11月4日(月) 純志麻千尋

「六条ぉおおお!」

 その姿を見て忍は声を荒立てた。

「何だよ、お前! 今までどこでサボってたんだ! この俺が頑張ってんだからすぐ加勢しろよバカ野郎!」


 そんな言葉を投げかけられた、たった今暗がりから舞い戻って来たばかりの六条れいんは、

「今日のログインボーナスを貰うのを忘れてたからログインだけしてた。待たせたわね」

 と、忍にぎこちない笑顔を作って見せる。


「は? 何こんな時にゲームやってんの? バカなの死ぬの?」

「☆5キャラも出た」

「ログインボーナスもらっただけじゃないの!? しっかりガチャまで回してるじゃねぇかッ!」


 ――――そんなツッコミを入れた時、忍がれいんの異変に気付いた。


「お前……足怪我したのか?」

 こっちにやって来るれいんが右足を引きずっていたのだ。

 まさかあの六条が。と忍も思ったが、れいんと言えど二度もコンクリの壁に打ちつけられ、それを突き破ったのだ。無理もない。

 本人は大丈夫そうな素振りを見せてはいるが、れいんの頭部からの出血だって忍の出血とは比にならない程酷かった。

 今こうして立ってるのだって不思議なくらいだ。


 とりあえず今は、こうしてまた二人揃ってこの場に戻って来れた。それだけで良かったのかもしれない。

 しかし、あのれいんがここまでの傷を負う事になるなんて、忍の想定外の出来事だった。


 足を引きずりながら忍の隣に並んだれいんは一度その場でふらついたものの、

「ちょっとぶつけ方が悪かったみたいね」

 でも大丈夫。と言葉を付け加え、頷いて見せる。


 そんなれいんの強がりを聞き、忍はれいんを強い眼差しで見つめた。

 そして、

「馬鹿野郎! お前が死んだら……」


「……シノブ?」

 れいんが忍を見つめ返す。


「お前が死んじまったら……俺……ッ!」

 忍もれいんを見つめたまま、ガシッと、その華奢で小さな両肩を掴み――――


「お前が死んじまったら……俺が! 生き残った俺だけが標的にされちまうだろうが!!」

「……?」

 一瞬にして、れいんの表情が変わった。

 ほんの僅かでも、この黒霧忍と言う男の口から発せられる言葉に、何かを期待してしまった自分が馬鹿であったと反省する。


「それにだ! ラスボス吸血鬼を倒さなきゃ俺の願い事は叶えてもらえねぇ。こんなラスボス吸血鬼でも何でもない吸血鬼にやられてちゃダメなんだ!

 俺が願い事を叶えてもらうには俺一人の力じゃ成し得ねぇ! お前の協力が必要なんだ! だから絶対に死ぬな!」

「……」

 れいんの忍を見る目が、段々痛々しいモノを見る目へと変わって行く。

 今まで自分は喜怒哀楽の表情が乏しい方だと思っていたが、『なんだ、こんな顔も出来るのではないか』と、れいんは自分自身に驚かされた。


 一方の忍はれいんの“目”など気にもせず、

「俺はラスボス吸血鬼を倒して、その暁には葉月さんにスマホを直してもらう!! メモリーを復活させてもらうんだぁああああ!」

「……馬鹿」


 ――――何て言う、二人のコントを今の今までずっと黙って見ていた千尋だったが、遂にそのバカバカしさから限界に達した様で、漸くその口を開いた。


「長ぇ。フリが長ぇよ、まったくよぅ……

 使い魔といいハンターといい、何で生きていられるかなぁ? 何でそんなピンピンしてられるかなぁ? 全身が痛ぇんじゃねぇのか? 立ってるのだってやっとなんじゃねぇのか? いっそ死んじまえば楽になるってのに。でも、嬉しくてしょうがねぇ……俺は何なんだ? おかしくなっちまったのか? ヒハハハハハハハ!」

 目の前に再びハンター二人が揃った事が素直に嬉しくて、千尋は歓喜に満ちた声を上げる。

 まだまだ死闘は終わらない。これからが本番なのだ。



 ◇

 小学校までは純志麻千尋にも沢山の友人がいた。

 当時から既に頭は良く、クラスでもトップの成績を誇ってはいたが当時の千尋はそんな事に興味もなかった。

 周りが自分より頭が悪かろうが優越感の様なモノを感じた事は一度もない。


 友達と一緒にサッカーをやれば、周りと比べても普段勉強ばかりしていた千尋はサッカーが下手くそだった。

 それでも、友達はそれを笑う事もなく、千尋を仲間外れにする事もなく、いつも千尋を遊びに誘ってくれる。

 頭の良し悪しなんか、サッカーの上手い下手なんか関係ない。そこには確かに友情があったのだ。


 そんな毎日が楽しかったし、嬉しかった。

 子供の頃の自分は、それが当たり前だとすら思っていた。

 そしてこんな毎日が永遠に続くのだと。

 そう。千尋が中学校に進学するまでは――――


 入学当初はブカブカだった学ランも、丁度良いくらいのサイズに感じられるようになった二年目の終わり。

 その頃から、千尋の周りに黒い影が付いて回るようになった。

 それは目には見えないモノだったが、確実に千尋の周りで蠢き出したのだ。


 事の始まりは、仲の良かった友達がたった一度だけ千尋に向けた“目”。

 全教科のテストが終わり、もうすぐ冬休みを控えたある日の事だった。


 校内は賑わっていた。

 生徒は群がり、自分の名前を見つけようと昇降口に貼られた紙を凝視している。

 それは全校生徒にとって決して楽しいイベントではない。

 学年でのテスト順位が発表される日の朝の出来事である。


 家で毎日の様に勉強をしていた千尋の名は、いとも簡単に見つけられる場所。一番目立つ場所にあった。


『学年一位…純志麻千尋』


 最早、それも今の千尋からすれば既に見慣れたモノで、これと言って歓喜の感情も芽生えない。

 確かに入学当初は、テストの結果が張り出される事に関心は持っていた。

 初めて自分の名前が一番目立つ場所に貼られていた時は、それは喜んだモノだ。


 結果だけを見ると、千尋は静かに教室に向かった。

 あの日、窓の外に見えた空が鉛色だった事は、今も良く覚えている。


 教室内は様々な表情を浮かべた生徒達で溢れていた。

 前回よりも成績が上がり喜びの表情を浮かべる者。大幅に順位が下がり絶望的な顔をする者。

 成績なんざ興味がないとでも言わんばかりに机に突っ伏す者……と、様々だ。


 千尋はそんな生徒達の間を抜け、教室の片隅の席でうなだれる一人の男子生徒の元へと歩いて行った。

 彼は小学校の時からずっと仲の良かった友達だ。

「どうだった?」

 千尋が声をかけると、男子生徒は顔を上げ、

「……いやぁダメだったよ。志望校も合格圏外だし、また親にどやされる。塾のセンセーにも見放されそうだし……別に遊んでるワケじゃないのによ」

「そっか……」

「お前はすげぇよな。一年の時からずっと学年一位だ」

「僕は別に……」

「……はぁ」

 強烈な違和感を感じたのは、その瞬間だった。


 時間にすればほんの一瞬の出来事で、本当に些細な事かも知れない。

 しかし、男子生徒が千尋に向けたその目は明らかに友人に向けるモノではなく感じた。

 いつもは明るかった彼の目に、その一瞬だけドス黒い何かが見えたのだ。


 あの目は、千尋が良く知る友人の目ではなかった。


 それから千尋の頭の良さを妬む人が出て来るのに、時間はかからなかった。


 頬杖をつき、やる気なさそうに授業を受ける千尋の耳に届く声。

「なんで真面目にノート書いてないアイツが学年一位なんだよ」

「あの余裕の表情見たか? 自分よか頭悪いヤツ見て良い気になってんだぜ?」

「あいつの家、宗教にどっぷりハマってるらしいよ」

「次のテストが難しくなったらアイツのせいだ」

「どこの高校も余裕で合格圏内だろ? もう学校来んなよ。勉強しづらいっつーの」


 こんな感覚は初めてだ。

 教室内には沢山の人間が居ると言うのに、ポツンと、世界のど真ん中にたった一人取り残された感じ。

 初めはずば抜けて頭の良い千尋を物珍しいかの様に取り巻いていた人達が、一人、また一人と離れて行く孤独感。


 僕は優越感に浸った覚えなんかない。

 確かに、最近じゃ学年一位がすっかり当たり前になってしまい、以前程喜ぶ事もなくなってしまったが。

 その態度がスカしているように見えたのだろうか?


 だとしてもこんな言われようはあんまりだ。

 皆が遊び呆けている間も、僕は勉強をしていたってだけの事。

 この結果だってそれがもたらしたモノだ。


 それ以来、千尋はクラスで浮く事が多くなった。

 次第にそれもエスカレートし、最終的にはイジメと呼べるモノにまで発展する始末。

 話かけても無視をされたり、上履きを隠されたり、その内容はありきたりな事から斬新奇抜な事まで様々だった。


 勉強ってのは何のためにするのだろうか。

 友達を、楽しかった日々を失うくらいなら勉強なんてしたくない。

 こんな思いをするくらいなら学校になんて行きたくない。

 神様、僕を助けてください――――


 そう思うも、両親がそれを許さなかった。

 本人も言った所で……とは思っていたが、待っていたのは案の定な結果だった。

 親も馬鹿ではない。千尋が頭角を現しだしたのに気付いたのだろう。

 このまま勉強を続けさせ、どこか良い所にでも就職させようと考えた。


 嫌がる千尋の言葉になど耳も貸さず、毎日の様に学校から帰宅した千尋を勉強机の前に縛り付ける。

 千尋が学校に行きたくないと部屋に引きこもれば、母親が無理やりにでもドアを開け、学校の校門の前まで車で送り届けた。


 たった一度、両親への反抗として、テストの答案用紙に記入をせず白紙のままで出してやった事がある。

 結局こっぴどく叱られ、罰としていつもの倍以上の時間、机の前に縛り付けられるハメになった。

 涙で問題集をグショグショに濡らした記憶がある。


 それから千尋を待っていたのは一切の自由のない生活だった。


 そんな生活も半年を過ぎた頃、遂に千尋は中学三年生にして高校三年生レベルの問題集すら解けるようになってしまった。

 自由な時間を割いての勉強。千尋は膨大な知識を得た変わりに大事なモノを失っていった。

 思い出を失った。

 友達を失った。

 自分を失った。


 ただ、親の言う通りに勉強をし、親の言う通りの学校へ行き、親が望む仕事に就けば良い。そうすれば、もう文句は言われないのだ。

 周りを蹴落とし、上へ行くのだ。

 そこまで行けば。僕が今より大人になれば。

 この呪いの様な、悪夢の様な毎日から脱却出来る。


 高校で教師をする父親が問題を起こしたのは、それから直の事だった。

 散々偉そうな事を言っていた父親は、裏でそんな事をしていたのか。

 毎日狂ったように祭壇の前で神様とやらに願掛けしていた母親も、似合わない化粧をし知らない男と出掛ける事が多くなった。


 ああ終わってる。世の中は歪んでる。

 僕が実際何をした? ただ普通に学校に行き、普通に勉強をしていただけだ。

 誰にも危害なんざ加えちゃいない。

 なのに、何で僕が被害者にならなきゃならないのか。


 皆がどんどん僕から離れていく。視線を離していく。


 ああ、とっくに世界は狂っていたんだ。


 ちょっと周りを見回せばすぐ気付く事だったのに、問題集ばかり見ていた僕は、それにすら気付けなかった。


 クズが、人の道を汚すクズが溢れ返ってら。


 ――――なぁ、神様。見ていますか?

 あんたが作ったモノは、どんどん壊れ始めてる。


 ――――ねぇ、神様。聞いてますか?

 嘆き悲しむ人達の声が、あんたの耳には届いてますか?


 ――――おい、神様。居ないんですか? 放置ですか?

 てめぇで始めた事だろ。最後まで責任持ってやり遂げろ!!


 ……ああ。この世界の現状は、創り手の神様の手にも負えないと判断したのかな?

 真っ先に離脱しやがった。

 自分の手で作ったモノを放り出して、僕らを狂った世界に取り残して行きやがった。


 笑っちまう。頭がおかしくなりそうだ。

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