10月25日(金)変質者

「あはは。冗談だよ、冗談。まぁ明日は休みなんだしゆっくり休んで、月曜日はちゃんと来るようにね?」


「……文化祭の準備だからか?」


「当然でしょう? ただでさえ忍は役に立たないって思われてるんだから、こういう時くらい名誉挽回しなくちゃ、ね?」


 私の言葉に、彼は“あの夢さえ見なけりゃな”と、顔をしかめてそっぽを向いた。けれど、私はそんな事は気にもしない。

 それはいつもと、何ら変わらぬ掛け合い、同じ流れなのだから。


 プイ、と余所を向く彼の手を、私は不意打ちと言わんばかりにギュッと握り締める。最早何度もやっているコトだから、彼も分かってはいただろう。

 そうすると、忍は“なんだよでも……”と、気恥ずかしそうに、軽く顔を赤らめならが私の方へと振り向くのだ。その瞬間に彼も私の手を握り返す。


 多少冷たくなっていた忍の手。


 まるで捻くれ者の様に顔を背ける黒霧忍。


 やっぱりいつもと変わらない。


 私は、そんな素直じゃない子供じみた忍のコトが大好きだった。

 確かに口が悪く、口八丁で、お世辞にも性格が良いとも言えないし、デリカシーも協調性も芸術的センスも音感もない彼。

 でも、何だかんだでカッコいいところ、優しいところ、可愛いところ。色んな一面を持っている。

 私のこの『好き』という感情に偽りなんてモノは無い。私は心の底から彼のコトが好きで、いつまでもこの幸せが続けばいいと、そう思うのだ。



 カラン――――



 駅までの道程、T字路を右に曲がった途端突然耳に届いた物音に、私と忍は足を止めた。

 それと同時に、私から忍の手が離れて行く。ムードがぶち壊しだ、なんて考えは沸いてこない。


 ただ、街で起きている謎の怪奇殺人の事が脳裏に浮かんだからだろうか、確かな寒気が背筋を過ぎるのを感じた。

 恐らく、ソレは彼自身も同じなのだろう。

 目の前に続く決してキツくは無い坂道。私と彼は、その坂道の上を見据えて黙り込んだ。


 カラン――――


 その鈴の音の様なモノは暗闇の向こう、坂の上から確実に私達の方へ近付いて来る。

 そして次第に街灯の明かりに晒されて、ただ漆黒の闇だったその音の正体が露になった。


「――――」

 私は直ぐさま忍の影に身を隠し、そっと、その影を覗き込む。

 影の姿に、忍も思わず黙り込んだ。影は、誰がどう見ても怪しいモノなのだ。

 このご時世に魔法使いを彷彿とさせる突飛なローブ。おまけに顔全体を覆うフード。

 街行く人100人に聞いたら、絶対、100人全員一致で『怪しい』という答えが返って来そうな程だ。


 ローブ姿の人物は、足を止める事もなく、真っ直ぐ私達の方にやってくる。

 そして、私達の目の前まで歩み寄ると、静かに立ち止まった。


「――――にもか……」

「は……?」

 フードの中から発せられた声。それは本当に小さく、聞き取れるモノではなかった。


 それでも、フードの中の瞳が忍のコトを凝視しているコトだけは、私にも理解できる。

 忍は軽く身震いしながらも、そのフードの中を睨みつけ、精一杯に威嚇している。


「――――」


「……忍……?」

 忍に密着している為か、彼の唾を飲み込む音がやけに大きく耳に届いた。

 忍とローブ姿の人物は、向かい合ったまま、その空間だけ時間が止まったかの様に動かない。


 声を上げるコトは愚か、呼吸すらままならない。

 二人が向かい合ったまま、どれくらいの時間が過ぎたかはわからない。まだ10秒と経っていないのか、もしくは10分以上経ったのか。


 ただあまりの出来事に、私の中の時間感覚が麻痺してしまった様な気にさえさせられる。


「――――かもしれません」

 今一度、ローブ姿の人物が虫の羽音のような小さな声で囁いた。忍は怪訝な顔をしたまま答えない。

 言うや否や、その謎の人物は小さな衣擦れの音と共に、何ごとも無かったかの様に背中を向けて、無言で去って行く。


「…………」

 忍は目を丸くして、視線だけでローブ姿の後を追う。

 その後、ローブ姿の人物は振り返る事もせず、静かに暗闇の中へと溶ける様に消えて行った。


「ち、巷で噂の殺人犯かと思ったぁ……」


 ほっと安堵の溜め息を漏らし、私は地面が雨ですっかり湿っていること等微塵も気にもせず、ヘナヘナと地べたに座り込む。

 そしてドサクサに紛れて忍に抱き付いていた自分を思いだし、燃える様に頬が赤くなったコトを理解した。


 忍はローブ姿が去って行った方を見つめたまま、動かない。


「……し、忍……?」

 忍の中の時間は未だ止まっているのか。彼は答えない。


「ねぇ……」

「……ん、あぁ悪い悪い」

 忍も我に返る。


「何だったんだろうな今の……時間、余計に食っちまった」

 そう言って、忍は地べたに座り込む私に手を差し伸べた。

 その手をギュッと握り返し、まだ力が抜けたままの体を起こす。


「大丈夫かお前、顔赤いけど?」

「ううん……大丈夫、大丈夫……!」


「そっか、なら早いとこ行こうぜ?」

 さっきのコトを早くも振り払ったのか、忍はいつもの調子で促した。

 駅まではこの坂を上れば、すぐ目と鼻の先なのだ。

 私と忍は再び歩き出した。



 ◇


 犬神咲羅の実家は、楠木くすき市の中でも極めて小さな『北楠木』という町で、小さな神社をやっている。

 外見は寂れたモノだが正月などには初詣に来る客も多く、犬神神社と言えば小さな北楠木のシンボルでもあった。


 しかし北楠木は忍の住む本楠木とすぐ隣りに位置しているものの、その差は大都会と田舎程の違いがある。


 駅前にビルが聳え建つ本楠木。


 駅前にコンビニも無ければ、ロータリーすらない北楠木。



 夜の8時過ぎ。

 頻繁に事件が起きているとは言え、人には人の生活がある。今日は平日ということもあり、会社帰りのサラリーマンや学生等で、駅の付近は帰りの人々で賑わいを見せていた。


 咲羅を送った後どこに寄り道をするでも無く、黒霧忍は真っ直ぐ家に帰宅する事にした。

 いつもならコンビニにでも立ち寄って、雑誌の立ち読みくらいして行くのだが、今日はそんな気分になれない。

 咲羅の前では平然を装っていたが、正直あの時からあの事が、頭から一向に離れてくれないでいた。


 ――――ここにもか。


 ――――また、会うかもしれません。


 あの変質者は忍自身に向けて、確かにそう言ったのだ。


 咲羅にその言葉が聞こえていたかはわからないし、あいつが何者なのかもわからない。


 ただ、ソレから感じられた殺気。

 それだけは忍にも、尋常じゃないモノなのだと感じ取れていた。

 少しでも動けば、四肢をもぎ取られる様な感覚。少しでも大声を上げれば、喉を貫かれる様な錯覚。

 不用意に手を出せば、一瞬にして生命活動を停止させられる様な恐怖。

 それらが忍の中で交錯していたのだ。


 極力考えないようにしても、それは容赦無く忍の脳裏を駆け巡る。

 夢の中でさえ、訳の判らないモノがこうも続いていると言うのに、まるで追い討ちをかけるかのように不審者との遭遇。


「くそっ……なんだってんだよ!」


 考えても埒が明かず、思いきり壁を殴り付ける。

 ドゴ……という低く鈍い音が、夜の闇に響いては溶ける様に消えて行く。

 殴り付けたまま壁に押しつけた拳は、肩の骨までギリギリと軋んだ。


「――――忘れよう」


 無意識に、小さくそう呟いた。



 あいつのコトは忘れよう。


 あの禍々しい程の殺気は忘れよう。


 深く考えるのはもうやめよう――――


 よし、と自分を無理矢理に納得させ小さく頷くと、血で赤く滲んだ拳をポケットにしまい込む。


 時刻は間もなく夜の9時。既に喧騒さえも消え去ろうとする街の中。静寂に満たされた闇の中を、黒霧忍は自宅に向かって這う様にゆっくりと歩き出した。



 ◇


 高層ビルの屋上。

 そこは暗闇に覆われただけの空間で、まさに異世界にすら感じられた。


 そんな闇一色のビルの上、白いローブ姿が一つ。ポツリと立っている。


 不思議なコトに、ローブ姿が立っているそこだけは周囲の黒をかき消す様に明るい。


「――――」


 無言で見下ろす視線の先、先程の茶髪の少年が力無く暗闇の中を歩いて行く。

 上空から見下ろすソレは豆粒と思える程に小さかった。

 ましてやこの暗闇の中で、ソレを事細かく捕らえるコトは、人間の肉眼では殆ど不可能に近いのだが――――



 少年の姿はやがて建物の影へと消えて行き、完全に視界から消え去った。


「――――」


 言葉は無い。ローブ姿はさっきまで少年が立ち尽くしていた暗闇を、ただ上空から見下ろすだけ。


「思わぬ標的が増えた……いつからこの世界は、あんな化け物共の巣窟になってしまったのだろうか……」

 呟く小さな声。そこに感情なんてモノは微塵も無い。


「……」

 再び訪れた沈黙。そろそろ街も、直に眠りに付く頃だろうか。

 街の人々だって馬鹿では無い。猟奇殺人が頻繁に起きているこの街で、あまつさえこんな時間に外へ出るような自殺行為をする人間などいないだろう。

 皆自分の命が大切なのだから、他人より。恋人より。

 それをみすみす捨てに行くコトは絶対にしない。


 点々と点いていた建物の明かりも、時間が経つにつれてその数も減っていく。


 ――――突如上空で起きた突風が、顔を覆っていたローブを強引に捲し上げた。


 暗闇の中、露になったローブの中の顔。

 それはまだ幼さの残る少女の繊細な顔立ちで、未だ微かに吹く風が、その長い前髪を優雅に靡かせて見せる。


「Novem、レイン。配置に着きました。狩りを開始します――――」

 さっきまでとは感じの違う少女の声。暗闇に佇むソレは、誰に対してでも無くそう呟くと、少しだけ口許を緩めて微笑んだ。


 そう―――

 夜が更ける今、奴等は行動を開始するのだから。

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