2.海か、空か

 結局のところ、数分しか泳げなかった。

 海水が眼に染みるわ、ズボンが想像以上に重く足にまとわりつくわで、早々に諦めた。下だけとはいえ、陸用の装備で水に入ろうなんて俺には無理な話だったのだ。


 俺より先に泳ぎ始めていた女性は、俺が陸に上がって適当な岩に腰を下ろしても、まだ同じ場所で水しぶきを上げていた。

 音が途切れた記憶はない。ずっと休みなく泳いでいて動かないというのは、ある意味凄いのではないだろうか。水上ホバリング選手権があれば、ダントツ一位に違いない。


 そして、しばらく見ていて気づいたのだが、息継ぎの間隔がものすごく長い。息を吸ってから再び顔を上げるまでに、少なくとも十回は腕を回す。

 つまり、溺れているんじゃないかと思ってから助けようとするまで、タイミングによっては一度も顔が上がらない。


(そりゃあ、勘違いされるわ……)


 半ば呆れて眺めていると、ようやく水しぶきがやんだ。

 こちらを向き、ゴーグルをはずし、水につかっているのにずかずかと歩いてくる。


「泳ぐんじゃなかったの?」

「……想像以上に難しかったんだよ」


 水上ホバリング選手権優勝間違いなしの女性は「ふうん」とだけ言って、陸に上がった。


「そういえば自己紹介してなかったね。

 わたし、ようこ。陽気な太陽の子」


 “陽”の字、強調しすぎじゃねえ?

 二つも重ねる必要があるのかと思ったが、そこをツッコむのはやめておいた。代わりに「古風な名前だな」と言うと、「逆に斬新でしょ」と胸を張られた。


「俺は、かいと。海に、北斗七星の斗」


 言い終わると、陽子の顔に疑問符が浮かんだ。

 “斗”の字がわからなかったかと思い、べつの説明をしようとしたのだが、その必要はなかったらしい。俺より先に陽子が口を開いた。


「海なの? 空なの?」


 そんなことを訊かれたのははじめてだ。


「いや、名前だし……」

「だって、カイトって凧でしょ? 北斗七星も空にあるものでしょう? それなのに海ってついてたら、どっちかわからないじゃない」

「そんなこと言われても……」


 名前だし。俺が決めたわけじゃないし。

 だいたいなんでそんなことが気になるんだ?

 と思っていたら、「ずるい!」と叫ばれた。


「ず、ずるい?」

 ずるいって、なにがだ!?


「だって、海と空はおともだちだけど、一人で両方なんてずるいじゃない。どっちかにしてよ!」

「……えーっと、もしかして、自分は空だけなのに、って話?」

「そう!」


 完全な八つ当たりじゃねえか。

 そんなことで人の名前にごちゃごちゃ言わないで欲しい。

 文句を言う気力も失せて「じゃあ、空で」と言ったら、「やった!」と喜ばれた。


「仲間! よろしく!」


 差し出された手を思わずつかむ。

 柔らかな感触にどきりとしたが、お近づきになれたこと自体はなぜだかちっとも嬉しくなかった。



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