あなたを救済に来ました
僕は杏ちゃんに手を引かれるまま、階段を駆け上がっていく。なんだこの奇妙な状況は。メイド服で引っぱられる僕はシンデレラか何かになったみたいだ……いや、その前に僕は男なんですけど。
そんな複雑なことを考えているうちに、杏ちゃんは3階で踊り場から離れ、僕と廊下を駆け続けた。
「よし、ここね」
ひとつの部屋の前で杏ちゃんが止まる。僕は部屋枠の角から突き出した鉄棒にぶら下げられたボードを見た。
「風紀委員会?」
「私、1年生にしてめでたく風紀委員の書記になったの」
杏ちゃんがそう語りながら、引き扉を開いた。
「さあ、入って」
「えっ、中に誰かいるんじゃ……?」
「今はいない。とにかくいらっしゃい」
僕はメイド服のまま、気まずそうに部屋に足を踏み入れた。実際にそこには杏ちゃん以外誰もいなかったけれど、こんな僕が女装したまま風紀委員の部屋に入るという矛盾感が、イヤに胸を締めつける。
なんとも綺麗な部屋だ。風紀委員の部屋らしく、中央に四角を作るように並べられた長机からワックスのかかった床、窓まで、すべてが新品に近いぐらい清潔に整えられている。
杏ちゃんが閉めた扉も、今日初めて使われたみたいに綺麗だった。
「さあ、何で私があなたをここへ連れて来たかわかる?」
僕は首を振った。当たり前だ。こんな状況、すぐに把握できるわけない。
「私、あなたを救済したいんだよね」
「キュ、キューサイ?」
「やっぱり、アンタは美里愛ちゃんに蝕まれちゃってるのね」
「べ、別にそんなつもりじゃないんだけど」
「だったらなんでそんな格好してるの?」
自分のメイド服を見直させられ、恥ずかしさが1割増した気がした。
「私が美里愛ちゃんのやり方、好きじゃないのわかるよね?」
「そ、それはわかるけど」
「美里愛ちゃんと同じ中学な私なんだけど、アイツ、中学のとき何したかわかる?」
「ええっ、僕は高校で君たちを初めて知ったわけだし、わかるわけないじゃん」
杏ちゃんの急な無茶ぶりに僕は狼狽えた。
「アイツ、放課後になったら、学校の内外でコスプレを見せつけてきたのよ。そのうち9割以上は女子学生としての品格を欠いた格好だった」
何をもって品格というのかは個人差があるだろうが、今までの美里愛ちゃんの格好を見る限りでも、確かに9割方は品を無視しているのはなんとなくわかる気がした。
「元の制服に着替えましょう。それどこいったの?」
「部室のなかだよ……」
僕は気まずく感じながら答えた。
「制服なら、取りにいかないと」
杏ちゃんが容赦なく僕のメイド服の襟元を引っ張った。
「待って!今、香帆ちゃんが着替え中なんだ」
「関係ないわ。今大事なのは、それ以上の被害を食い止めること」
僕の襟元を掴む杏ちゃんの手にさらなる力が加わるのを感じた。なんかメイド服でやんわり首を絞められてる感じがする。
「軽くきついから放してくれる?」
「ダメよ。このまま何もしないで明日を迎えたら、アンタはまた美里愛ちゃんにどんな着せ替え人形扱いを受けるかわからないわよ?」
「でも僕、香帆ちゃんの着替えのために一旦外に出ただけだよ。美里愛ちゃんに勝手に出て行ったとバレたら処刑されちゃう」
「ダメよ。美里愛ちゃんに食われたいの?あの人はメデューサよ。目が合った人にコスプレを押し付けるのよ!」
「メデューサは目が合った人を石にするんだけど。一応これでも、石にされるよりはマシかなあ」
僕は苦笑いしながら、杏ちゃんの大げさな表現に指摘した。
「No、No、No、No!何考えてるの?その油断が命取りなのよ。今のあなたは極限状態。美里愛ちゃんの低俗なコスプレ地獄に魂を蝕まれている。今、わずかな部分の理性で人間としてあるべき姿を保っている状態よ」
杏ちゃんが鬼気迫る様子で僕に語りかけた。僕にはさっぱり、杏ちゃんのシリアスな口調の意味がわからない。
「なあ、何でそんなに美里愛ちゃんから僕を遠ざけようとするんだ?」
「もちろん、これも美里愛ちゃんの思い通りにさせないための策。アンタ一人を引き止めることは目先のその場しのぎでしかないかもしれない。それでも、美里愛ちゃんの目論見を食い止めるには有効と考えられる」
「はあ?」
杏ちゃんのご高説に、僕はついていけない。
「私は彼女の中学時代からの蛮行を見ているのです。なぜなら彼女は放課後の学校のなか、町内、最寄りの駅前、そこから1つ先、2つ先の駅構内、果てはさらにその先の乗り換えのある駅構内で、数名の仲間を連れて自らの品性下劣な格好を見せびらかしていた。胸元が切り開かれて『何でそこまで短いの!?』と目を疑うぐらいに切り取られたパーティードレス、『低俗な写真集のアイドルか!』と突っ込みたくなるような短パン型のライオンの着ぐるみ、挙句の果てには、スクール水着一枚だけで電車に乗り込み、乗り換えのある駅を闊歩したところ、ほかのコスプレ仲間とともに警察から事情聴取を受ける羽目になった」
杏ちゃんの口から語られる美里愛ちゃんの刺激が強すぎるエピソードに、僕は閉口した。
「仲間たちもなぜか美里愛ちゃんの無間コスプレ地獄に呑まれていた。男女構わず女子もののスクール水着を容赦なく着せられ、身にまとった浴衣はなぜか多数のハサミが入りズタボロ、さらにはボンテージを着せられ『ベリアル』という名の悪魔を名乗らされた子もいたわね」
杏ちゃん曰く、美里愛ちゃんは少なくとも中学時代からその手の刺激を求めまくっていたようだ。
「私はそのたびに、美里愛に注意した。咎めた。警告した。時には彼女たちが参加するコスプレイベントに乗り込み、捕まえようとした。しかし彼女たちは私の手に全くかかることなく、むしろ私をコケにするように逃げたかと思えば、私に容赦ない攻撃を加え、返り討ちにした。彼女たちが使用した競技は数知れず、水鉄砲、おもちゃの剣、巨大空気ハンマー、マヨネーズ」
「マヨネーズ!?」
「そう、意地悪な酸味の固まりであるマヨネーズ。私が小さい頃から嫌いなマヨネーズ!」
杏ちゃんの腹を立てている対象が、いつの間にか美里愛ちゃんから変わっている気がした。
「ねえ、もしかして美里愛ちゃん、今日もマヨネーズ持ってない?」
杏ちゃんが心配そうに僕に問うてきた。
「そんなもん見てないけど?」
「美里愛ちゃんはアンタが思ってる以上に凶暴よ。だからやるのよ!これ以上の彼女の蛮行を止めるためには、風紀委員書記という新たな肩書きの名にかけて、美里愛ちゃんを全力で食い止めるの、美里愛ちゃんを美里愛ちゃんじゃなくさせるのよ!」
血迷ったような杏ちゃんの意気込みに、僕は辟易した。
「でも、どうやって?」
「それはね……」
杏ちゃんが答えようした矢先、扉が無造作に開かれた。そこには凍てついた形相の美里愛ちゃんと、仕方なくついてきただけと言わんばかりに申し訳なさそうな顔をした香帆ちゃんがいた。彼女たちはピッタリとしたタンクトップに、ショートスパッツでまとめていた。明らかにフィットネストレーナーのコスプレ。
風紀委員室が、地獄のエクササイズ現場に変わる……!
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