4.仲良くなろうよ

「下手だねぇ」


 ちょっと泳いだら、陽子に言われた。

 下手なことは知っているが、水上ホバリング選手権優勝間違いなしの人間には言われたくない。


「うっせえ。前には進むだろ」

「進んではいるけど、全然仲良くないもん」

「仲良く? 誰と?」

「海と」


 真顔で返され、反応に困る。

(誰か、通訳してくれ……)

 心の中で助けを求めたが、残念ながらこの岩場には俺と陽子しかいない。静かな場所を求めてきたくらいだから当然だ。


「泳ぐの嫌い?」


 仕方なく自力で解読しようとしたが、答えが出る前に陽子に訊かれた。


「……下手なんだから嫌いに決まってんだろ」


 鼻にも口にも水が入るし苦しいしまともに動けないし、笑われるし……。

 しかし、陽子はきょとんとした顔で「上手い下手と好き嫌いがどうして結びつくの?」と訊いてきた。


「わたしは泳ぐの下手だけど、大好きだよ」


 やけに説得力のある言葉を投げられ、ふてくされるのが自分でもわかった。


「だったら人前で堂々と泳げば?」

「そうしたいんだけど、要救助者と間違われて監視員さんとかが来ちゃうんだよねぇ」


 ――そうだった。この人はその問題があるんだった。だからこんな岩場で泳いでるんだった。


 ふてくされてぶつけた台詞に返された事実は、かなり悲惨だ。俺だったら、そんなことがあったらもう二度と泳ぎたくない。

 それなのに――泳いでんだよな、陽子は。

 なんだか自分が情けなくなった。


「……なぁ、なんでそんなに泳ぐのが好きなんだ?」

「楽しいじゃん」

「あの泳ぎでか?」


 理解できなくて訊き返したら、陽子があからさまにムッとした。


「泳ぎ方は関係ないの。わたしは水に入っているのが好きなの」

「なんで?」

「楽しいじゃん」

「……」


 どうやら、まともな回答は得られそうにない。好きだから好き、とか平気で返ってきそうだ。

 参考にならなかったな、と諦めかけたとき――


「海斗くんだって好きでしょう?」


 なんでそんなことを訊くんだ、とでも言いたそうな顔で陽子が訊いてきた。


「……嫌いだよ」

「嘘」

「嫌いだって」


「じゃあなんで、水着とゴーグル持ってここに来たの?」


 痛いところを突かれた。


「タオルは忘れたみたいだけど」


 さらに痛いところを突かれた。


「泳ぐの嫌いだったら、そもそも海に近づかないでしょう?」

「うっせえな。おまえが誘ったんだろうが」


 泳げばいいじゃん、って。

 だから、俺は――


「誘ってないよ」


 陽子の静かな声に俺の言い訳が砕かれる。


「昨日は誘ったよ。でも今日は誘ってない。海斗くんが勝手に来た」


 ――そのとおりだ。

 また明日、とかその程度の言葉も交わしていない。バイバイと言って別れただけだ。


「もったいないよ。

 人に笑われたとか変な目で見られたとか、そんな理由で好きなものを嫌いになるのは」


 静かに紡がれる声が、心の中で蓋していたものを引きずり出す。


「なんで……」


 わかるんだよ。俺はなにも言っていないのに。

 言い当てられた気まずさと驚きを口にすると、陽子がでっかく胸を張った。


「わたしを誰だと思ってんのよ。泳いで笑われたことなんて十回や二十回じゃないんだからね!」


 ――それは胸を張って言う内容か。

 台詞と態度のかけ離れ具合に呆気にとられ、なんだかすべてが馬鹿馬鹿しくなった。

 上手く泳げないことも、笑われたことも、どうでもいいような気がした。



 白い波が岩にぶつかる音がした。いくつもの破片が飛び散って、残りの水が海に戻り、また岩へと向かう。きっと、ずっとこうして海は動いていた。

 きらきらと輝く水面も、波の音も、変わっていない。なんにも変わってない。

 変わったのは、自分だけだ。


(浮かんでるだけで、楽しかったな……)


 小さい頃は浮き輪に入って、ただ浮かんでいた。波に乗って漂うだけで面白かった。

 はじめて自力で浮かんだときも、波の力を直に感じられるのが面白かった。鼻に水が入ったし、ゴーグルがはずれて海水が染みたけど、きゃあきゃあ言いながら笑ってた。


 “泳ぐの嫌いだから行かない”


 そう言って、ばあちゃんに背を向けたのはいつだったろう。

 翌日、いいところに連れてってあげる、と言って連れてきてくれたのが、この岩場だった。



「そういうことで、泳ぐよー!」


 その岩場で出会った人が賑やかに俺を海に引きずりこむ。


「ちょっ……! いちいち引っぱんなって!」


 口ではそう言ったが、胸はかすかに温かくなっていた。



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