10月26日(土)最後の日常

 ブーッ……ブーッ……


 突然枕元で起きた確かな振動に、黒霧忍は心地良い夢の世界から一気に現実へと連れ戻された。


 あの夢を見た訳では無いのだが、目覚めたばかりの体はろくに言うコトを聞いてくれない。

 例えるなら、全身が石化した感じ――――


 そんな重苦しい体をやっとの思いで動かして、己の睡眠を妨げてくれた携帯電話へと手を伸ばす。


 ――――着信中、神童一。


 携帯電話の画面には、そう表示されていた。


「あん、にゃろう……」

 小さく毒づきながら、まだ完全に開くコトを拒んでいる両目を擦り、半ば強制的に開かせる。

 そしてベッドの中で身を丸くしたまま、渋々応答ボタンを押した。



「もしもし、黒霧くん?」

 こっちが口を開くより先に、受話器の向こうで声がする。

「……てめぇこんな時間に何だよ……って――――」

 言って、忍の体は瞬間的に硬直した。


 今、電話の向こうで彼は何と言ったのか?


 そんな疑問が頭を過ぎる。


 神童一とは中学以来の腐れ縁だ。

 今まで転校初日でさえ、一度たりとも黒霧なんて名字で呼ばれた記憶はないし、君付けなんか尚更ない。

 ましてや何か? 今日に限って神童の声がヤケに高い気がしてならない。

 そう、言うなれば女の子の声の様な。


「……神童、何があった? まるで声が違うぞ。そんなのお前のCVじゃない」

「……黒霧くぅん、もしかして寝ぼけてる?」

 電話の向こうの呆れきった声。微かに溜め息さえ聞こえてくる。


 何となく推測が立ち、忍はなるほど、と小さく頷いた。

 恐らく声の主は神童の電話を借りて、自分に電話してきたのだろう……と。


 もしもし、と電話越しで応答を求める聞き覚えのあるその声に、忍は黙り込んだまま答えない。

 代わりに、未だまともに働いてくれていない思考回路を強制的に働かせ、声の正体をつき止めようと黙り込む。


 が、いつまでも返事の無い忍に痺れを切らしたのか、電話の相手は答えに辿り着く前に、丁寧にも自らの名を名乗り上げてくれた。

「はぁ……私です。佐久間さくまめぐみ……生きてるぅ?」

「なんだ、会長か。オッス、どしたぁ?」

 答えを聞いて、ようやく理解できた。

 それに些細なコトでも思考を巡らせたお陰か、脳もまともに働きだしてくれた気がする。


「“何だ”でも“オッス”でもないでしょ、黒霧くん? 今日の文化祭の準備、とっくに始まってるんだけど……」

「はぁ……?」

 やっとこさ覚醒し始めた自分に、彼女は容赦無く話の本題らしき事を言い放った。


 しかし忍は、そんな彼女をははん……と電話越しで静かに嘲笑して返す。

 そして、恐らく今の笑いの意味も分からずに、電話の向こうで頭の上に『?』を浮かべているであろう佐久間めぐみに、睡眠を妨げてくれたお返しと言わんばかりに追い討ちをかけてやった。


「おいおい、会長……今日は土曜日だぜ? 学校はお休み。ホリデーなわけよ? 会長こそ寝ぼけてるんじゃねぇか? 残念でし――――」

「もしかして忘れてたの?」

「え……?」

 追い討ちをかけるつもりが、間髪入れず遮られた。


「黒霧くん、文化祭の実行委員じゃない? 今日は生徒会側の手伝いをお願いするから学校に来る様にって」

「……なんだと?」

「ちょっとちょっと……自分で引き受けておいてソレな訳ぇ? 引き受けたなら、ちゃんと責任持ちなさいよ?」

「……」

 そこまで言われて、黒霧忍の脳も完全に覚醒し、全ての内容を理解した。


 遅すぎた覚醒。

 この際佐久間が毒舌だと言うコトは置いておこう。


「何時から……だっけ?」

 恐る恐る問いながら、部屋の中の時計に視線を移す。

「9時からです」

 キッパリと言い切る佐久間。部屋の時計は既に9時30分を回っていて、完全に遅刻というコトになる。


「いや、あの……昨日夜に街で変な奴と遭遇してだな……」

 とにかく誰が何と言おうと、忘れてはいなかったのだと言う事実をわかってもらえる様に、黒霧忍はフルに動きだした脳を回転させた。

 言い訳だ。言い訳を考えるんだ。



 そして見出だせた言い訳を口にする。


「それで……そうだ、うん。連れ去られて足に変なチップを埋められて――――」

「え、何? キャトられたの?」

 いきり立つ様子も無く、佐久間めぐみは静かに問うて来る。


「そうなんだよ! 目の前一杯に光が満ちたと思いきや、目が覚めたら実験台の上でがんじがらめにされててよ!」

「凄い体験じゃない。怖かった? UFOの型はどんなだったの? アダムスキー型?」

「いや怖かったも何も……息が出来なくて苦しかったんだけど、いや、今の俺が1番苦しいわ! 今のは夢で、てゆうか本当のコトを話そう! 実はオレは記憶喪失で――――」


「はぁ……随分都合のいい記憶喪失なのね」

 何かと訳の分からない理由を付けようとする忍。しかもソレは眼も瞑りたくなるほど、どんどんと支離滅裂なモノになっていく。

 そんな忍の意見をろくに受け止めるコトもせず、電話の相手佐久間めぐみは呆れ半分に“早く来てね”とだけ残し、一方的に電話を切った。


「う~ん……」

 暫くの間、忍は布団の中で苦悶の声を上げていた。


 行くべきか、サボるべきか――――


 行くべきか、サボるべきか――――


 行くべきか……サボる……べきか……


 が、その自問が再び眠気を呼び寄せる危険があるコトに気がつくと、またもや閉じかけた瞼をゴシゴシと擦り、ゆっくりその身を起こした。


 ――――引き受けてしまったモノは仕方がないか。


 少なからず引き受けたのは事実だ。嫌なモノなら嫌と断っていた事だし、引き受けてしまったからにはやるしかないだろう。

 何より、行かなかった時の神童からの仕打ちを考えると、どうも行かざるを得ないのだ。

 以前の苦い記憶が、忍の脳裏に蘇る。

 別に好きでも無い女子に、勝手に黒霧忍の名前を使った偽ラブレターを贈られたり。テストの答案を黒板に張り出され、晒者にされたり――――


 何だかんだ言って神童は忍に対しては限度というモノを知らないのだ。

 昼飯をおごらされるくらいならまだしも、また何か良からぬ噂を立てられたら、それこそたまったモノではないのだから。

 火消しの手間を考えると……な。



 ブルッと身震いをして三度考え込んだ後、意を決してベッドの中の温もりを諦めると、黒霧忍はイモムシの様にベッドから這い出し、ゆっくり身支度を始めた。



 ◇


 佐久間めぐみも咲羅と同様、高校一年生の頃からの付き合いだ。


 佐久間は誰とでも話せて、誰にでも親切。それでいて勉強もできる――――


 と、なかなか非の打ち所が無く、いたって真面目な女の子だ。

 加えて一年の頃から生徒会の役員も任されていて、今となっては生徒会長という大役をも買って出る程。

 故に生徒からも教師からも絶大な信頼を得ているのだろうが、そんな彼女にも唯一の欠点がある。


 それは、やたら執念深いという所。

 ねちっこいと言うか、粘着質と言うか。


 しかし、ソレも俺が彼女と話していて勝手に感じただけのモノだし、他の皆はそこまで気にしてないようで。

 むしろ、俺にだけそう言う態度を取っているのではないかとすら思ってしまう。


 あのツンケンした態度。あれだけはどうしても苦手だ。


 言うなれば俺達は犬猿の仲とでも言おうか。



 走って学校の門を潜り抜け、昇降口へと向かう。

 土曜日の午前中というコトもあるからか、部活動に励む生徒達の姿がチラホラと伺えた。


 そんな彼等の元気な掛け声やらを横目に通り過ぎ、昇降口で上履きへと履き替える。

 チラッと目に止まった昇降口の時計の針は、10時を大きく回っていた。



「こりゃまた何か言われるかぁ? 細かい事をチマチマと――――」

 下駄箱前で足を止め、頭を抱えて悶える様に嘆く。


「ええい、成るように成るさ! 南無三!」


 余計な雑念を振り切って、意を決して歩き出す。もちろん急ぎ足も忘れずに、四階の生徒会室を目指し、俺は二段抜かしで階段を駆け上って行った。

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