第4話 赤い睡蓮

 翌朝、ブランシュお手製の朝食を3人で食卓を囲み食べた後、腹ごなしと称して水の庭まで足を運んだ。

 そこには、ハッと息を呑むほど美しい赤い睡蓮が咲き誇っていた。

 水の青と花の赤のコントラストがなんとも言えない絶妙なバランスを取っている。


「まあ、素敵」


 ブランシュはうっとりしながら呟く。

 ドミニクもそれに頷いて同意した。

 モネも何か言うと思ったが、何も言わずに踵を返して家に戻っていく。


「え?」


 ブランシュの方を見ながらドミニクが困った顔をしていると、彼女は笑った。


「どうやらインスピレーションが得られたみたい。今に画材を持ってやって来るわ」


 そうして待っているとブランシュの言う通り、画材を持ってやって来るモネが見えた。

 ドミニクは慌てて老人の元へ駆け寄り、荷物を運ぶ。

 指定された場所に画材を並べ、モネが描き始めるのを見届けるとブランシュと共に家に戻った。

「今日はサンドイッチにしないとね」とブランシュは笑い、ドミニクも声をあげて笑った。


 家に帰ると、なんとなく自分が寝泊まりしている部屋へと向かった。

 部屋に入ってすぐ目に入る椅子に目が吸い寄せられた。

 椅子の背に掛けてあるジャケットを見て先日どうやってここに来たのか思い出したのだ。


(枯葉……まだ入ってるだろうか?)


 ポケットに手を突っ込んで引っ掻き回すと、パリパリした何かが指先に当たった。

 枯葉の残骸がポケットにまだ残っていたようだ。


(それにしてもなんでこんな魔法みたいなことが)


 枯葉の欠けらを見つめながらじっとしていると、箒で掃除する音が聞こえた。

 夏といえども葉は落ちる。

 ブランシュはそれを掃除しているようだった。


「俺、やります」


 窓から顔を出し、ブランシュにドミニクが声をかけると、麦わら帽子のつばをくいっと上げて彼女がニコニコと微笑んだ。


「本当?助かるわ」


 ドミニクは外へ出てブランシュの代わりに箒で掃除を始めた。

 ジリジリと太陽が照りつける中、夢中で掃除をしているといつの間にか葉の山ができていた。

 汗を拭いながらやれやれと思っていると、その山からなんだか目が離せない。

 目が離せないうちに葉が発光し始める。

 ただただ太陽光の反射かとも思ったがどうやらそうではないらしい。


(この現象……ここに来る時と同じか?)


 確かめようと足を前に一歩踏み出した瞬間、葉を踏んだ。

 すると、一気に光が強くなり、思わず目を覆う。


「うわあ!!」

「ドミニク?」


 声に驚いて駆けつけたブランシュと目が合った。

 しかし、それはほんの一瞬のことでまたしても彼は気を失った。

 その場に残ったのは落ち葉の山と箒だけだった。



「……ク、ドミニク!!ドム!!」


 肩を揺さぶられているのに気がつき目を開けると、心配そうな顔をしたドロテが顔を覗き込んでいた。


「姉さん……」


(戻ってきたのか)


 ドミニクは安心したような、寂しいような、惜しいような、そんな心情だった。


「よかった。目が覚めたのね。さっきからずっと呼んでるのに目を覚まさないから、母さんが救急車呼ぶって騒ぎ出して」


 ドミニクは自ら体を起こしながら、辺りを見渡す。

 すると、頭から何かが降ってきた。


「なにこれ?落ち葉?」


 まだ青い葉を訝しげに見るドロテ。


「もう10月よ?」


 窓の外に投げ捨てようとした彼女をドミニクは引き止めた。


「その葉、俺に頂戴」

「いいけど……何に使うの?」

「別に」


 ドミニクは姉から葉を受け取るとポケットにしまった。

 そして、両親が待つ階下へと降りていった。



 その後、ドミニクは赤い睡蓮について調べた。

すると、日本の大山崎山荘美術館に赤い睡蓮が描かれたモネの『睡蓮』が展示されているという情報を入手し、家族を説得して冬休みは日本へと旅行へいった。


赤い睡蓮を目にした瞬間の所感を、ドミニクはうまく言語化できなかった。

あの時、光の画家とその娘と共に見た赤い睡蓮がそっくりそのまま目の前に存在しているかのようだった。

水がまさに生き生きと輝いており、胸を打つ。

画面上のコントラストが素晴らしく、観ていて心地が良い。

これが感銘を受けるということかとしみじみと感じていた。


だが、あの時と一つ違うとすれば、眩しすぎて目を細めるということはなかったということだろう。

絵はキラキラと輝いてはいる。

しかし、凛とした静かな光を放っていた。

それを理解した途端、ドミニクの頬に一筋の涙が伝った。

祖父が亡くなって以来、初めて流した涙だった。


(クロードさん、ブランシュさん、ありがとう)


ドミニクは心の中で一人、感謝の言葉を述べてその場を後にした。


時は流れていく。

全ては変わっていく。

だが、変わらないものもある。


フランスに帰国後、ドミニクはバカロレア試験に向けて猛勉強を始めることになる。

目指すは美術史が専門のパリ第4大学だ。

祖父の後を継ぐ決意をし、画商になるべく美術の勉強に勤しむことを決めたのであった。

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