落ちるだけとなったそれら石塊に両手を翳す。


 そして、その翳された両手と落ちる石塊が同じ高さに重なった時――――


 千尋は両の手の平から衝撃波を放出した。


 理想的な大きさの石塊を砕かないように計算された、強すぎず、かと言って弱すぎぬ衝撃波を。

 まるで強力な磁石同士が反発し合うかの様に、ただ真っ直ぐに落ちて来ていたコンクリートの塊達は、千尋の放った衝撃波によって、一瞬にして進路の変更を余儀なくされた。


「……うっそだろ!?」

 変更された進路、その向かう先に居たのは――――



 微笑み、翳していた手を下ろしズボンのポケットにしまう千尋。

 四方から飛んでくるコンクリートの塊達。それに戸惑い避けようとする自分自身。


 それら全てはほんの一瞬の出来事だ。

 飛んでくる石塊に至っては、正に疾風迅雷と言っても過言ではないだろう。


 寧ろ速すぎて、忍の目にはそれら全てが逆にスローモーションのように見えていた。


 1、2、3……8……11……


 そう。飛んでくる石塊の数を数えられてしまうくらいに。


「……ぐっ、あっ……!」

 腹に、膝に、肩に、めり込むように飛び込んで来たコンクリートの塊は、忍の体をその場から吹き飛ばした。

 その勢いで床に打ち付けられる忍の体。


「い……てぇ……」

 頭にこそ当たらなかったが、相当なダメージを負ってしまった。今ので今度こそ足がイカレたかも知れない。


 不幸中の幸いなのか頼みの綱である手が無事だったとは言え、あんな勢いで飛んできた車のタイヤ程のコンクリの塊は、相手をノックアウトさせるには充分すぎた。

 やはり不幸中の幸いでも何でもない。360度どこから見ても不幸中の不幸だ。


「どうだい? こんな事も出来るんだ。別に相手を吹き飛ばすだけが全てじゃない」

 クックッと喉で笑いながら、千尋はゆっくりと床でうなだれる忍の元へと歩み寄る。


「痛いか? 痛ぇよなぁ? 死んだ方が楽になれるって。あぁ、でも死んで欲しくもねぇんだよな。ヒハハハハ」

「てめぇも……脇腹が随分痛そうじゃんかよぅ。死んだ方が楽になれるんじゃね? ……ひははは」

 千尋の言葉を真似て、忍も精一杯の強がりを見せる。

 が、今の忍に起き上がる力は残ってなかった。


 血を流しすぎたツケが、今になってやって来たのだ。先刻のブラックアウトがその最終通告だったのかも知れない。


 まともに攻撃を食らい、最早全身が痛いのか痛くないのかすら判断が出来ない。


 そんなもがき苦しむ忍の元で、千尋がしゃがみ込む。

 まるで雨の日に、段ボールの中に捨てられた子犬を見るかの様な目で、

「ああ、悩ましいけど……どうだ? なぁ、使い魔。もう一思いに殺してやろうか? 今のあんたを見てると胸が痛む。確かにあんたには死んで欲しくないけどさ。

 この先世界が吸血鬼だけの世界になったら、今よりも弱肉強食の世界になるんだよ。あんたじゃ生き抜く事すら出来ないだろう。今だってハンパなく苦しそうだ。

 だったら今、今の内に死ねた方があんたにとっては幸せかも知れない。俺としても、あんたが他の吸血鬼にやられる姿なんて見たくない」


「……ぁぁ?」

 虚ろな瞳で、目の前に映る敵を睨み付ける。

 忍の目に映ったその相手は、さっきまで敵だった奴とは思えぬ、何とも敵らしかぬ優しげな顔をしていた。今のも本当に親切心で言った言葉なのだろう。


 千尋は愁いに満ちた表情で、ゆっくり手を忍の顔へと翳した。

「……昨日の敵は今日の友って言葉があるだろぅ? まだ日付は変わっちゃいないが、俺達は自分の命を賭けて戦い合った仲だ。だからもう友と言っても良い筈だ。友として、最期は俺が看取ってやるよ」


「はぁああああああッ!」

 静寂を切り裂いて、その声と共に通路の中に一陣の突風が巻き起こった。

 横たわっていた忍の体にもその衝撃が伝わる。

 アンバランスな態勢で居た千尋に至っては、その突風に体を持って行かれ、その場から放り出された。まるで自分の衝撃波を食らったかの様に飛んでいく。


「……シノブっ!」

「ろ、六条……」

 突風の発生源は今しがた忍達が居た場所とは結構な距離を置いた場所。

 今となっては月明かりすら届かない通路のど真ん中に、横たわっていた。


「……大……丈夫?」

 奇術師が息を切らしながら声を投げ掛ける。

 一方、仰向けになった忍は、

「全身痛くて敵わねぇよ。折角……可能性を見出だせたのに、体が言うことを聞いてくれねぇ」

「……」

 そんな相棒の弱音を聞き、奇術師・六条れいんは黙り込んだ。

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