第6話「——いや、無理だから」 

 夏。

 

 目の前に新緑が落ちた。

 落ちて、地面に埋もれた。

 それは比喩的にもそうだったし、実際的にもそうだった。

 目の前の男子が、揺れる木の下、私に頭を下げている。

 当時のように、その顔は赤らんでいることはない。爽やかな短髪頭はしっかり止まったまま綺麗な姿勢だし、体温は平熱だろう。

 こんな暑さだというのに、汗一つかかないその新陳代謝は驚嘆すると同時、普通に女子として羨望を覚えてしまうけれど、しかし逆に、あのむかつくにやけ顔までも涼しげで変わっていないとするならば、長年一緒に過ごした経験上、無意識のうちにそんな予想立ててしまえばしまえば——はてさて。

 先ほど浮かべた私の羨望な感情は一転、怨恨深い感情に彩られた。


 木から、そして地面へと落ちていったその葉たちを無感情に見つめつつ、また、私は言う。


「——いや、無理だから」 

 

「……だよね〜」

 

 私の予想の通り。

 彼の表情は笑顔のまま。

 朝がけに見た敵意の喪失させる笑みのままだった。


「まあ、正直分の悪い勝負だとは思ってたんだよ。手応えも全然なかったし」


「ただでさえ勝率ゼロの勝負の部が悪いのを、どうしてお前は手応えなく挑めるんだ」


「可能性はゼロじゃないし」


「ゼロだよ」 

 これまでも、これからも、いつまでも。 

 

 視線を切って反対側に歩き出す。

 すぐの足音で、彼が寄ってきたのがわかった。

 いつものこと。

 毎月のこと。

 私の視線は後ろに向くことなく、前だけを見て。

 彼に声をかける。


「てか」


「ん?」

 

「お前、いつまでこんな茶番みたいなことを続けんだ」


「茶番じゃないよ」


「茶番だわ」

 

 隣に並んだ彼を小突くように軽く殴る。

 これまたいつも通り、彼はなんでもないことのように私の拳を受け、そして流した。

 舌打ちまじりに私は続ける。


「……毎月末、同じ人間の告白で呼び出されるこっちの身も考えろ」


「迷惑だった?」


「超迷惑」


「知ってる」

 

 彼は笑った。


「でも、やめないよ」


「…………」


「俺はカナデが好きだからね」


「……だからそういうのが茶番だって言ってんだよ」


 体感時間的にもう少しでホームルームだろうし、何よりも、ここは暑い。

 そりゃグラウンドというものは大体において暑いものなのだろうし、夏というものも暑い季節なのだから今更そんなことをグダグダ述べても全く仕方のないことだというのはよくわかっているのではあるのだけれど、それでも恨みがましく理不尽に文句を言うのは若者の特権だろう。


 そして、そんなイライラのまま、彼に言葉を向ける。


「私、何回も言ったよな。『今のところ誰とも付き合う気はないし、付き合ったこともないし、なんだったらこれからもその予定はない』——って、一体何度このセリフ言えばお前の頭は理解できるんだ」


「うん。そのセリフは確かに何回も聞いたね。理解もしてるよ。ただ、毎回聞き流してるだけってだけ」


「尚悪い」

 

 聞き流すって、おい。

 いや、聞けよ。

 それこそ私のことが好きならば。

 尚、聞けよ。


「……ったく」


 ため息一つ。

 汗ばむ晴れの下。

 私はその校舎を見る。


「中学の時からほとんど毎日さ。飽きるほど、嫌ってぐらいに顔合わせてるってのに」


「そうだね。最初に告白してからもう三年だ」


「この高校にだって私よりもいい女……たくさんいるだろうが」


「いなかったね〜。ゼロだったね〜。それならまだしも男と付き合ったほうがいい」


「おお、それはいい。それはいい。ぜひその花道に進みきってくれ」


「俺、何事でも妥協しない人生を目指してるからさ」


「早々に行き詰まりそうな人生だな」


「息詰まる人生ではあるだろうね」


「うまくねえぞ」


「知ってる」


 掛け合いの中、私たちは後者にたどり着く。

 指定された靴箱。上に並ぶ二人四組のプレート。

 そこにローファーを投げ込んで上履きに履き替えた。

 なんとも運の悪いことに、私たちは同じクラスであるし、その上同じ苗字であると言う不幸も重なって、だからすぐ隣に彼が来る。

 私は足早にそこから退いた。


「ちょっと待ってよ」


「嫌だ」

 

 ただでさえ、こいつと私には変な噂がまとわりついている。

 私は私で、中学時代から学業関連でそれなりの有名人ではあったし、反対、彼も彼で、バイク通学から始まり、教員パイ投げレース、女子風呂覗き、全校かくれんぼ大会主催者などなど、その他校則違反のオンパレードで異常なまでにその名前が知られていることに加え、さらなる肩書として、我が校陸上部きってのイケメンエースランナーというものまである有様。

 そんな。

 そんな二人が、毎月末にその二人が時折意味ありげな木の下、人知れず密会しているともなれば、これは間違いなく話の種ぐらいにはなる。

 少なくとも、退屈な日々に乾き切っている高校生の、カンフル剤としては有用な話題だろう。


 ということで。 

 まさか運動音痴が行きすぎて、最近体育教師陣から嘲笑の話題にされている私が、まさか彼から逃げ切れるわけもないのだけれど、それでも一応足早に。

 私はその速度を早め、階段を上った。

 

 うだるように暑いその校内の温度は、登るにつれて薄くなった。

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