◇6

「どんなお願い?」

 母は呼びかけに歩み寄り、またベッドに腰かけると、章乃の顔を覗き込んできた。

「白いストッキングが欲しい」

 視線を窓外から母の顔に移しながらそう言って、急に上体を起こし、両手で顔をこする。

「章乃、持ってるじゃない」

「白いのはないの」

 章乃は笑いながらゆっくりと首を横に振る。「お願いできる? 買って来て欲しいの」

「それは構わないけど……」

「それから……」

 一瞬口をにごし、俯き加減でシーツに包まれた足元に視線を延ばした。「下着もお願い……上下真っ白なヤツ……」

「どうして?」

 母は微笑みながら真っすぐ章乃を見つめる。優しい表情に胸がいっぱいになる。

「どうしても。心機一転したいだけ」

 空を見上げ、きっぱりと言った。章乃も真っすぐ母に視線を向け、微笑む。

「分かったわ」

 母も章乃を見つめながら頷いた。「ほかにはない?」

「ええ、我がまま言って、ごめんなさい」

「そんなことぐらい……」

 母は微笑んで大きく首を横に振る。「章乃はもう少し我がままでもいいのよ。そんなに我慢しなくても……」

 母は章乃の顔を優しく両手で包むと、額に自分の額をくっつけた。母のしなやかな手の温もりと息遣いが章乃の胸を締めつける。

「お母さん、ありがとう。でも、そんなに甘えちゃ、バチが当たりそうだわ」

「そんなことないのよ」

 母は立ち上がると、静かにベッドの傍を離れた。部屋を出てドアの陰から章乃に一度笑みを見せ、ドアをそっと閉めた。階段を下りる母の足音が遠ざかる。

 章乃はしばらくドアの方を見つめると、また空を眺めた。さっき母に言った言葉を噛み締めた。

「心機一転したいだけ……か」

 偽りの言葉はあと味が悪いものだ、としみじみ思いながら、心の中で母に詫びた。

 人の体も何度も使い捨てられるといいのにと思う。そしたら要らぬ心配かけずに済む。自分の体の心配よりも、周りの者に負担を強いることが、章乃にはもどかしく、腹立たしい。

 此間、母に「迷惑かけてごめんなさい」と言ったら、凄い剣幕で叱責された。いつもの柔和な顔つきが般若へと変貌した。否、険しい表情の下に慈悲を隠した不動明王なのだ。章乃は叱られながら泣いた。己に対する悔しさと、母への感謝の涙だった。

 様々な感情の波が章乃を襲う。

 病は自分のせいではないことは分かっている。仕方のないことだとも思う。それでもこんな自分が情けなく思えてたまらないし、周りの気遣いが有難くもあり、こちらが負担に感じることもある。

 章乃は取り留めのないことばかり考えながら、目をつむって大きく溜息をついた。


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