最終話 一條竜一と平川知恵
大学の研究棟を出る。
外の空気は冷たいが、青空から降り注ぐ日差しは暖かく冬の終わりをほんの少しだけ感じさせる。ふう、とため息をついてから歩き出し、20メートルほど先のベンチに向かう。ベンチには見慣れた人影が2人。知恵と海野だ。
「広々としたキャンパスだね」
知恵が感想を言う。知恵の大学は都心にあって、全ての施設がひとつのビルの中にあるらしい。なんとも都会的。それと比べると俺の大学は広々とした土地に古い建物が点在していて、昔ながらの「大学」といったイメージだ。都内からは通いやすいし、土地があるということはそれだけ設備も充実していて俺は気に入っている。
「ああ、学生の数は多いから、全部の施設がやたらでかい。食堂やカフェの飲食施設も充実している。建物は古いけど、悪くないだろ」
「いいね。都心の大学も便利でいいけど、こっちの方が高校生の時に想像した『キャンパスライフ』って感じ」
知恵と海野はベンチから立ち上がり、並んで歩き出す。
「で、どうだった?」
「ああ、予定通りだったよ。ある程度想像も含んでるからそこの指摘はされたけど、概ね好感触だった」
今日は卒業論文の発表があった。大学の教授・助教授たちが揃う前で研究の成果を発表する。俺は江戸川区にドラゴンがいない理由を研究していたので、その成果を論文としてまとめて発表をしたわけだ。内容は白川の家で話したのとそう変わらないが、俺の家の事情や6年前に葛西水龍に乗って戦ったことを話すわけにはいかないので、多少は内容を後付けしてごまかしている。しかしそうなると俺が目の前で見たことや俺が実際にやったことも想像や予測ということにしないといけないので、辻褄をあわせるのが難しい。信憑性が少し疑われてしまうのは仕方がない。そのかわり素人に説明するのとは違って、学術的な分析結果や論文の引用も使えるので説明がしやすい部分もある。
「これで本当に終わりか。竜一も卒業するし、達成感もあるけど、なんだか寂しい気もするな」
「何言ってんだ。別に俺たちはいつでも会えるだろ」
「まあ、そうなんだけどさ」
図書館の脇を抜けると、正門前の広場がある。食堂や授業の多い教室棟が集中していて普段は学生の多い場所だが、今は春休みで授業は行っていないため、人はまばらだ。
すれ違う人を横目でおいかけ、海野は少しそわそわしているように見える。ユメちゃんに偶然あったらどうしようかと考えているのかもしれない。当のユメちゃんは卒業旅行に行っているのでここにはいるはずもないのだが、海野はそれを知らないようだ。
「ちょっと遅くなったけど昼ごはんにしよう。春休みだけど食堂は空いているから、そこで食べようか」
「俺はちょっと用事があるから先に出ているよ。あとでお店で集合にしよう」
海野のことだから、俺に気を使って知恵とふたりきりにしてくれたのだろうか。いや、これは大学に長くいて会いたくない人に会ってしまうことを恐れているだけだろう。
今日は俺たちが長年かけて調べた成果の発表だから、ふたりには見届けてもらうために大学に来てもらっていた。建物の中には入れないので外で待っているだけだったが、それでも来てくれるというのはありがたい。論文の提出と発表が終われば一旦はすべて完了だ。せっかくだから皆で集まったのとは別に、3人で打ち上げをしようということにもなった。
「竜一くん、明日は予定はあるかい?」
知恵が食堂のラーメンをすすりながら唐突にそう言った。
「いや、さすがに今日で締めくくりだから、明日は何も予定を入れてないよ」
この4年間で数えきれないほど食べた、食堂のから揚げにかぶりつく。このから揚げを食べるのもこれで最後か、なんて考えている場合ではない。予定を聞く、というのは、つまり、相手の予定を確認したいからであるはずだ。相手の予定を確認したい理由は、大抵の場合、その時間で一緒に何か行動することが多いのではないだろうか。それは、どういうことかわかるだろう。
「よかった。じゃあ、明日は葛西駅に集合ね」
知恵は俺の顔を見てにこっと笑った。俺はその目から視線をそらさずに「うん、わかった」と答えることができた。
この日の3人での打ち上げは盛り上がった。話したのはどうでもいいことばかりだ。いつの間にか俺たちは、何でもない話をいくらでもできるような間柄になっていた。
* * *
「久しぶりに来たね」
バスを降りると、ちょうどそこはJR葛西臨海公園駅の目の前だ。反対側を見るとすぐに葛西臨海公園の入口がある。天気が良くて春休みということもあり、公園はピクニックやバーベキューをしに来た人たちで賑わっている。家族連れも多いがカップルや友人、社会人の集まりのような人もいて、年代も性別も様々な人が訪れている。
葛西駅に集合した俺たちは、6年前に知恵、海野と3人で来た時と同じようにバスに乗り、葛西臨海公園に来た。ここは邪龍と葛西水龍が現れた重要な場所なので、調査の過程で何度も来ている。数か月前にも一度来ているので、俺はそれほど久しぶりではないが、知恵は久しぶりに来たのかもしれない。
「あの時は自転車で来たんだったよね。ほら、邪龍が復活したとき」
「そうだったな。今思えばわざわざ有明まで来てもらって、そこから葛西臨海公園まで自転車で移動までさせて、本当に知恵と海野には無理させたんだな」
あの時知恵と海野がいなかったらと思うとゾッとする。俺一人じゃ絶対に邪龍を封印するところまでできていない。
「今更何を言っているの竜一くん」
知恵は俺の背中をポンと叩き「私たちの仲じゃないの」と言った。いったいそれはどういった意味なのだろうと少し疑問はあったが、前向きにとらえることにした。
葛西臨海公園に入り、道なりに進む。海が見えたところで右に曲がり、橋を渡ると葛西水龍の石碑がある浜辺につく。あの日と違い、昼間の海は水平線までよく見える。
「葛西水龍はこのへんに沈んでいるのかな」
「どうだろう。あの日は暗くて、葛西水龍が海に帰っていったってことくらいしかわからなかった。でもあれだけ傷ついたいたんだから、そんなに遠くまでは行っていないと思うんだよな」
「でも、簡単には見つからないところなんでしょ?」
それもそうだ。船が通るような場所は避けているだろうし、実際6年間見つかっていない。見つかっていないとはいってもダイバーなどを使って本気で捜索をしたわけじゃないから、実は近くにいるのかもしれない。
「竜一くん、あれからご家族とはどうなの?」
知恵と海野はあの日に有明で俺の父親と弟には会っている。その時に家の事情も色々と話をしているし、結局一條家の問題に巻き込んだということもあって、あの後家にも招待している。だから俺の家族のぎくしゃくした関係もよくわかっている。
「まあ、相変わらずではあるけど。前よりはマシだよ。俺がドラゴンについて大学で専攻するって決めた時に親と話はしたからさ。後を継ぐとかはまだわからないけど、親も無理に継がせたいってわけじゃないってわかったし、弟にばかりそんなに期待してるわけじゃないってことも知れた。結局俺が勝手に勘違いして想像で距離開けてただけだった。それが解消された今となっては、自分がそんな馬鹿な考えだったことが気まずいってだけなんだよね。まあ、それもそれでダサいんだけど」
俺の家族の関係なんて知恵にとってみればどうでもいい話だろう。でも知恵は目をそらさずにまっすぐ聞いてくれる。
「よかったね。うん。竜一くんも、ここ最近明るくなった気がするよ。なんか、そういうことがスッキリして気が晴れたんじゃない?」
「んー。そうだといいかな」
今日は良く晴れている。太陽から降り注ぐ光が海に反射して、波が分散させる。その光のゆらめきを知恵の黒髪が吸収し、きらきらと光って見える。知恵はやさしく微笑む。
「知恵」
「何?」
心臓がばくばくと大きな音を立てる。握りしめた手が汗で滑る。
「ずっと。ずっと知恵に言いたかったことがあるんだ」
知恵は表情を変えず、俺の目をまっすぐ見ている。もう全部わかっているようだ。
「好きです。ずっと、好きでした」
言った。
目線を知恵の後ろの海に移す。顔が見えない。
「竜一くん」
知恵は俺の名前を呼んで、しばらく黙った。俺が知恵の顔を見るのを待っているようだ。もう一度手に力を入れて、目線を知恵の顔に戻す。知恵はさっきと同じ表情をしていた。目が合った瞬間、知恵はにこっと笑った。
「私、また気になることがあるんだ」
なぜ江戸川区にはドラゴンがいないのか? 右城歩 @ushiroaruki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます