それでもまた日は昇る その3
「エマさん落ち着いて、俺の話を聞いて」
脱衣所に着いた俺はエマさんを抱きしめたまま、バスタオルや浴衣を魔法で取り寄せて、とりあえず体を包む。
プリンプリンとしたダイナマイトバディーが、主に精神的な邪魔をして、適当な着付になってしまったが…… 今は勘弁してもらおう。
「気付いたと思うけど、これは自爆術式だ。だが必ず俺が解除する」
恐怖に震えるエマさんの、赤い瞳の奥を覗き込むが…… これは下神の仕組んだ術式より難解だったし、そもそもエマさんの魔力が高すぎて、一筋縄でいかない。
「だ、大賢者様」
震えるエマさんの唇にそっと指を置き、俺は微笑んでみせる。
――しかし状況は、あまりにも不利だ。
俺が術式に気付いたら作動するように仕組んであったし、解呪しようと探れば探るほど、俺の魔力を利用して変化する仕様になっている。それに解除するには、唯一苦手とする魔力の繊細な作業を、人体を壊さずに高速で行う必要性があった。
まるで俺の苦手を事前に調査し、春香たちの『自爆術式』の解呪を何処かで知って、そのデータから俺専用のロックを作成したみたいだ。
これはきっと、周到に準備された罠なのだろう。
「大賢者様の魔力を利用して、何かが変異しているのも感じます。どうかわたくしを捨てて、陛下をお守り下さい」
そして、エマさんも何かに気付いている。俺の瞳を強く見詰め返し、恐怖をかみ殺すように唇を強くむすぶ。
それは陛下の近衛としての使命とプライドでもあるし、エマさんの優しさでもあるのだろう。――なら、答えはひとつしか無い。
「俺は賢を極めしケイト・モンブランシェットの弟子にして、その業と意志を継ぎし者、大賢者サイトーだ。この程度のこと、心配無用」
内側からの繊細な作業が無理なら、外側から力技で勝負だ。
まずはこの自爆術式を分析する時間がほしい。
師匠も「剛に勝る者へは柔を持って制し、柔に長けた者へは剛をもって断て。そして道がなければ、今あるものを工夫して考え抜き、新たな道を作るのが『賢』じゃ」と、言っていた。
俺は小さく息を吸い込んでから、恐怖に震えるエマさんを抱き締め、禁呪のひとつである『時間停止魔法』を脱衣所全体にかけた。
× × × × ×
魔法は万能じゃない。代表的なものとして、二大禁忌と呼ばれる『生命の禁忌』と『時間の禁忌』がある。
生命の禁忌とは、魔法で生命を生み出したり死者を蘇らせたりはしていけないという戒めだ。大いなる意志が
それにあの回復魔法は、
いつも施行した後に、魔力の強烈な反動が来る。
そしてもうひとつの時間の禁忌とは、過去に戻って運命を変えることや、時間を停止して未来を変えることだ。
運命とは生命と並ぶ魔力の根源。大いなる意志が魔力の総合思念である以上、これを侵すのも
現に今、この小さな脱衣所の時間を停止しようとしただけで、様々な圧力が俺の精神と肉体をむしばもうとしている。
しかも完全停止することも不可能で、緩やかに時は流れていた。
室内に現れた無数の魔方陣が、徐々に剥がれ落ちるように解除されているから、それもあまり持ちそうにない。
「ここから新たな道を切り開くには……」
今あるものを利用した、工夫が必要だ。
俺とは違う系統の魔力を繊細に操作できて、意思疎通が可能な人材の手助けがあれば、この状況を打破できる。
ふと
「そうなると」
エマさんの制御魔法石から抜き出した、コンピュータウイルスのような『術式』が気がかりだし、あいつなら下神の
「弟子を信用してみるか」
エマさんからそっと手を離し、脱衣カゴからスマートフォンを改良した通信魔道具を取り出す。
やはり時間停止魔法中に他の魔法が上手く使えなかったが、何とか春香にコールすると、
「ご主人様? えっと、こんな夜更けに…… なんでしょう」
ささやくような小さな声が聞こえる。
「起きていてくれたか」
安どのため息をつくと、
「スイッチが入っちゃったままだったので、そのっ、アレでソレでをいたしまして…… ただいま賢者タイムです」
春香は恥ずかしそうに、意味不明の返答をした。
何故か違う人材を探したい衝動に駆られたが、
「急いで湯明館の貸し切り露天風呂の脱衣所まで来てくれ」
俺がなんとか声を絞り出すと、状況を察してくれたのか、
「は、はい!」
春香が慌てて動き出す音と共に、通信が切れた。
そしてエマさんに仕掛けられた術式を再度確認していると、ガタガタと脱衣所の入り口が揺れる。一時的に外の空間とのチャンネルを開くと、そっと春香がドアを開けて顔を出した。
「ありがとう、助かる」
俺が額に流れていた汗を拭うと、
「ご主人様、えーっと、その」
浴衣にはんてん姿の春香は、時間停止空間に足を踏み入れると、不安げに脱衣所を見回す。
いったい何着旅館の浴衣を持ち出しているのか、ちょっと不安になったが……
まず状況を説明しようと、眠るように宙に浮いているエマさんが見えるように体をズラす。
「そんな!」
春香はエマさんの胸の上に浮かんでいた術式を見て、両手を口に当てた。
「今説明するが……」
春香は腰にバスタオルを巻いただけの俺の姿と、急いで浴衣を着せた状態のエマさんを交互に見比べ。
「い、い、いきなり三人でなんて!」
何故か顔を赤らめて、一歩後ろに下がった。
やはり人選を誤ったのかと不安になったが……
俺が小さくため息をつくと、
「いえその、ただならぬ雰囲気ですし…… ご主人さまはいつも何処かに余裕があって、釈然とされていたほうがそれっぽいので、ちょっと場を和ませようかと」
春香は真顔になり、もう一度周囲を見回して、小声で呟く。
こいつなりに気を使ってくれたのだろうと思い、
「ありがとう」
素直に礼を言ってから、自分の気を落ち着かせるために大きく息を吸ったが……
春香の視線は、深呼吸で揺れた俺の腰のバスタオルに集中していた。
――やはり何か、不安でならない。
「何とか状況が飲み込めました」
今までの経緯を説明すると、渡した制御魔法石の術式とエマさんを見て、春香は小さく頷いた。
「すまないが、手伝ってくれ」
「もちろんそれはかまいませんが…… これはちょっと、凶悪ですね」
春香は切なげに、はだけたエマさんの胸元と自分の胸を見比べる。きっと以前春香に仕掛けられた自爆術式と、エマさんの術式を比較しているのだろう。
「ああ、かなり凶悪だ」
「あたしなんかとは比べ物にならないし、レイナより危険なブツかと」
春香は恐る恐るエマさんの左胸の上に手をおく。
そう言えば、レイナちゃんにも春香と同じ自爆様式がかけられていたな。
「春香とレイナちゃんのブツに違いはなかったよ」
「そうですか…… たしかにコレ、あたしたち程度じゃ比べ物にならない凶悪さですね」
すると春香は浴衣越しに自分の胸をポヨポヨと両手で持ち上げて、ため息をついた。何かが食い違ってるような気がしたが……
外から圧力がかかるように、徐々に時間停止魔術が剥がれ落ちていたし、エマさんの様態も心配だ。
とにかく急いで対策を立てよう。
「俺ひとりじゃ手におえそうにない」
「それで、具体的にはどうすれば良いですか」
「俺の魔力を感知するとプログラムがランダムに変化する仕組みになっていた。だからまず春香と俺にパスを繋いで、春香が見たものを俺が検知し、指示を出したら春香が直接動く。できるか?」
「二人羽織みたいなものですね。自信ないですが、がんばります」
「春香の繊細な魔力操作とセンスに期待している」
春香か宙に浮くエマさんに近づいたので、俺はその後ろに回ってパスを繋いだ。
「聞こえるか?」
念話で話しかけると、
「ちょっと遠い気が…… ご主人さま、もう少し近づいてください」
春香も念話で返してくる。
俺の眷属として契約しているから、パスさえ繋げば距離は関係なく、春香とはかなり密な意思疎通が可能になるが、
「その、フィーリングと言うか、細かい作業なので、微妙なニュアンスまで知りたいので」
そう言うので俺は仕方なく、本当に二人羽織のように密着する。
エマさんの瞳を春香が覗き込むと、俺の脳内にも術式が浮かんだ。
「やはり春香の魔力には反応していない、これなら行ける。指示を出すから、あの胸の上にある術式を解除してくれ」
やはり春香の魔力操作には独特のセンスがあり、俺の期待以上に作業は進んだが、二重三重に張り巡らされたトラップに手を焼いた。
「ご主人さま、言葉だけの指示だと上手く雰囲気がつかめないです。実際に手も動かしていただけますか?」
「そうか、じゃあ……」
俺が春香の肩越しに手を動かして操作を真似ると、
「そうじゃなくて、その…… 前に回して」
分かり辛かったのか、ダメ出しされた。
腹の前に手を回すと、
「もっと上です、で、もう少し体に近づけてください」
さらにそんな指示が出た。
急を要する処置だし春香の言うことにも一理あるだろうと、指示通りに手を動かすと、ポヨンと触っちゃ行けない場所に指先が当たる。
「やん!」
春香がブルリと身を震わせた。
「すまん」
「いえ、とっても良かったです…… じゃなくて、分かりやすいです。そのまま続けてください」
春香も意識を集中しているのだろう。「はあ、はあ」と息も荒く、体温も少し上昇していた。ここで俺が妙な遠慮をしては失礼だと思い、解呪に専念しながら思い切って指先を動かす。
ポニョンとかプニンとかそんな感覚がダイレクトに伝わるし、春香がその度に体をくねらすから、作業に集中しにくい。本当にこれで良いのか不安になったが、春香の作業効率はたしかに上がっていた。
しかし絵面的には、宙に浮かんだ半裸の女性の、胸を揉む女性を…… 後ろから羽交い締めにして、さらにバスタオル一枚の男が胸を揉んでいるわけだが……
誰かが覗いていたら冗談にもならない光景だが、今は気にしちゃダメなのだろう。
脱衣所に張り巡らした俺の時間停止魔法も、外からの圧力を受けて、あちこちほころび始めている。
「爆発コアまで手が届きました」
「よくやった、それをゆっくりと引き抜けば終わりだ!」
春香がそれを引き抜くと同時に、ぐったりと俺に倒れかかる。
爆破コアを握りしめた春香の手を、俺が握り返して抱きとめると、火照った顔の春香が笑いかけてきた。
「ねえ、ご主人さま。これってご褒美とかいただけますか?」
「もちろんだ、俺にできることなら何でも言ってくれ」
「じゃ、じゃあ…… またその、スイッチが入っちゃったので」
すると何故か春香は、俺の腕の中でゆっくりと瞳を閉じた。うん、夜も遅いし、疲れて眠たくなったのだろうか?
さてさて、どうしたものかと悩んでいたら……
剥がれ落ちた時間停止魔法の隙間から、青く輝くプログラムコードのような魔法陣が侵入し、俺と春香が握っていた爆発コアがカチリと音を立てた。
「嘘っ!」
寝ていた春香が閉じていた瞳を開けて、驚く。
俺がとっさに爆発コアを奪い取り、エマさんと春香を守るために距離を取ったら……
「アイヤー!」
変な叫び声と同時に、真っ赤なニンジャ衣装に金色の面をかぶった、怪しさ満載の男が飛び込んできた。
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