10月29日(火)  ~Welcome to Hell~

 ◇


 僕をここまで追い詰めたこの世の中は、心底腐っていると思う。

 もし神様ってのがホントにいるのなら、お前は何をしているんだ、とぶん殴ってやりたいくらいだ。


千尋ちひろ、お前は何をやるにも一番になれ』


 父親の口癖とも言えるその言葉が僕の脳裏を駆け巡った。


 学校にもちゃんと毎日行っている。テストでだって100点以外の点数なんか取ったコトもない。

 そんな僕をアイツは、家に帰ってまで机の前に縛りつけ、僕から自由を奪ったのだ。

 僕だって一人の人間だ。自分の意見だって持っている。


 ふと頭を過ぎったソレは、呪いがかかったモノの様に、頭から離れない。

 歩きながらそんなコトを考えていると、ドッと吐き気が込み上げた。

「っ――――」

 反射的に口元を押さえつける。

 ソレは既に臨界点を突破し、喉の直ぐそこまで来ているらしい。口の中に妙な苦味が広がった。

 僕は口元を押さえたまま、前を行く頭の悪そうな人間達を押し退けて、急いでトイレへと向かって行った。



 目の前で胃の中に収まっていたモノが、水流によって勢いよく流される。

 僕はそれらを呆っと見送ってやると、よろめきながらトイレを後にした。


 本楠木駅西口。

 改札の前の看板にはそう記されている。

 僕は改札機前の壁に寄り掛かって腰を下ろすと、そんな駅構内を見回した。


 駅の中はくたびれきったゴミの様な人々で溢れている。喧騒が、この光景が、癪に触って仕方がない。


 駅構内に限らずとも、この世の中の大半の人間が、僕と同じ、自分の意見の主張も出来ない人間なのだろうと僕は思う。

 学校でいじめられない為に意見を殺し、会社で出世する為に意見を殺し、家庭を、生活を維持する為に意見を殺す。


 まるで自分を見ているようで、心底イライラする。同族嫌悪と言うものなのか。



 僕はゆっくり腰を上げると、行き交うゴミ共を睨み付けながら薄汚れた駅の改札を通り、夜の冷たい空気に満ちた地上に足を踏み出した。


 案の定、外でも厚化粧の割には薄汚い格好をした女や、人間に突然変異したライオンの様な頭をした男。切羽詰まった汗臭そうなサラリーマンが、我先にと足を動かしている。

 混沌としすぎていて、見ているだけで、再び吐き気が込み上げてきた。

 特に用が無ければ、僕自身こんな汚い街に足を運ぶなんて、こっちから願い下げだっただろう。

 今日ここに来たのは他の何でもなく、ただ、に来ただけなのだ。


 最近この街は物騒だ。謎の怪奇殺人が絶えない。僕はそんな阿鼻叫喚を巻き起こしている事件に便乗して、今日は主張するのだ。


 僕だって、やりたい事をやれる、と。


 ああ、無性にイライラしてしょうがない。

 そんな意味では、無駄に人の群がるこの街は僕にとっての宝庫になるだろう。

 殺されるべき人間が、居なくなっても誰にも迷惑がかからないような人間で溢れている――――


 小さな期待を胸に、人混みを分けて進んで行く。

 ちょっと駅から離れれば、さっきまでの人間の群れも嘘のように少なくなる。更に人の少ない裏道を通ると、本当に人気の無い寂しい道に出た。


 暫く歩き、ここだと思った場所で足を止め、蟻地獄の如く待ち伏せする。

 できれば若い女がいい。それもチャラチャラしていない清純そうな女。豚がお洒落した様な下衆に興味は無い。

 僕は純粋に普通の子を殺したい。この手でだ。

 見たい。さっきまでの笑顔から一転、恐怖に歪むその顔を。

 聞きたい。最後の一声は何なのか。誰に向ける言葉なのかを。

 知りたい。僕は人間を。


 思考を巡らすと、次第に鼓動が高鳴った。

 それに伴い妙に唇が乾いてゆく。体全体が発熱機になったみたいに熱を持つ。乾いた唇を舌で舐めて潤した。


 僕をここまで追い詰めたこの世の中は、心底腐っていると思う。

 もし神様ってのがホントにいるのなら、お前は何をしているんだ、と殴りまくってやりたいくらいだ。


 カツ――――


 ふと、背後から聞こえた足音に思考を止め、喉を鳴らして唾を飲む。

 そして怪しまれない程度に、チラッと振り返り容姿を伺った。

 目に映ったのはスラッとしたスレンダーな女。それも世間一般では絶対に美人の部類に入るであろう容姿をしている。

 無意識に、僕の元々引きつった口元は更に吊り上がった。

 実際行動に移すのは初めてだが、僕なら上手く殺れる。殺ってみせる。

 靴紐が解けたふりをしてその場にしゃがみ込み、女が僕の前に出るのを待つ。


 ドクン、ドクンという心臓の鼓動のリズムに合わせ、カツカツというヒールの甲高い足音が近付いて来る。

「……」

 そして僕の横を横切った。


 今だ――――


 直ぐさま電光石火の勢いで後ろから女のか細い腕を掴むと、力任せに小さな脇道に引きずり込んだ。

 想定外の出来事に悲鳴ではなく、え……? と言う素頓狂な声を、女は僕の後ろで上げて見せる。

 しかしそれも、持って来た包丁を走りながらチラつかせるだけで、女は人形の様に黙り込んだ。


 ある程度奥まで行くと、僕はピタリと足を止め、掴んでいた手を離して女の方へと振り返った。

「……あの……なんなんですかあなた? 警察呼びますよ? 誰か!!」

 と、女はいつの間にか取り出していた携帯電話を片手に、逞しく言い放つ。


 その姿には敬服しなくもない。しかし、威勢とは裏腹に顔を青冷めさせ、小さく震えているた。ただの虚勢だ。

 まぁ普通の女性が、いきなりこんな危機に晒されれば仕方のないコトなのかもしれないが――――


「……」

 僕は答えない。

 良い事を思い付いた。殺す前に犯してやろう。見るも無惨な格好にし、なじってやろう。

 今の笑いが下品なモノになっていても構わない。

 邪魔な包丁を地面に投げ捨て、大きく一歩を踏み出した。

 包丁は地面に打ち付けられ、カタンと甲高い悲鳴を上げる。


 後はこのまま流れに身を任せて実行するだけなんだ。

 逃げようとする女の腕を両手で掴み、体ごとコンクリートの壁に叩きつけた。

「ぁ……――――」

「そんな声じゃない……もっとイイ声出してみてよ?」

 そうだ。痛みからの喘ぎ声なんかでは、欲求はこれっぽっちも満たされやしない。

 地面に崩れようとする女の長い髪を、指に絡めて頭を引き上げる。


 しっかり顔を上げさせると、今度は勢い良く向かいの壁に頭から叩きつけた。


 ドゴ――――

 鈍く低い音が、この狭い脇道に響き渡る。

 女は喘ぎ声を上げるコトすら出来ず、ただ激しい苦痛に身を捩らせるだけだった。


 こんな事になるなんて思いもしなかったのだろう。

 普通に道を歩いていたら、いきなり見ず知らずの人間に手を引かれ、力任せにコンクリの壁に叩き付けられ――――


「運が無かったんだよ、あんたにはさぁ? これから僕にゆっくり、いびられる様にヤられる運命にあるんだから……」

 倒れた女のブラウスを脱がしながら、ほんの少しだけ言葉に哀れみの意を込めて言ってやる。今度は女が答えない。

「あれ……気失ってんの? ねぇ、まだ寝るのは早いよぉ、お姉さん? 楽しみはこれからなんだからさぁ」

 体を揺すっても、女はピクリとも動かない。


「つまんないじゃん。起きてよ、ねぇ?」


 動かない女を見下ろすと、舌打ち混じりにもう一度髪を引っ張り上げた。

 顔を持ち上げても、さっきまでの抵抗も何もない。


「つまんないじゃん――――」

 再び、女の頭を壁に打ち付けた。


「つまんないじゃんっ――――」

 もう一度叩き付ける。


「つまんない……つまんない、つまんない! つまんない! つまんない! つまんない!! つまんないつまんないつまんないつまんないつまんないつまんないつまんないつまんないつまんないつまんないつまんない!!!」

 何度も何度も打ち付けた。

 女の頭は打ち付ける度に、ただベキベキと言う奇音を発するだけの、打楽器に変貌する。


 それを数十回と繰り返すと、打ち付けても音は立たなくなった。

 ただ打ち付けていた部分だけが、空気の抜け始めたボールの様にボコッとへこんでいる。


「目……覚めた?」

 息を切らしながら問い掛けても、やはり女は答えない。

 僕は女の髪を掴んだまま、奥歯をギュッと噛み締めた。

 怒り任せにもう一度、渾身の力で叩き付ける。

 女の血に塗れた壁と、既に原形を止どめていない女の頭部が勢い良くぶつかり合い、女の額の肉はブチ……と嫌な音を立ててはち切れた。

「なんだよ……もっと抵抗してくれて良かったのに」


 疲れ果てて地面に腰を下ろしたまま、ボーッと動かない女の体を眺めるコトにした。

 滑らかで綺麗な体のライン。それも醜い頭部のお陰で、何ともミスマッチな感じがする。

「あは……」

 自分の鬱憤を晴らすタメだけに僕は人を殺せた。いとも簡単に。

「これくらいで死なないでよ……ねぇ?」

 返事が無いのはわかっているのに、面白半分で声を掛けてみる。


「ぅ゛……」

 肉の裂けた額から覗く物体を見ると、激しい吐き気が込み上げた。胃の中のモノを全てブチまけてしまいたい。


 ガサ――――


 突然の物音に、僕は慌てて顔を上げた。

「にゃぁ」

「……猫かよ」

 ホッと胸を撫で下ろす僕に、その白い猫は擦り寄ってくる。首輪が付いていないトコを見ると野良猫らしい。

 懐こいなと思いながら、僕は猫を優しく抱き上げた。

 そのまま抱擁して問い掛ける。

「僕、人を殺せたよ。そんな僕って悪い奴? 悪くないよね?」

 何か複雑な気分だった。

 ボールでも何でもない、生きている人間の頭部をコンクリに打ち付ける初めての感覚。それはなんとも異質で……


 猫は僕の顔を見上げたまま答えない。


「僕は悪者? 僕って異常?」

 やはり答えない。僕は自分の中でとびっきりの笑顔を浮かべ、猫のか細い首に両手を回して再び問うた。

「答えろ……」

 猫の首を掴む手に、指に、力を込める。

「答えろ……答えろぉおおおおお! 僕はおかしくもなんともない、おかしいのはこの世の中だよなぁ!? 答えろ!」


 ボクン――――


 何とも言えない音が、僕の鼓膜を刺激した。


「……ああ、僕はおかしくないや。僕は至って真面目な優等生。100点以外取ったことがない。そんな僕がおかしい筈がない。それにこんなのの一人や二人。いてもいなくても世の中は何一つ変わらない……

 そうだよ、こいつは僕に殺される運命にあった。ただ、それだけのコトだったんだ……あははははははは」

 ダランとダレてピクリとも動かない猫の体を、女の死体の上に投げ捨てる。

 暫く死体を見つめたが、再び立ち込めた吐き気に僕は視線を逸らしていた。


 投げ捨てられた包丁を拾い上げると、それを静かに鞄の中にしまって背筋を伸ばした。


 僕をここまで追い詰めたこの世の中は、心底腐っていると思う。

 もし神様ってのがホントにいるのなら、お前は何をしているんだ、とブッ殺してやりたいくらいだ。


 ……いや、神様なんかいやしない。いれば世の中が腐る事なんてないのだから。


「なら方法は一つしかないじゃないか」

 動かない女の死体を目一杯蹴飛ばし、街灯の明かりを仰ぎながら囁く様に呟いた。

「神がいないのなら、僕が神になればいい。そうすれば自分の望むままの世界に変えられる。最高じゃないか……?」

 チラッと死体を見下ろすと、僕は笑顔で言ってやった。

 今度は哀れみの意も何も込めてやらない。


「お前は神様に殺されたんだ。誇りに思え――――」


 その瞬間。

「神……か……」

 それは死体のモノではない。僕のモノでもない。

 どこかで声がした。

 背後でもない。横でも、下でも……

「誰だっ!! 出てこないとお前も――――」

 ピタリと、鼻と鼻がくっつく程の至近距離に、何かが突然姿を現した。

 一呼吸分置いて、それが上から降りて来たのだと理解した。しかし近過ぎてその者の姿が確認できない。


「神になりたい……か……」

「お前は……誰だ……?」

 目の前のソイツの口からは、思わず鼻を摘みたくなるほどのただならぬ異臭が漂っていた。

 それを察した訳ではないだろうが、ソイツは一歩後退すると、

「私があなたを神にする。変わりにあなたにも私二協力して欲しイ」

 妙なカタコトの日本語でそんな事を言い、ソイツはまるで執事が主人にするかのような、英国紳士の如くお辞儀をして見せる。


「外……人……?」

「カトゥー・ラルヴァロッサ……ラルヴァと呼んでください。アナタは?」


「す、純志麻千尋すみしまちひろ……」

 顔を上げた時、ラルヴァと名乗る男の姿形が街灯の光によって露になった。


 ボサボサの金髪。薄汚れたロングコート。クマだらけの目。青白い唇。


 如何にも死人と言った感じの。

 もし死神が人の形をしているのなら、まさに僕の中の死神のイメージにピッタリの男だった。

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