第2話「天才ってのは別に褒め言葉じゃないと思うよ」

 目の前で花びらが落ちた。

 落ちて、地面に埋もれた。

 それは比喩的にもそうだったし、実際的にもそうだった。

 目の前の男子が、揺れる桜の下、私に頭を下げている。

 その顔は赤らんでいて、スポーツ刈りの頭は小刻みに揺れていて、彼の体温は高そうだった。

 事実、耳まで真っ赤である。


 木から、そして地面へと落ちていったその花びらを無感情に見つめつつ、私は言う。


「ごめん、無理」 

 

 セリフを最後まで言い切ることもなく、私は彼の前から立ち去った。

 そのとき私が考えていたことは、今日の献立と、お見舞いの締め切り時間。

 上を見る。

 今日はいい天気だな、なんて。

 そんなことを思いながら、私は桜を踏んだ。



 中学生というのは意外と厄介で、国から教育を受けさせてもらっているという建前がある分、サボることが難しい。

 無断で休めば、家に電話がかかってくるし、同級生がプリントを持って派遣されて来るし、親の職場にまで連絡がいくし、最悪、教師が数人で家にまで押し入ってくるまである。

 まあ、それら全部を、私はこの二年足らずの中学生活で体験してしまっているのだけれど、それでもなお私をこの学校という監獄の中に収監しようとする彼らのモチベーションはいったいどのあたりから湧き上がってくるのだろうか。

 生徒の出席程度で彼らにボーナスが出るわけもあるまい。

 

「――ねえねえねえ!」


 ということで。

 家で取れない分の睡眠をこうやって、HR前の休み時間に確保しようと、こうして机に突っ伏していたわけなのだが、それでも、どこのコミュニティだって空気の読めない人間というのはいるもので。

 私の机だけが限定的にマグニチュード七ぐらいで揺れ動いた。

 仕方なしに顔をあげる。

 そこにいたのは笑顔の女性徒。

 朗らかな笑みから見える口元で彼女の歯並びの良さがよく伝わった。


「……何」


「おはよう!」


「…………」


「おはよう、カナ!」


「……ねえ」


「何かな!」


「昨日ほとんど寝てないの」


「そっか!」


「朝もお弁当作らなきゃだったし」


「いつも大変だな!」


「家から学校まで一時間あるし」


「本当、奏の家って遠いよな!」


「だから昨日の疲れが全く取れてないのよ」


「なるほどな!」


「…………」


「…………」



 静寂。

 無言。

 クラスの中の喧騒が、色あせた背景になって散りばむ。

  

「……わからない?」


「わからない!」


「…………」


 本格的に声がうるせえ。

 人がこっち向くだろうが。

 

 相当な目つきを意識しながら半顔で、彼女を睨む。


「私、今、めちゃくちゃ眠いんだ」

 

「知ってる!」


「本当、二時間ぐらいしか眠れてないんだ」


「さっき聞いた!」


「まあ……だからさ」


「うん!」


「放っておいてくんない?」


「やだ!」


「…………」

 

 こいつ、いったいどうしてくれようか。 


 日常の中ではなかなか抱くことないそんな感情に、一瞬心が支配されてしまった今の私は、きっと、すごい顔を浮かべているだろう。

 しばらくそのまま彼女の顔を睨んでみるけれど、しかしそれでも、その表情は変わらず笑顔のままで、歯を見せたままで。

 その幼さの残った天真爛漫な様子は、だんだんと私の怒りを昇華していった。


 ため息一つ。

 対話への諦めと、そしてまた彼女との会話を継続させてしまえば、これ以上自分が目立つ羽目になってしまうだろうという戦略的視点から私は、視線を彼女から切り、また閉じる。

 顔を机に追いつける。張り付く。しがみつく。

 

 もちろん、その後も彼女の攻撃ならぬ、口撃(騒音と言ったほうがいいかもしれない)は続いたし、地震だってなおも超直下型で起こっているのだけれど、しかし、人間が自然に抗おうとするほうがバカらしいのは歴史が証明している。

 だから、私はそのまま机に張り付きつつの、衝撃を最小限に押しとどめる努力を続け、そして助けを待った。

 すぐにきた。

  

「玲奈ちゃーん」


 柔らかな声。

 穏やかな声。

 そよ風のように頬を撫でたその声の主人は、足音を小さめに立て、そのままこちらへ近づく。

 

「ダメだよー。奏ちゃん朝はいつも眠たいんだから。放っておいてあげないと」


「おお、千里じゃん! 元気してたか?」 


「昨日も会ったよね?」

 一日程度じゃ何も変わらないよ。

 変わらず普通に元気だし。

 

 トコトコと。

 小動物のような小さな歩幅でこちらまで来た千里は、私の机の前で足を止めた。


「ほら、奏ちゃん困ってるじゃん」


「困ってる~?」


「すごい迷惑そうな顔してるよ?」


「でも、こいつ、実はかまってちゃんだからなぁ。私が定期的に声かけてやらないと死ぬんだよなぁ」


「……私はウサギか何かか」


 いや、あれは都市伝説だったっけ。

 確かそんなことをテレビで見たような気がする。


「でも玲奈ちゃん。ウサギさんだって寝ないと死んじゃうでしょ。奏ちゃんだって今ここで寝とかないと死んじゃうかもしれないんだよ?」


「大丈夫。こいつ寝てないアピールしてるだけだから」


「…………」


 一体私が何のためにそんな意味のわからんアピールをしなくてはならないのか。


 いちいち突っ込むと面倒なことになるのは明白だったので、だから私は黙って突っ伏した。

 彼女らの会話は続く。


「こいつ、毎日毎日眠そうな顔ばっかして学校きたらいつも机にぶっ倒れててさ。どんだけかまってちゃんなんだって話だよ。千里だって見てるだろ?」


「まあ見てるけど……。でも。奏ちゃんは別に構って欲しいから寝てるわけじゃないと思うよ」


「いや、構って欲しいんだって。わかってやろうぜ? 奏みたいなやつの思春期ってそういう症状が出るもんなんだってさ。ママ、言ってたもん」


「玲奈ちゃんのお母さんが? ……あれ、そういうこと言う人だっけ」


「ああ! 家でいつも奏の悪口ばっか言ってたからな。勝手に変なイメージがついたのかもしれない!」


「風評被害の典型例みたいなことしてるんだね」


「だからまあ。その被害の責任をとろうと思ってな。どんなに邪険に扱われようと、私はこいつに声をかけ続けているわけよ!」


 顔も知らない友人の母親に、一体何をどう思われようと私の知ったことではない。

 むしろこうして頭に響く玲奈の声を聞き続ける被害の方が今の私には大きい。


 もうとにかく黙ってくれ。

 眠くて死にそうなんだよ、こっちは。

 

 そんな邪険な言葉を小さく吐いて、私は前を見上げる。

 心配そうな表情を見せつつ「大丈夫?」なんて。

 そんな優しい声をかけてきた千里と、そして悪魔のような微笑みの中、歯を見せつつ悪ガキのようにニヤついている玲奈。

 そのコントラストが、より玲奈への苛立ちを加速させた。


「というかさ」


 玲奈が口をすぼめる。


「そんなに眠いなら、もう学校来なきゃいいじゃんか。今のこいつ、ほとんど気絶しに学校きてるだけだぜ?」


「……できるなら私だってそうしたいっての」


「えー、ダメだよ! 奏ちゃん、また先生に怒られちゃうよ!」 


 身を乗り出して、千里は私の机を叩く。揺する。


「私たち、来年はもう受験だし……。公立なら内申だって結構大事なんだよっ?」

 

 その口調と、そして千里の性格を思えば、それは間違いなく本心から出た言葉なのだろうけれど、しかし如何せん、先日の期末テストにおいて全教科赤点という盛大な快挙を果たしたその成績を考慮してしまえば、綺麗なブーメランが返ってしまう。

 もちろん口には出さないまま、私は微笑みついでに彼女の頭を撫でた。


 馬鹿な子ほど可愛いとはよく言ったモノである。


「まあ、でもさ」


 玲奈が後ろの窓に寄りかかりつつ、後ろ手に頭を抱えつつ、言う。


「奏に限って言えば大丈夫だろ」

 

 その目は、遠くを見ていた。


「成績に限っても言ってもさ。……ねえ千里、こいつの受けた模試の結果、知ってる?」

 

 唐突に声をかけられた千里が、何か困ったかのような顔を一瞬だけ浮かべて、そして微笑む。

 口が開く。


「知ってるよ。当たり前じゃん」

 あんなに張り出されてて。

 知らない方がおかしいでしょ。


 と。

 苦笑いの視線は窓の外へ。

 校舎にある大きな垂れ幕には、どでかい文字と、ださいイラスト。

 

『祝! 中学全国模試一位!』 

 

 誰でもわかる。

 きっと正式名称はもっと長いのだろうけれど、それでも誰でもわかるようにデザインされた文字列に、一際大きい字での順位表記。


「本当——奏ちゃんはすごいよねー」


「…………」

 

 

 その垂れ幕下には——最悪なことに、私のフルネームがあった。

 

「まさか全教科万点なんて離れ技やっちゃうんだもん。先生だってひっくり返ってたじゃん」 

 

 千里の尊敬に満ちた視線が痛い。


 やめろ、触れるな。その話題。


「……マジで何の生き恥だよ。クソが」

 テストなんか、受けなきゃよかった。

 

 心の底からそう思う。呪詛のように口に出す。

 

 母さんがテストだけは受けとけなんて無理やりに学校に行かせたのがいけなかった。

 普通に無視していつも通りサボればよかった。

 そんなことを私は考えてしまうけれど、しかし実際、母さんに言われたことは大体従ってしまう性質の私ではあるので、間違いなくサボるなんてことはできなかったのだろうけれど。

 実際、こうして毎日足繁く学校に通っているのだって、そうなのだから。


 大きくため息をつく。

 

 あんなものが掛けられて以降。

 私の足は一層学校に足が運びにくくなった。


 こんな何もない田舎である。

 あんなデカデカとけったいな垂れ幕がかかれば噂は町中に伝播する。


 学校ではよくわからん先輩や後輩、他校の連中にまで絡まれ、疎まれ、嫉妬され。

 町では知らないおっさんから婆さんまでが、私の名前を知っていて呼んできて。


 毎日毎日、誰かが声かけてきて。


 道を変えようにも、私の住まう地域は基本的に帰り道は整備された大きな一本道以外ない中途半端な田舎なので、おいそれと遠回りなんかしていたら帰るのはほとんど夜になってしまう。

 買い物一つろくにできやしない。


 私が抱えている寝不足の一因もそれだった。


 そんな私の恨み言に一蹴するように「はっ」と声を荒げた玲奈はその調子のまま、私を見下ろす。

 反対、心配そうな面持ちを崩すことない千里も、その丸く優しげな目元を麗して、机下から私を見上げる。

 

「あー嫌だね嫌だね。そうやって『そんな大したことないです私』アピールするやつ、本当嫌だ」


「やっぱ奏ちゃんはすごいなぁ。ねえねえ、私にも勉強教えてよー」 

 

 数少ない私の近い友人であるこの二人が特段関係性を変化させることなく私とこうやって会話をしてくれることは、きっととてもありがたいことなのだろう。

 でもそれとこれとは全然別の話で、つまり、今は眠いので普通に放っておいて欲しい私だった。

 ……あと、玲奈は死ね。

  

「でもなぁ。全国の同級生中一番、頭がいいやつが普通に同じクラスで友達やってるってんだから、信じられねえよな」


「そうだよね。なんか現実感がないっていうかさ」


「……知らねえよ」

 

 私はふてくされたように、また机の上に寝転んだ。

 

「あんなのほとんどたまたまだっての。適当に問題文読んで、見て、考えて、書いて。そんなのをやってたら誰だって取れるんだよ」

 何でもかんでも順位つけやがって。

 世の中、どこまで馬鹿なんだ。

 資本主義もいい加減にしろ。

 

 そしてまた。

 呪詛を並べて宣って。

 私は顔を腕に埋めた。


 千里は「すごいなぁ」なんて、純真無垢なままに尊敬な表情を私に向け、反対、玲奈は苦虫を噛み締めたような微妙な表情を浮かべる。


「あーもう本当、お前はマジでむかつくやつだな」


「…………」

 

 彼女に目を向けず、外に目をやる。

 垂れ幕の向こう。

 その先にある大きな一本の桜。

 先ほど自分が立っていた位置に焦点を当てて、私はそこを見ていた。

 

 玲奈は続けた。


「今のお前みたいなな。自分の偉業を『大したことない』みたいに心の底から振る舞える奴のことを、世間では『天才』っていうんだよ。『異才』とも『化け物』だっていうけど。まあほとんど近似だ。……それともなんだ、天才様。実はお前は凡才で、暗にはもっと色々な人から褒めて欲しい——なんてそんなふうに考えてるのか?」


「……んなわけ」


「じゃあ、そんな嫌味なことはいちいち口に出すなって。じゃないと周りは一層お前のことをもてはやすぞ。……まあ私は別にお前と競う気なんかさらさらねえけど。それでも、やっぱ、お前みたいなやつって見てて腹立ってくる奴だっているわけだし」


「腹立つ、ね」


「……何だよ。文句でもあるか?」


「…………」

 いや別に。

 

 そういえば。

 私は思い出しつつ、予想立てる。

 

 彼女がいつにもまして今回勉学に励んでいたこと、昔テスト妨害の一環で私に話しかけ続けていたこと、それからこんな朝の時間に彼女と話すことが日課になって行ったこと、そして——今回の模試における彼女の全国順位が三十位であったこと、それらを思い出しつつ。

 だからきっと、玲奈は私の態度を見て、一層な腹を立てるのだろう――なんて。

 そんな予想立てしながら。

 私は口を開いた。


「でも」


「あ?」


「天才ってのは別に褒め言葉じゃないと思うよ」


「……あ?」


「むしろ私には悪口にすら聞こえるし」


「……何言ってんだ、お前」


「…………」

 別に。


 と。

 私は応えた。

  

 

 タイミングよくチャイムが鳴って彼女たちは席から引き上げた。


 当初そうしようとしていた通り、私は顔を完全に腕に埋めて、体を脱力させる。

 意識を失う前、

 その前に少し、

 れいなに私がなんて言葉をかけようとしていたのかを考える。


 天才。

 異才。

 化け物。


 彼女はどうやらそれに憧れているみたいだし。

 あまつさえ、私はそれにカテゴライズしてくるけれど。


 でも、それ――って。

 まあつまり。

 私は普通じゃないってことで。

 普通になれないってことで。

 普通でいられないってことで。

 

 だから、それって——とても寂しいことじゃないか。

 

 ——なんて。

 そんな言葉をいうわけもなく。


 玲奈を怒らせるだけなのを、察せないわけもなく。


 いよいよ限界を迎えた私は、ほとんど気絶と同義語な睡眠をとった。

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