第2話 ご老人

 耳障りな羽音で目を覚ます。

 辺りを見渡すとそこはどこかの庭のようだった。


「ここって……」


 立ち上がり付いていた土を払っていたところ、後ろから「誰だ!?」と声を掛けられた。


「えっと……」


 振り返ってみると、豊かな白い髭を生やしたご老人が訝しげにドミニクを見ていた。

 どこかで見たことがある顔だ。


「どうやら迷ってしまったみたいで……」


 ぽりぽりと頬を掻きながら困り顔でドミニクは言うものの、老人の厳しい表情は変わらない。


「他人の邸宅にか?」

「ぐうの音も出ませんな」

「……ははは、気に入った。何、初めてのことではない。こっちに来い」


 老人は笑うと、踵を返してスタスタと向こうの方へ行ってしまった。

 ドミニクも慌てて後を追う。


「名は?」

「ドミニクと申します」

「ふむ、いい名前だ。我らの主のもの、という意味だったかな?」

「はい」

「私はクロード・モネだ」


(え?)


 ドミニクは驚いてその老人を見た。

 どこかで見たことがあるとは思ったが、まさか本人なことはあるまい。

 だって、クロード・モネが生きていたのは19世紀後半だ。

 2019年の現在、あり得る話ではない。

 なら、この目の前にいる老人は誰なのだろうか。


(子孫とか?)


 そんなことを考えている間に、部屋の中へと案内された。


「すまんな、簡単な茶しか出せんが」


 そう言って茶を用意しようとするので、ドミニクは慌てて止めに入った。


「ああ、モネさん、大丈夫です。俺がやりますから」


 ドミニクはモネから薬缶を取り上げて自ら進んで茶を入れる。

 優美なデザインが施された薬缶はアール・ヌーヴォーを思わせた。


(なかなかヴィンテージなものを使っておられる)


 感心しながら、茶を椅子に座っているモネの前に置いた。


「すまんな。わしが招き入れたにも関わらず」

「いえ。どこの馬の骨ともわからぬ者を家まで入れてくださったお礼にしては足りないくらいです」

「ははは」


 老人は笑って茶を啜った。

 暫く和やかな雰囲気が漂っていたが、急に泣き崩れる女性の声が遠方から聞こえた。

 驚いてドミニクが茶器を置くと、モネは悲しそうに「またか」と言った。


「またか、ということはこの音が何なのかご存知で?」


 ドミニクはじっとモネを見つめながら言うと、不思議そうな顔をしながらドミニクに言った。


「徴兵だよ。あれ?お前、兵役を逃れようとしてここに侵入したんじゃないのか?」

「へ?」

「先々月辺りにオーストリア=ハンガリーがセルビアに宣戦布告して、とうとう我が国も戦争に参戦することを決定した。お前さんくらいの年齢の男は皆駆り出されてるじゃないか。なに、知らんのか?」


(そんなまさか)


 ドミニクの頭は混乱していた。

 モネの話が事実であれば、現在は1914年8月ということになる。

 世に言う第一次世界大戦初頭だ。


「わしは2人の妻には先立たれ、今年のはじめに長男も亡くした。お前さんのような若者が家にいてくれると嬉しいよ」


 飲み終わった茶器をモネは片すと、また外へと出て行った。

 暫くドミニクは放心状態だったが、我に返り外にいるモネを窓から眺めた。

 外にキャンパスを持ち出して水の庭の睡蓮を熱心に描いていた。

 ドミニクも外に出て彼の絵をこっそり盗み見る。

 少し日が傾き、水辺をキラキラと光が走り抜ける。

 眩しすぎて思わず目を細めるくらいの強い光。

 その瑞々しさをモネの筆は正確に切り取っていた。


(彼は本物だ)


 ドミニクはそう確信し、嬉しいような悲しいような複雑な気分だった。

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