第57話 口走る

 「…座ろう」


 俺がそう口にすると、秋山は元のいた席へとすたすたと戻っていった。それから俺も同じように席に着いた。

 秋山はふてくされた顔をしながらこちらを見ていた。


 「今の人達…誰なの」

 「美術部の三年生達だが」

 「…どうしてそんな人達が勇綺と知り合いなのよ」

 「それが…」


 …それから、秋山にも現状を正直に話した。

 どうしてこんなことになってしまったのかと言うことまでの全てを話した。


 秋山は聞いていく内に、複雑な心境のように表情を変えていった。


 「…なるほどね、事情はわかったよ。…でもそれって、勇綺が悪いわけではないってことでしょう」


 秋山は考え込むようにしてから立ち上がり、その席から離れようとしていた。


 「…どうしたんだ?」


 そう問いかけると、秋山は足を止めた。


 「さっきのあの人の発言、どんな事情があったかも知らずに、勇綺にあんなことを言ったのは私は許せない…。…本当のことをあの人達に伝えて、勇綺のことを誤解していることを解きたい」


 そして秋山はその生徒達の方へと向かおうとしていた。

 俺も立ち上がり、その歩いていた秋山の左の手首を右手で掴んで引き止めた。いつもとは逆のパターンだな…。


 「いいから…やめてくれ」

 「でもさぁ…!」


 秋山は必死の形相でこちらを振り向いた。

 本当に俺のことを思ってくれているようだった。それはそれで嬉しいことではあるのだが…ここで行かせてしまう訳にはいかない。


 「東條のことも思ってくれ。今は抑えて…」


 すると、秋山のその力んでいた腕から力が抜けていって、俺は手を離した。

 秋山はまだ何か不満そうにしながらも、もう一度席に戻り、俺も一緒に席に座った。


 「…どうして私、絵美ちゃんがそんなことになっていたことに気付いてあげられなかったんだろう…そうしたら、まだ違った結果になっていたかもしれないのに…」

 「まぁ…本人だって知られたくもなかったことだろうし…。こんなことになったのは俺の自己責任でしかないから」

 「だとしても…私だって手を差し伸べるくらいのことしてあげたかった…。今だって…勇綺に対しても同じ感情を抱いてるよ」


 本当に誰に対しても優しいんだな…秋山は…。


 「このこと、東條や他の誰かに言わないでおいてくれないか」

 「…うん、そのことは別に言うつもりなんかなかったけど…」


 秋山は未だに一口も口にしていなかった、手に持ったその冷めてしまったコーヒーをスプーンで掻き混ぜていた。


 「…勇綺は、絵美ちゃんの為にここまでのことをしていたんだね…。…こんなにまで、誰かのために行動するなんて初めてじゃないの」

 「…ああ」

 「…意外だったよ。勇綺も他人のためにそこまでするんだ…。…私のために動いてくれたことなんて一度もないのにね」


 そんなことを言われて、チラッと向けてきた視線に俺は目を逸らしてしまった。


 「あっ、その…意外に思っただけだから。悪く言うつもりなんてなかったの…」


 …そんなことはわかっている。

 動くも何も、秋山は俺如きが何か手助けするまでもないだろう。…それに、俺なんかに何か干渉されたくもないだろうとずっと思っていたからな。


 「…でも、どうしてこんなことが起こっちゃうんだろうね…。している側も嫌にならないのかな…」

 「そんな気持ちを持っているのならこんなことになんてならなかったと思う」


 誰だって立場が上の人間になりたい。下に見下せる人間が欲しい。彼女達はそういう者がいなければ保てないグループだったのだろう。

 秋山は下を向いてそのコーヒーを見つめながら落ち込んでいた。


 「おかしいよ…絶対…」

 「誰か一人はこんな境遇に合わなくてはいけないんだよ…。今はそれが俺になっただけだ。…俺はいいんだよ、これで。なんとも思わない、いつだって孤立した存在だからな。この立場が俺にはお似合いなんだ」


 秋山は悲痛な面持ちをしてこちらを見つめてから、首を大きく横に振っていた。


 「…こんなこと…間違ってるよ。これからもずっと勇綺がこんな目に遭ってるなんて見てられないよ」

 「いや、だから少しの間だけだって…そんな気にしなくてもいい」

 「…でも…なんか辛いよ。…折角最近、勇綺は少しずつだけど学校の生徒の一員として溶け込みつつあったのに、どうしてこんなことになるの…こんなことが続いたらまた…なんか、また元に戻ってしまうような気がして…」


 秋山は何か悩んでいる様子だった。


 「どうにか出来ないのかな、この状況を変える手段がさ…。その役割を私に向けさせるとか」

 「無理だろう…喋ってた奴、山口って言う生徒は俺のことを特に嫌っているからな。そう上手くはいかないだろう」


 秋山は難しい顔をしてから、何かを決意したようにテーブルに両手をついてからもう一度立ち上がった。


 「…でも、やっぱり嫌!その後どうなろうと、私は勇綺がこんな状況になっていることは見過ごせないよ」


 秋山は、本気でそう言ってくれているみたいだな…。俺だってできればこんな目になんて遭いたくなんかない。ただ、俺は…自分の意思で、自分の考えでここまでやってきたんだ。…それを否定されるようでは、さすがに俺も不服だった。


 「…このままじゃ収まらないよ。この後どうかなっても、私がなんとして見せるから」

 「やめてくれ…!」


 その場を動こうかとしていた秋山を、俺は少しだけ強めの口調で止めた。

 

 「秋山は…昔みたいに、見て見ぬ振りをしてくれればそれでいいから…」


 思わずポロっと、俺はそんなことを口走ってしまっていた。

 そして秋山の顔を見上げると、苦笑いをしながら何も言うことはなかった。

 おい、何を言ってるんだ俺は…こんなこと言うつもりなんてなかったのに…。つい、ここまでやっていた行為を踏みにじられそうになったことで、そんなことを発言していた。

 そして、秋山はゆっくりと座ってから依然、苦笑いを続けていた。


 「それを言われると…何も言い返せないかな…」


 その表情や言葉に胸が苦しくなった。本当に、そんなことを言うつもりなんてなかったはずなのに…。

 

 「最低だよね、私。優等生気取っちゃってたのに、そういう肝心な時は助けてあげられなかったんだもん…委員長だったのにね…」

 「違う、そんなつもりで言ったわけじゃ…」

 「本当に…私、弱かったから…」


 秋山は泣きそうな顔をしながらそんなことを言っていた。

 違う、最低なのは俺だ。今だって俺のことを思ってくれて、そしてこの状態をなんとかしてくれようとしてくれていたのだ。

 バカだ…冗談でもそんなこと言うべきではなかった。


 「…昔はできなかったからって、今その行為をしたら、あの時できなかったことを帳消しにできるんじゃないか…なんて考えてもいたの…。都合が良すぎるよね、そんなの」

 「違う…!そんなことはない」


 そうだ、秋山はその失態を繰り返さないようにとしてくれたんだ。その行為を批判する権利なんて俺にはあるはずなんてなかったんだ。


 「…秋山は、弱くなんかない。今だって俺の為に上級生に反抗しようとしてくれたじゃないか。…最低なのは俺の方だ。昔の話を蒸し返すようなことを言ってしまった。秋山は何も悪くない…!」


 俺は柄にもなく、少し声を張って真剣な眼差しを向けながら秋山へ訴えかけた。それに、秋山は驚いたように目を丸くしていた。


 「ど、どうしたの…?目が本気だよ、ちょっと怖い…」

 「俺なんかの為に…自分を嫌いにならないでくれよ…」


 俺は、どうしても秋山が俺なんかの為に自分を卑下しているその様を見ているのが辛かったのだ。


 「俺の好きな秋山を…悲観しないでくれ」


 そんな思いの言葉を本気で伝えると、秋山は顔を徐々に赤くしていった。


 「えっ、え…?!い、今なんて…」


 秋山は動揺していた様子だった。

 そんな顔を見て、自分でも動揺していた。

 今俺は一体何を言って…。すぐに今の発言を思い返してみたら、俺はとんでもないことを口走っていた。今までならこんなこと言うことなんてあり得なかった。しかし、つい感極まって言ってしまった…。

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