3.名前につけられた形容詞

 翌日、岩場に行ってみると、陽子が溺れていた。

 否。

 まるで溺れているかのように泳いでいた。


「あ、空仲間の海斗くん」


 泳ぐ準備をしている間にこちらに気づいてくれたが、変な修飾語がついていた。


「……勝手に仲間認定しないでくれ」

「えーっ? もしかして一晩で気が変わったの? 海の人になっちゃうの?」

「そもそも空とか海とか考えて生きてないし」


 陽子が言い出したから適当に決めただけだ。そもそも、どうでもいい。

 しかし、やはり陽子には不満だったらしい。海から上がり、ずかずかと目の前まで近づいてきた。


「せっかくきれいな名前つけてもらったんだから、もっとちゃんと考えなよ」

「きれい?」


 意外な形容詞に引っ掛かった。

 かっこいいと言われたことは何度かあるが……きれいか?

 どこをどうしたらそんな感想になるのかわからず、首をひねる。

 陽子はきっぱりと「きれいだよ」と繰り返した。


「自分で言ったじゃない。海の北斗七星って」

「……“の”とは言ってない」


 だいたい、海の北斗七星ってなんだ。星は空にあるもんだろう。

 しかし陽子は「そうだっけ?」と流してから、こう続けた。


「でも、君の名前は“の”であってると思う」


 確信しているような声だった。

 俺を通してべつのなにかを見つめていた。

 その視線をふっと外し、えへっと笑う。


「帰ってから気づいたんだけどね。海が好きな人がつけたんだな、って」


 嬉しそうに笑いながら陽子が続ける。「空仲間じゃなくなるのは寂しいけど――」


「海と空はおともたちだし、それを表している名前だから、許す!」


 勝手になにかを許された。

 俺の話をしているはずなのだが、すっかり置いてけぼりだ。


「あの、悪いんだけどさ、もうちょっと説明してくれるか?」


 下手に出たのに、とても面倒くさそうな顔で「えぇー!? やだー!」と言われてしまった。


「少しは自分で考えなよ。そもそも、誰がつけてくれたか知ってるの?」

「……知らない」


 漠然と両親がつけたんだろうと思ってはいたが、確認したことはないし、どちらの案かなんて考えたこともなかった。


「まずはそこからだね。

 ――いつまでいるの?」

「えっと……三十日、かな」


 母が三十日までこっちにいさせてくれと父に言っていた。

 遺品の整理という名目だが、本当はじいちゃんが心配だから、らしい。

 父はすでに家に戻り、俺も先に帰ってていいと言われている。今まではなんとなく残っていたが、陽子の質問で三十日までいようと思った。なんとなく。


「あと二週間か……うん、それだけあればわかるんじゃない?」


 なにを根拠にしたのかわからないが、陽子がそう言ってにっこりと笑い、両手をパンと鳴らした。


「よしっ。じゃあ、泳ごう!」

「はっ!?」


 急すぎる展開に頭がついていかない。


「名前の話は!?」

「だから、泳げばわかるって」

「は!?」


 なにもわからないまま海に連れていかれ、最後は突き飛ばされた。

 慌てて眼は閉じたが、鼻に水が入ってしまった。


「ぢょっ、あに、ずん…………」


 文句を言いたいのに、むせてまともにしゃべれない。


「あー、ごめん。ゴーグルまだつけてなかったね」


 げほげほと苦しがっている俺を見ながらの言葉は、やけにのんびりとしていた。



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