第一章・一語一会

10月25日(金)プロローグ~黒い影~

 2月初頭。街は何年ぶりかも思い出せないくらい、久しぶりの大雪に見舞われた。

 雪は二日に渡って降り続け、一面は幻想的なまでの銀世界。降り止んだ今になっても尚、空は灰色一色に覆われていた。


 午後三時過ぎ、まだ日没に時間があるにも関わらず、街を行く人の姿はおろか、車の通りも全く無い。

 本当に街全体が死んでしまったみたいで、生存者は自分一人……そんな気にさえさせられる。


 積もりに積もった雪の層は、足首までもスッポリと飲み込んだ。

 雪を踏み付けて歩く度に発せられる『サクッ』という音が、耳に届いては消えてゆく。


 そもそも、こんな日に自分はどこへ行こうとしているのか、それすらも分からない。



「……はぁ……はぁ――――」


 口から出て行く息が、白い靄となって虚空を舞った。

 活気の無い死んだ大通りを横目に、俺の体は何かを求め、さ迷うように、誘われるように、ただただ前へ前へと進んで行く。



 楠木運動公園。

 俺は静かに公園内に足を踏み入れた。

 この楠木運動公園は、俺の街で唯一の大きな公園と言っていいだろう。

 有名なマンモス校の校庭を、丸ごと押し込んでもスペースが残るくらいの、公園と言うよりは一つの広大な庭園。

 公園の中には夜間でも行えるナイター設備のついた野球場、サッカーグラウンドにテニスコート。剣道やバドミントン、卓球等の屋内競技も常時行える総合体育館が設置されている。


 利用時間も朝6時から夜の9時までと幅広く、料金も格安な為、昼夜問わず不特定多数の人間がその設備を利用していた。

 しかしそんな公園も、一面が雪に覆われては利用する人の姿は無い。

 ただでさえ空は薄暗いのに、無駄に広いこの空間がこんな雰囲気になってしまっては、逆に不気味にさえ感じられた。

 それでも俺の足は止まらない。


 変わらず、サクサクと雪を踏み付けて進んで行く。

 ふと、俯いた顔を上げて目に止まった総合体育館前の大時計は、午後4時を指している。



「まったく、何やってんだ俺は……」

 意味も無く行動する自分に嫌気が差し、思わず自分に文句を漏らす。

 呆れながらも、やっぱり俺は足を前へと動かした。自分の本心と自分の行動の矛盾には、正直呆れる事しかできない。



 気がつけば、俺は広場まで歩いていた。

 足を止め、黙って雪の積もったベンチを凝視する。



 広場はこの敷地内のほぼ中枢部にあり、普段は利用者達の休憩場として使われていた。


 視界は見飽きる程、360°どこもかしこも変わらず白一色。いい加減見ていて目が痛くなる。



 ザシュ……


 奇音に思考を遮られ、反射的に音のした方を振り向いた。


 白一色の世界に一つ、黒い影が入り混ざっている。

 俺はそれが、本日初めて目にした人影だと理解した。



 距離にして200mくらいだろうか。

 結構距離があるにも関わらず、人影はやけに大きく見える。



 別にそいつと話をしたい訳でもなかったのだが、何を考えたのか俺は再び歩き出した。



 170m、150m――――


 一方的に距離を縮めて行く。

 影はその場から動かない。



 100m、80m、75m――――


 人影の姿形をはっきり捕らえた所で、俺は足を止めた。

 髪は長いが、体格から推測するに性別は男性。身長は190cmと言ったところか。かなりの長身だ。



 何よりも目を疑う事。

 男はこの冷たい雪の中、黒い着物一枚で立っていた。寒くないのか。なんて、そんな事は頭に無い。



 それよりももっと。もっと印象の強いモノが視界に飛び込んだのだから。



 ……とにかく赤い――――


 俺はそれを確認したくて、もう一歩だけ踏み出した。


 男の足元の雪は白くはなく、ただ純粋に真っ赤。

 地面だけでなく、その男の手も、顔も、露出した部分全てが赤い。



「―――は……あ……」


 息をすることをすっかり忘れていた体が思い出したかのように声を上げた。

 しかし、さっきまで当たり前のように機能していた俺の手足はピクリとも動かない。



 男は静かに俺の方に視線を移すと、ジッ……と獲物を狙う肉食獣の様な鋭い眼指しで見据えて来た。そこに言葉は無い。


 男は九十度、俺の方に体を振り向けた。

 その右手には、何か得体の知れないモノを持っている。

 それはボーリングの玉ほどの大きさで、蛇口の緩まった水道の如く、赤い液体を滴らせている。



 早く逃げろ――――



 逃げないと殺される――――



 そいつが手にしているのは人の頭――――



 さっきの奇妙な音の正体はソレだろう。


 目の前にいるのは人殺し。逃げなければ、今度は俺が殺される――――



 全身がビリビリと危険信号を出しているにも関わらず、俺の体は電池が無くなった機械みたいに動かない。

 男は生首を手放すと、一歩一歩、確実に俺の方に近付いて来る。

 しかもその歩幅は尋常でなく、わずか数秒足らずで俺の目の前に立ちはだかった。


 男は一言も喋らない。


 ただ動けない俺を前に、無機質な瞳を突きつけ、その大きな手を静かに伸ばすだけ。


 伸ばされた男の手は、俺の頭をガシッと鷲掴みにした。そして握り潰すように、ジリジリと力を込めてくる。

 抵抗したくても、体は金縛りにあったように動かない。


 何も抗うコトができないまま、薄れゆく意識の中、俺は苦し紛れにも何の解決にもならないコトを口にしていた。


「……お前は、なん――――」


 言葉の途中で、


 ピキッ――――


 と、頭蓋骨が悲鳴を上げた。力は容赦無く込められる。



「ぐっ……」


 痛みを堪えようと歯を食いしばっても力は入らず、逆に男の力は強まった。


 このオヤジ、俺を握力測定機と間違えてるんじゃねぇのか……?


 ピキッ……ピシ……――――


 心の中で馬鹿なコトを考えているうちにも、頭蓋骨の悲鳴は断末魔へと変わって行く。

 俺の頭部が握り潰されてただの肉片になる間際、男はその血に塗れた口を開いてこう言った。


「アサギクオン――――」

 なんかの呪文か? それとも男の名前か。

 言っても尚、男は俺の頭を掴んで離さない。



 ブーッ、ぶーッ、ブーっ、ぶーっ……


 その時、傍らで何かの音がした。

 音は、ここではないどこか別の場所で鳴っている。

 そのまま何秒と鳴り響くと、それは単調な機械音に変わった。



 ――――ピーーッ……


「てめぇ忍! 学校サボって何やってんだ! 早く来いよ、こんにゃろぉお!」

 聞き覚えのある電子音と男の声が、灰色の空から聞こえて来る。


 学校サボって何やってんだ――――


 その言葉に、俺は今までのコトが夢だと気付かされた。

 そのまま吸い込まれるように、ドロドロとした嫌な夢の世界から、現実に引き戻されていったのだった――――



 ◇

 雨が降りしきるその日の夕方。

 メールで『学校帰りに寄るから』とだけ連絡をよこすと、犬神咲羅いぬがみ さくらは本当に制服姿のまま、傘を片手にやって来た。


「こんばんは。体は大丈夫?」

 玄関で傘を畳み靴を脱ぐ。


「お前、マジで押しかけかよ。おばさん達だっているのにさ……」

 俺はそんな咲羅の動作を見つめながら、壁に寄り掛かって毒づいた。


「まるで迷惑みたいな言い方じゃない。大体、忍が学校休むのがいけないんだからね?」

 と、咲羅は顔をしかめて俺に言い返す。

 そして靴を揃え、誰もいない廊下にお邪魔します。なんて、イイ子を着飾った様に言い放った。


「全く……後でからかわれるのは俺なんだからな?」

 そうだ。もしおばさんに、俺に彼女がいるなんて知れたら、

『まぁ、彼女がいたのね。今度会わせなさいよ! どんな子なの? 写真ないの?』

 なぁんて詰め寄られるに違いない。多分絶対間違いない。

 正直、俺はおばさんのそんな所が苦手だった。


 そう、おばさんなのだ。そもそも、俺こと黒霧忍くろぎり しのぶは、小学6年生の時に交通事故に遭ったらしい。


 おばさん曰く、家族で出掛けていたところ、何かの拍子でうちの車が反対車線のトラックに突っ込んだそうだ。

 そのまま父と兄は帰らぬ人となり、母と妹、俺の三人は奇跡的にも生還――――


 女手一つで俺達兄妹を養うのは無理だろう。

 そう判断した親戚の黒霧が俺を引き取ってくれたという訳だ。


 チラッと、俺がリビングの方を盗み見ていた隙に、咲羅は黒く長い髪を靡かせて、一足先に階段を上って行く。


「――――ったく……」


 俺は小さく溜め息を漏らし、彼女の後を追って階段を上っていった。


 咲羅に続いて部屋に入ると、彼女は俺の目の前で電光石火の如く速さで俺の布団に潜り込んだ。

 そのまま静かに、その身を丸くする。


「お前……一体何しに来たんだよ……?」


「わかんないかなぁ……この冷たい雨の中、私は忍の事が心配だったから、頑張ってここまで来た訳ですよ? こんなに冷えきった、か弱き乙女の体を暖めるには毛布しか無いでしょう。それとも忍の部屋にストーブでもあるのかなぁ?」

 なんて、嫌味ったらしく言いながら咲羅は俺の部屋を見回した。

 生憎、この部屋にはストーブなんて気の利いた暖房機具は無い。暖を取るにも布団しかない。


 俺は少しでも彼女から距離を置こうと、少し離れた床に座り込む。

 そんな俺を見ると、咲羅は人差し指を立てて尋ねて来た。

「ときに忍くん。今日は何故学校を休んだのかな?」


「別に……ちょっとダルかっただけだよ」


「また、変な夢を見たの?」

 言って、咲羅は壁に背中を預ける。



「あれ、お前にそのコト話したっけか? どうも最近物忘れが酷くてよ……」

 咲羅に夢のコトを話した覚えは全く無い。

 思いもよらぬ話に、思わず俺は目を丸くした。


 俺が話したのは――――


「神童くんから聞いたんだよ。忍はその夢を見た日は、毎日起きないでずっと布団の中なんだと、って。あんまり詳しくは聞かなかったけどね」


「やっぱりあいつか……」


 神童一しんどう はじめがその話を、


「この秘密を知っているのは俺だけ!」


 と言わんばかりに得意気に話したんだろうなぁ。


 取り立てて説明するほど重要なキャラでもないが、最初だし、一応神童について簡単にだが、説明しておこうと思う。



 中学校以来の付き合いで、悪友。



 と言った感じだ。



 文字数に少し余裕があるのでもう少しだけ詳しく言うと、俺が黒霧に引き取られ、こっちに来たのが中学1年の夏。

 その時、一緒のクラスになったのが始まりで、かれこれ四年以上の付き合いと言う事になる。まぁ言ってしまえばただの腐れ縁って奴よ。


 中学、高校とも一緒になれば、嫌でも奴の話す時の挙動、反応も大体イメージ出来てしまうというワケだ。


「……忍、聞いてるの?」

 と、咲羅がベッドから身を乗り出して問い掛ける。


「ん? ああ、悪い。何だっけ?」

「その夢って、どんな感じなの? って聞いたの」

 彼女の目は好奇心に満ちていた。

 他人事だと思っているんだろうが、所詮他人事なのだから仕方が無い。



 俺はその夢の事を、できる限り鮮明に話してやった。

 話を聞いている時の咲羅は、まるで子供が親に絵本を読んでもらっている時の様に、純粋な目をしていた。俺は咲羅のこういう所に心から惹かれ、咲羅がピンチになった時。


 絶対に助けに行ってやりたい――――


 と、素直にそう思えるくらいなのだ。



「何なの、アサギクオンって? 名前?」

「俺が知りてぇよ。なぁんか胸糞悪いんだよな。見ず知らずのオヤジに殺される夢なんてさ。それに、今までは二ヵ月に一回くらいだったのに、最近じゃ三日に一回のペースで見てる。俺の単位足りなくさせる気かっての」


「だから最近休みがちだったんだ……

 今までは、って……結構見てるんだね。いつ頃から見てるの?」

 言いながら、彼女はベッドから降りてくる。そのくせ、毛布はマントの様に羽織ったまま、俺の隣りに座り込んだ。


「いつ頃だっけな……」

 昔から見ていたのは覚えているのに、いつ頃から見ていたのかが思い出せない。

 俺は人差し指を口に当て、黙って考え込んだ。


「……引っ越してくる前から、とか?」

「いや、それはない」

 咲羅の意見を一刀両断。俺は即答してやった。自分の意見を一秒と経たずに否定され、咲羅は、なんでなんで……?と子供の様に問い詰める。



「……だぁ、もう。これはお前に言っただろうが。俺は事故に遭ってからって言うもの、事故の時の事も覚えて無ければ、それ以前の記憶も無いんだよ。だから前の家族の事も全く覚えていやしねぇ……おばさんやおじさんに聞いたって、大して教えてくれねぇしさ……」

 正直、意味がわからなかった。

 別に自分の家族の事なのだから、少しは教えてくれても良いと思う。


 腑に落ちない事と言えば、もう一つ。

 当時は全然気にもしていなかったが、俺をただ引き取っただけの黒霧が、俺の姓を黒霧に改名させた事だ。

 ただ引き取っただけなのなら、別に前の姓のままでも良かった気がするのだがね。



「ちょっと……また考え事?」


「え……――――」

 再び考え込んだ俺を見兼ねたのか、すぐ目の前に咲羅が覗き込んでいた。


「ひどくなーい? 彼女が目の前に居るのにずっと上の空」

 突然至近距離に現れた彼女の膨れっ面に、俺は目をパチクリさせ、頬を赤らめながら逃げるように立ち上がる。


「ほほほ、ほら……もう外も真っ暗じゃねぇか! 最近物騒だし、そろそろ帰った方がいいんじゃねぇか? 家の人だって心配してるだろうし……」

 と、自分でも情けなく思える程、本当に逃げてるとしか思えない事を口にする。


 俺の言葉に咲羅は顔を曇らせるが、俺の言ってる事も尤もなのだ。

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