9.海と空は、おともだち(改稿前)

 それから何度も海に飛び込んだ。

 苦しくなるたびに上がらないといけないことが残念だった。もっと長く見ていたいのに。

 欲を言えば一分――確かに、そのとおりだ。


「海と空はおともだちって、こういう意味か?」


 太陽の色が変わり沈み始めた頃、ようやく俺は飛び込むのをやめて陽子に訊いた。


「うん。あれが半分」

「半分?」


 眉をひそめると、陽子が海面を指差した。


「光が踊ってるみたいに見えない?」


 言われてみると、確かに海に反射した光がきらきらと踊ったり飛び跳ねているように見えた。


「海と空が仲良くしてるところはね、上から見ても下から見てもきれいなの」


 なるほど。だから、海と空はおともだち。

 ばあちゃんや母さんの言った“つい”とは少し意味合いが違うのか。


「陽子はどっちのが好きなんだ?」


 何の気なしに訊いた。ちょっとだけ、下からの景色と言ってくれることを期待した。

 陽子は俺の顔を見て意味ありげに笑い、

「上からのが好きだったよ」

 と答えた。「でも――」


「海斗くんに会って、下からの景色も同じくらい好きになった」


 海を見つめながら、そう言って笑った。

 少しはにかんだ笑顔が可愛かった。


「――なあ」

「なに?」

「キスしていいか?」


 丸くなった瞳が俺を見つめる。

 そんな顔すら可愛いと思った。


「最後なのに?」

「最後だから」


 肩にそっと手を乗せ、唇を触れさせる。

 柔らかくて冷たくて、海の味がした。


「海斗くんの恋人になる人は幸せだね」


 唇を離すと、陽子が笑った。


「ありがとう。最後に海斗くんと一緒に泳げて楽しかった」


 そう言って笑って、岩の上に置いてあった荷物を手に取った。


「さよなら」


 短い言葉に「おう」とだけ返した。

 強がって、なんでもないふりをした。

 それが格好いいと思ってた。


 振り返りもせずに去ってゆく背中を、ずっと見つめていた。

 もうシルエットしかわからなくなった頃――陽子の腕が一度だけ顔を拭ったような気がした。


  ~*~*~*~


 翌日、ばあちゃんちを出る前に岩場へと走った。

 駅に向かうバスの中でも、ずっと陽子を探していた。


 そして一年後――


 あの大岩の上に俺は立っていた。

 景色はなにも変わらない。あの日と同じように、太陽光を反射してきらきらと輝く海が眼下に広がっていた。

 しばらくその様子を見つめてから、ゴーグルをつけて下を見た。


 この一年、受験勉強の合間に息を止める練習をしていた。少しだが、プールでも泳いだ。

 その成果を、見せてやる――


 勢いよく飛び込み、身体が止まったところで顔を上げる。

 地上とは違う柔らかな光が、ゆらゆらと形を変えながらきらめいていた。

 あの日と同じ、海の星座。海の、北斗七星。


 吐き出した空気が生まれたばかりのシャボン玉のように、不安定に揺れながら上がっていく。

 眺めているうちに海面に辿り着いて光に溶け、周りの光とともにゆらめいて、すぐにわからなくなった。 


 あの光の動きは、波が作り出しているんだろうか?


 訊こうとして横を見て、そこに誰もいないことを思い出した。

 いつのまにか上を向いていた体を起こし、水面へ向かう。

 ぶはっと顔を出し周囲を見回したが、やはり――誰もいなかった。


(そうだよな……)


 引っ越すって言ってたもんな。この海で泳ぐのはおしまいって。

 わかってて、ここに来た。それなのに、この喪失感はなんだろう。


 力を抜き、仰向けに浮かぶ。

 直にあたる太陽光は眩しかった。


 改めて潜って、わかったことがある。

 ゆっくり楽しむだけの余裕があると、海の中はさらにきれいだということ。

 だからあいつは、欲を言えば一分と言ったのだろう。


 一緒にいるときに気づきたかった。

 これだけ潜れるようになった姿を、見て欲しかった。

 一人きりの海は静かで、静かすぎて、涙が落ちる音さえも聞こえてくるような気がした。


  ~*~*~*~


 そろそろ帰らないと。

 そう思って、海を出た。なのに、岩場から離れられなかった。

 きらきらと光る水面を見つめながら、陽子の言葉を思い出していた。


 “海と空はおともだち”

 “海と空が仲良くしてるところはね、上から見ても下から見てもきれいなの”


 どっちが好きなんだと訊いたら、上からのが好きだったと答えた。


 “光が踊ってるみたいに見えない?”


 その声が聞こえた瞬間、唐突に気づいた。 

 あいつが、自分を無理矢理“海の人”にしていたことに。


(――――っ!)


 もう一度、大岩に走った。

 海の上では、太陽から産み落とされた光がきらきらと跳ね踊っていた。

 陽子はきっと、そっちのつもりでいた。だから上からのが好きだったんだ。

 だけど――


 飛び込んで、顔を上げる。

 こちらでは、光はゆらゆらと泳いでいた。


 こっちにしろよ、と思った。こっちなら、俺と一緒だ。

 いいだろう? おまえは泳げるようになったんだから。


(陽子――)


 もう届かない名前を呼ぶ。


 “わたし、ようこ。陽気な太陽の子”


 俺を導いてくれた賑やかな笑顔が、そこに見えた気がした。



                 <了>



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海が太陽のきらり 沢峰 憬紀 @keiki_s

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