ジスモンダ編

第9話 ルメルシエ印刷所

 学校の課題を終え、バカロレア試験勉強から一息つこうとした週末の昼下がり。

 ドミニクはふと視界の端に映った遺品箱に気を取られ、開けてみることにした。

 中にはやはりガラクタばかり。


(そんな再々起こらないか)


 以前、ドミニクは2度のタイムスリップを経験していた。

 1度目はクロード・モネの睡蓮時代。

 2度目はエドガー・ドガの踊りの花形時代。

 2度目に関しては姉のドロテを巻き込んでのことだったため、帰還の後説明をしっかりさせられた。

 しかし、ドミニクも説明という説明はできず、以前こんなことがあったと体験談を語るに留まっていた。


「ん?なんだこれ」


 丸められ、色褪せたポスターのようなものが箱の中に入っていた。

 それを引っ張り出し、開けてみるとそれは舞台のポスターのようだった。


「これって、アルフォンス・ミュシャが描いたジスモンダ?なんでポスターをじいちゃんが持ってるんだ」


 丸まり癖がついて大人しく広がってくれないポスターに焦れて、ペーパーウェイトを探しに行こうとした矢先、ポスターが淡く光り始めた。


「来た!!」


 ドミニクは思わず歓喜の声をあげ、ポスターに駆け寄った。

 すると、意識がその光に吸い込まれる感覚と共に、彼は再びタイムスリップすることになった。



 ドミニクが気がつくと、そこはどこかの工場のようだった。


「寒いぞ」


 思わず羽織の前を締めて顔を顰め、そして気がつく。


(俺、さっきまで部屋着だったぞ?)


 自分の格好を見下ろすと、ブーツに厚手のズボン、セーターにコート、そしてマフラーという出で立ちだった。

 窓の外から見える景色から察するにまだ朝のようだ。


「アルフォンスもご苦労なこったな、校正のチェックとは」

「いや、まあ誰かはやらないとダメなんだし」

「ああ〜俺もクリスマス休暇とか取りたかったなあ」


 部屋の奥から数名の男の話し声が聞こえてきた。

 紙とインクの匂い、そして時々刷るような音がするため、恐らく印刷所だろう。

 積み上げられた印刷物からここがルメルシエ印刷所だということがわかった。

 もう少し近づいてみようと足を踏み出した時に、印刷物の山を崩してしまった。


「誰だ!?」


 数名の男がやってきて、印刷物の山に埋もれているドミニクを見て驚いた。


「ここで何やってるんだ?」


 一人の男が手を差し出した。

 ドミニクはその男の手に掴まり、体を起こした。


「すみません、高校の課題で気になる場所を調査しろってのがあってちょっと印刷所がどんな場所なのか見学できないかなあと思って足を踏み入れたら迷っちゃいまして」

「気をつけろよ、高校の課題か。それならこっちだ」


 男たちに付いていき、印刷所の中心部分へ辿り着いた時、電話が鳴り響いた。

 電話のすぐそばに立っていた男がとった。


「はい、ルメルシエ印刷所……ええ、一応いますが。え?ポスターですか?少々お待ちください」


 その男はそう言って、受話器から耳を話すと、先ほどドミニクに手を差し出した男の方を見て言った。


「アルフォンス、ポスターの仕事受けてみるか?サラ・ベルナールという女優がやってる舞台にジスモンダという演目があるらしいんだ。急遽それの再公演が決まって元日に新しいポスターが必要ならしい。今、マネージャーから電話があった。すぐに返事が欲しいそうだ」

「私はこれまでポスターの仕事受けたことはありませんが……」


 アルフォンスと呼ばれた男は少し悩む素振りを見せたが、その男がもう一押しするように言った。


「ほら、今日は12月26日だろ?画家は皆出払ってて、他に頼める奴もいないんだそうだ」

「……マネージャーがそこまで仰るのならお引き受けいたします」

「よし……お待たせいたしました。その仕事、お受けいたします。……今晩ですか。はあ、わかりました。アルフォンスと共に向かいます」


 そうして男は電話を切って、アルフォンスに再び言った。


「今晩、ジスモンダを見に来て欲しいそうだ。校正をできるところまで終わらせたら舞台を私と一緒に見に行くぞ」

「はい、わかりました」

「それで、その少年は?」

「ああ、この子ですか?」


 一気に視線を浴びてドミニクがたじろいでいると、アルフォンスが代弁した。


「高校の課題で印刷所を見学したいそうです」

「そうか、勉強熱心なことだな。舞台には興味あるか?」

「あります!」

「じゃあ、お前も一緒に来るか」

「行きます!!ありがとうございます」

「さあ、皆仕事に戻った戻った」


 印刷所のマネージャーは手を数度叩くと、皆持ち場に戻って行った。


「私はアルフォンス・ミュシャだ。君は?」

「ドミニク・モローです」

「モローくんか。よろしくね」


 差し出された手をドミニクはまじまじと見つめた。

 あの偉大なグラフィックデザイナーでもあり、イラストレーターでもあり、画家でもあるアルフォンス・ミュシャが握手をしようとしてくれているというその事実に硬直していたのだ。


「俺のことはドムとお呼びください」

「わかった。それじゃあ、ドム。今日から数日間、心ゆくまでポスターの制作過程を見て行ってくれ」


 こうしてドミニクはジスモンダのポスターの制作過程を数日間に渡って見学することになったのだった。

 

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画商のガラクタ 紫乃 @user5102

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