自動車

 妙な夢を見た。


 ある会社の人……よく現場でお世話になっている実在の人物……の運転する車に同乗して、昆虫類調査を行う現場にたどり着く。


 同行者は先に準備を済ませて調査に出発し、自分は少し遅れて車を離れた。

 車に背を向け歩くことしばし。背後からパリパリという音がする。

 振り向けば、誰も乗っていないはずの車が坂道を下り始めていた。


 おそらくサイドブレーキの引き忘れであろう。何を隠そう、筆者もかつて一度やらかした事がある。


 運転手もいないのに曲がりくねった山道を脱輪もせず下ってゆく車を追いかけ、鍵の掛かっていなかった助手席のドアを開け、サイドブレーキを引いて何とか停車させたところで目が覚めた。


    ◆


 その夜は疲れていたのか、仕事を終えて夕食と入浴を済ませた午後9時頃には睡魔に襲われた。

 寝る前に『今日の昆虫』の更新をしたかったのだが、もうそれどころではなかった。


 布団に横たわり、朦朧もうろうとする意識の中、以前読んだある文章を思い出す。

 とある作家は、夢で見た光景をもとに小説を書いていたと。

 誰が書いた何という小説なのかは記憶にないが、とにかくそんなことを考えながら眠りに落ち――。


 そして、冒頭の夢を見た。


 というわけで、そろそろ環境調査員の話もネタが少なくなってきたところなので、今回は現場で使う車の話をする。


    ◆


 一般的には、大学時代に運転免許を取る人が多いのだろうが、自分は運転に自信がなかったので免許は取っていなかった。

 必要があるときは、教授かサークルの人に乗せてもらっていた。


 就職の時になって、採用の条件として運転免許の取得を提示された。

 まあ当然であろう。公共交通機関などないようなところ、場合によってはこれから公共交通機関を作るところに行かなければならない。

 当然自動車は必要だ。他の社員に乗せてもらうばかりというわけにもいくまい。


 というわけで 就職前に教習所に通って勉強することになった。ただし、取得に際してはより簡単なオートマ限定を選んだ。

 免許を持っていない方にはわからないかと思うが、簡単に言うと自動車はマニュアルとオートマチックの二つに大きく分けられ、より運転が簡単なのがオートマである。

 そして免許の方も、両方を運転できるものとオートマ限定のものがある。要はより簡単な方を選んだのだ。


 運動は苦手だったせいか、免許の取得も人より時間が掛かってしまった。

 教習所の教官には「オートマ(つまり簡単な方)でよかったねえ」などと言われた記憶がある。

 なぐさめか、あるいは挑発か哀れみか、もはや知る由もないが、ひとまず「そうですね……」と答えた。

 しかし内心では(車の免許など取らなくて済むものならそれに越したことはない)などと考えていた。下手なのは重々承知の上なので、怒りなどはない。


 それからも色々あり、おかげさまでその後二十年以上、脱輪や自損、もらい事故はあったが、人身事故は起こしていない。


    ◆


 会社員になってから数年後。

 ある現場にレンタカーで一人で赴いた。山道の少し広くなったところに車を止め、昆虫類調査の準備をして車を離れる。


 車に背を向け歩くことしばし。背後からパリパリという音がした。

 振り向けば、誰も乗っていないはずの車が坂道をゆっくりと下り始めていた。


 慌てて車に駆け寄り、鍵を開けて運転席に飛び込み、ブレーキを踏んでサイドブレーキを引く。1メートルも動いていない状態で、何とか車を止めることができた。

 気が付かなければそのまま道沿いの溝に突っ込んでいた。


 というわけで、先日の夢の大元はその時の事件と思われる。なぜ当時は面識のなかった他社の人が紛れ込んだかは不明であるが、最近現場で一番よく会っているせいだろう。



 

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