第9話「……ありがとな、玲奈」

「ありがとう、すまん、長くなった」


 そんな言葉を一つ、深呼吸と一緒に吐き切った私。

 その後に続く彼女の言葉を待つ。


「そう、だったんだ」

  

 玲奈はそう、ただ私をじっと見つめて言った。


 いつの間にか隣を歩いていたその歩は止まっていて。

 私たちは互いを見合うように立ち尽くしている。

 しばらく。

 そのままの格好が続いて。

 そして、彼女は笑った。


「わかった。……うん、理解した、できた」


 言葉を吐いて、いつも通り。

 彼女は頷いた。

 変わることなく、変化することなく、

 彼女の様子は……変わらない。

 変わらないのだけれど、それでも私は何かが変わったように感じた。

 太陽から降る夏は未だ変わることなく私たちを照らしているけれど、しかしその体感は下がった気がした。

 涼しかった。

 風もないのに。

 ただ……なんとなく、後ろが涼しかった。


 それほど——

 それほどに、彼女の顔は変わらなくて、

 それぐらい、彼女の表情は動かなくて。 

 雰囲気は——掴めない。


「なるほど、そうか……。あの時、奏はそんなことになってたんだ。全然、気づかなかった。気付けなかった」


「玲奈……」

 

 だから私は——

 彼女に引かれたのだと思った。

 

 友達として、

 距離を、取られたのかと思った。

 その寂しさ故、その涼しさだと考えた。


 わかっていた。

 これを言って、受け入れてくれる人間が特殊なことぐらい。異常なことぐらい。

 それこそ、そんな事実を知って、普段と変わらず、近づいてきてくれるのは……悔しいけれど、あいつぐらい。

 あの変人極まりない狂人ぐらいだ。

 

 思い出す。

 おばさんやおじさんとの距離の感じる会話と、役所お姉さんの声が、頭に想起される。思い起こす。


 ——大丈夫?


 ——大変だったんだね。


 ——よくがんばったね。


 ——我慢しなくていいんだよ。


 ——辛かったね。

 

 ——もう……大丈夫だから。  


 あれから。

 私が保護されてから。

 一体どれほどに、そんな声がかけられただろう。

 あんなな言葉。

 柔らかい言葉。

 穏やかな言葉。

 

 優しさの顔を被った——『拒絶』の言葉。

 

 まるで——柔らかなナイフのように。

 それは私の心に入り込んできて、

 臓を切れ込む。

 ゆっくりと、

 筋をなぞるように。

 気づかぬように。

 いつの間にか。

 私の心を、壊していく。

 

 ——言うべきでは、なかった。


 今更。

 今更すぎる後悔が頭をよぎる。思う。


「大変、だったんだな。辛かったんだよな。ずっと……一人だったんだな。気付いてあげれなくて、ほんと……ごめん」

 

「…………」


 きっと——今日だから。

 今日が特別な日だから。

 あいつが告白してきたから。

 昔を思い出したから。

 玲奈と一緒に帰ったから。

 玲奈があんなこと言ったから。

 

 だから……私の口は滑ってしまったんだ。


 言い訳をのべつまくなし、並べて自責からの逃れようと試みる。

 けれど、

 それでも最後、客観性として、私が彼女に語ってしまったという事実だけが残って。

 私を押しつぶした。

 

 玲奈は未だ、笑顔のまま。

 私を見つめ、口が開いた。

 

「——なーんてことは、正直そんなことは全く考えてないな」


「……は?」


 思わず飛び出た間抜けな音。

 きっと表情も同様ひどく歪んでいることだろう。

 彼女はなんでもないことのように言葉を並べる。


「え、うん。やっと止まったから言うけどさ。……え、何、どうしたの、お前。いきなり喋りだして。語り出して。気でも狂った?」

 まあ夏だし。

 暑いから仕方ないかもしんねえけども。

 

 と。

 本当になんでもないようにまた言った玲奈に、これまた私もまた、間抜けな声を出してしまう。


 疑問の声と感嘆符の入った一文字を吐き、そしてセリフを述べていくも、しかしずっと彼女は変わらず、かったるそうな顔を浮かべながら最後、


「いや……そんなこと言われましても」

 

 なんて。

 心外だと言わんばかりに、唇を尖らせた。


「冷静にいきなり自分語りを始めるのはなかなかやばいやつだと思うわけよ。自分語りっていうか……過去語り? っていうのか、これ。まあ知らねえけど。興味もないけども」

 いい加減にしろよ、馬鹿。


「武勇伝ですか。不幸自慢ですか。私たち、もう高校生なんだぜ?」

 

 あくまで変わらず、

 変わらないまま、玲奈は続ける。


「まあ確かに……お前の過去に何があったのかは、まあ興味なくはなかったし、知りたいことではあったよ。だから適度に相槌はしたし、聞きたいことは聞いたけど、さ。……でもお前はそれから何をしたかったの? 私に、何をどうして欲しかったの?」


「どうして、欲しかった……?」


「どうして、っていうか、お前は何か思って欲しくて、考えて欲しくて、その上で、私から変に特別な言葉でも欲しかったのかよって——そう聞いてるんだけど」


「……いや、別にそういうことじゃ」

 ないんだけど。

 

 と。

 事態の収集が頭でできていないままに私は言葉を吐く。

 れいなは大きく頷いた。

 


「あ、そ。んじゃあもうこの話終わりでいいな。……よし、じゃあ奏、今日どこ寄るよ?」


 呆けた様子の私をおいて、玲奈は前を歩き出す。

 慌てて手を引いて彼女の足を止める。

 言葉をかける。

 自分でも形になっているとは思えないほどに不安定な疑問を、彼女に投げる。ぶつける。

 心底からめんどくさそうにする彼女は、何度かごねたまま、ついには私を置いて帰ろうとさえしたのだけれど、それでもきっと、最後にその足を止めたのは、きっと、募った苛立ちのせいだろう。


「いや、だからな——」


 なんて。

 そんな荒げた声を契機に声を出す。


「お前が言ったことって、要はつまり全部終わったことだろ? お前の過去にあったことで、今のお前に関係のないことだろ? 現在進行形で問題抱えてるってんなら一緒になんとかしてやれるけど、でも、お前が言うそれはもう終わったことなんだろ?」

 だったら——


「だったら——もう全部どうでもいいだろうが。そりゃ確かにあの時に気付けなかったことは悔やんでるし、悔しいし、後悔だって何度もしてるけど、それだって本来全部、どうでもいいことだろうは」 


「……どうでもいい?」


「ああ『どうでもいい』な」

 心の底から。

 どうでもいい。

 

 そんな風に強くセリフを繰り返し、なおも疑問を浮かべる私の顔に向けて、「あーもう!」と、舌打ちを混じりに玲奈は言う。


「……あのなぁ? 別にお前の身に何があろうと、どんなことがあろうと、私の中で、お前は生涯ライバルなんだよ。わかってんのか?」


「……は?」


「だーからっ……!」

 

 また、我慢していた堰を切ったように彼女は怒鳴る。

 

「お前が過去に何しようが、何されてようが——私にはなんら全部関係ねえって言ってんの! そんなことは全部私にとって『どうでもいい』過去なんだよ。大事なのは『今』で、お前が私のライバルで、友達で、そして——今からファミレスで駄弁る私の相手だってこと。それだけだアホ!」

 こんなことを一々私に言わせんな!


 呆けたままの私を放って、

 信じられないものを見る目をしている私を横目にして、

 ただ、本当——当たり前のことのように風に言い切って、

 掴まれた手を乱暴に離す。

 私はまだ、彼女に目を向けたまま、彼女を見たままだった。

 だからこれは無意識で、私はその名を呼ぶ。


「玲奈……」


「……なんだよ。言っとくけど、お前が何を思ってようとこれだけは譲らねえからな。確かに今は試験じゃ勝てそうにもねえし足元にも及ばねえ順位だけど……それだって、いつの日か私はお前を抜くし、大学だってお前よりもいいところ行くっての」

 

 そう指さしつつ、私に向かってはいた彼女。

 その姿に私の口角は久しぶりに自然と上がった。


「…………そうだな」


「あ? 何笑ってんだお前。馬鹿にしてんのか?」


「すげえ、よくわかったな」


「なんだとっ」


「玲奈ごときが越せるわけねえじゃん。私、前回もこの国で一位だぞ」


「ふんっ。せいぜい調子に乗っとけ。私は亀型なんだ」


「別に私はウサギじゃないが」


「大器晩成とも言うな」


「自分でそれ言うやつで、晩成したやつ、私知らない」


「頑張れば夢はきっと叶う、って言うし」


「頑張らなくても一位は取れるけど」


「……本当お前はむかつくやつだなぁ」


「まあね」


 そんな会話。

 いつもの会話。

 それを展開しつつ、私たちは隣を歩く。

 互い、顔は見ないで、歩いていく。


 その中、 

 聞こえるか聞こえないかぐらいの声で。

 聞こえなくてもいいぐらいの声で。

 横の親友に。

 孤独を殺した——そんな自称ライバルに。

 私は言う。


「……ありがとな、玲奈」


「——で、奏。今日、どこ行く?」



最後、前を向いて歩き出した彼女のそれが、私の礼に対する照れ隠しであることが分かったのは、その後のファミレスでだった。


 

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『彼を好きになれない』という人に向けた十万字の小説 西井ゆん @shun13146

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