第7話 バレリーナ

 ドガに連れられてやって来たのはオペラ座近くのカフェだった。

 外はすっかり日が暮れ、ガス灯に灯りが灯っている。


「好きなものを頼みなさい」


 ドガはそう言ってメニューをドミニクとドロテに寄越した。

 2人はその言葉に甘えて夕食を取ることにした。


「さて、何から話すかな。バレリーナが労働者階級の仕事ってのは知ってるな?」

「ええ、そのくらいわ」


 ドロテが運ばれてきたコーヒーに口をつけながら答える。


「じゃあ、バレリーナがどうやって生計を立てているのかは?」

「……舞台に立ってそれでお給金を得ている、というだけではないってことですよね?」


 黙ったドロテの代わりにドミニクが答える。


「そうだ、バレリーナはそれだけでは生きていけない。自分を支援してくれるパトロンが必要不可欠だ。大抵パトロンになる男はオペラ座の定期会員だ。定期会員は特権で楽屋や稽古場に自由に入ることが許されている。バレリーナとパトロンの関係は、そうだな、さながら娼婦とその客と言ったところか。だからのようなことは日常茶飯事というわけだ」

「なるほど」


 ドミニクが頷くと、ドガは言葉を続ける。


「パトロンは一人とは限らない。バレリーナとして成功するには複数のパトロンに支援してもらわなくちゃいかん。つまり、お前が綺麗だと言っていたは娼婦の中の娼婦というわけだよ」


 彼は意地が悪そうに口の片端をクイッとあげてドロテを見ながら笑った。

 ドロテは顰め面を深めて「事情をよくご存知で」と精一杯の皮肉を言った。


「尤も私は特定のバレリーナに興味があるわけでも、彼女たちのパトロンになりたいわけでもない。ただ私の関わりある者たちがパトロンをやっているものでね。だから、ドロテ?の心配しているような男でないことは確かさ」

「別にあなたの心配なんてしていませんわ。ご心配なく」


 ドロテはツンと済ましてバッサリとドガの言葉を切り捨てた。


「バレリーナに興味もなければ、パトロンになる気もないと仰いましたね?では、なぜオペラ座に通い詰めていらっしゃるのですか?」


 ドミニクがずっと聞きたくてうずうずしていた質問を投げかけると、ドガは一瞬眉を顰めた。


「なぜ、私がオペラ座に通い詰めていることを知っている?」

「あ、いや、それは、ドガさんは偉大な画家さんですから!パリにいればすぐにその噂は耳に入るもんです!!」


(口から出まかせすぎたか?)


 ドミニクは冷や汗を掻きながらちらりとドガの様子を伺うと満更でもない様子だったので安心した。


「まあ、いい。私がなぜオペラ座に通い詰めているか、その理由だったな。そうだな……一言で言い表すのは難しいんだが、強いて言うならありのままを描きたいから、だろうか」


 顎に手を当てながらドガはポツリと言った。

 先程までと少し違う様子にドロテも態度を改めた。


「ありのままと言うのは?」

「美しいものは美しいだけだと思うか?」


 問いを問いで返されたドロテはムッとしながらも答える。


「それは当然でしょう」

「なぜ美しいものを美しいと感じる?」

「それは美しいからでしょう」


(ダメだ、この姉)


 ドミニクは頭を抱えながら一人どう訂正しようか考えているとドガが笑った。


「そこまで単純明快だと人生は生きやすかろう。そうだ、美しいものは美しいから美しいと感じる。だが、美しいと感じるには条件がある」

「条件?」

「そう、背景が必ず必要ということだ。背景というのは美しいものとコントラストを織りなすもの。つまり醜いものということだ。確かにバレリーナは美しい。しかし、その背景には娼婦の真似事をして生きていかなくてはならない彼女たちの醜い生活がある。それをありのまま描きたいのだよ。現実というやつを。現実を知ってこそ、夢や理想を知れる。そう思わないか?」


 その言葉にドロテは口を噤む。

 ドミニクも暫し返答に戸惑った。


「ははは、お前たちのような若造にはまだわからんだろう」

「そ、そんなことは!」


 ドロテがフランスパンを齧りながら反抗する。


「ほう、それなら私の今描いている作品を見せてやろう。お前たちがそれを美しいと思えば私が言っていたことをわかっていたと認めてやろう」


 ドガは会計を済ますとさっさと店を出て行った。

 2人はまたしても慌てて彼の後を追った。

 今度はドガのアトリエに行くらしかった。

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