趣味でこんな格好してるわけじゃないんだから!
「決まったわよ」
「な、何を?」
月曜日、部室のなかで美里愛ちゃんは真顔のまま、一枚のチラシを鋭く指差していた。
「来週の土曜日、私たちはこのイベントに参加する」
チラシには、「体育館ユートピア!」というタイトルが力強くつづられていた。
「何これ?」
「関東地方の様々な体育館を会場にした、コスプレイベントシリーズ。今回で第258回目。それが来週の土曜日、この学校の近くにある『みらい体育館』で開催されるのよ」
美里愛がかすかに口角を上げ、嬉しさをのぞかせた。
「体育館ユートピア!私も行ってみたいです。いきなりさいたまスーパーアリーナとか、東京ビッグサイトとかのイベントでは緊張しちゃうから、まずはここで体を慣らしたいです」
香帆ちゃんもドキドキした様子ながら、乗り気をアピールした。
「マジかよ?そりゃさいたまスーパーアリーナとかより小さな会場かもしれないけど、コスプレした人たちが集まるのは変わりないでしょ?僕、そういうところは行きたくないな~。なんかそこに入ると全身がムズムズしちゃうような」
美里愛ちゃんが何の前触れもなく、あの契約書を突きつけた。
「もし、J.K.C.Kアシスタントとしての務めを無断で放棄した場合、コスプレを3パターン決めながら校内を10周ずつしてもらいます。」
そう書かれた物騒な文字をまた見せつけられる。
「コスプレ3セットしながら校内10周ずつだろ。わかってるよ」
「ちっともわかってないわね。下の方までちゃんと見た?」
美里愛ちゃんの言葉に僕は耳を疑った。そして、契約書裏面の下の方を見る。
「あと、10万払ってね」
それは、契約書の右下の方に、米粒かと思うぐらい小さな文字で書かれていた。
「こんなの気付くわけないじゃん!」
「気づかない方が悪いの。だって、ちゃんと名前書いちゃったでしょ」
美里愛ちゃんが契約書を裏返し、僕に名前を確かめさせた。確かに白滝清太とサインされている。ていうか僕がしたんだ。
「アシスタントの務めを放棄しても、アンタがコスプレする運命からは逃れられない。アシスタントらしく、イベントについてきてもらうわよ」
「マジの脅迫じゃん……」
僕はドン引きした。こめかみのあたりから一筋の冷たい汗が流れた気がした。
「そこまで詰め寄らなくても」
香帆ちゃんがたまらず美里愛ちゃんをなだめようとする。
「研究会長の言うことは絶対よ」
美里愛ちゃんが冷たい声で香帆ちゃんを刺す。香帆ちゃんも気が動転した様子だった。
---
「これ、一体何ですか?」
「そうだよ、これ、ちょっとどうなのかな?」
「文句言わないの。私から見たら二人ともそれぞれのコスプレ、よく似合ってるわよ。気に入ってくれる人、確実にいるでしょ」
「片方ボロボロなんですけど」
「つべこべ言わないの」
抗議する僕の横で、香帆ちゃんが恥ずかしそうに内股をしながら顔を赤らめている。僕も恥ずかしい。なぜなら、僕たちはスカイブルーを基調としたメイド服に身を包んでいるからだ。そのうち香帆ちゃんが着ているものは、異世界の野獣にでも襲われたようにズタボロになっている。スカートの部分も大きく避けてパ、パンツ……が見えちゃいそうだし、胸元も大きく破られてて、何かこう、おっきいのが……。
「あっ、メイドが鼻血出しちゃダメ!」
美里愛ちゃんが慌てて僕をとがめるも、時すでに遅し。僕の鼻のナイアガラは活動再開した。気まずさのあまり鼻を覆う僕だが、手の下からも血が垂れてきた。
「これあげるから、早くふさいで」
僕は美里愛ちゃんが床に滑らせたティッシュを受け取る。メイド服を血で汚さまいとうつ伏せで顔を必死に突き出す。必死で中身を出している間も、手やティッシュの袋に赤い滴が垂れる。
「私が貸したコスプレ衣装まで血で汚されたらたまったもんじゃないわ。それに、アンタは鼻血でオムライスにお絵かきしようっての?」
「人聞きの悪いこと言うなよ……」
僕は嘆きながらも、どうにかティッシュロケットを作り、鼻に突っ込ませた。
「ちょっと衣装チェックさせて」
僕は言われるがままに立ち上がる。美里愛ちゃんが目視でメイド服に血がついてないかチェックする。
「何とか大丈夫みたいね」
美里愛ちゃんとともに、僕もホッと胸をなでおろした。
「よし、これから撮影タイムよ」
「何!?」
間髪入れず宣言した美里愛ちゃんに、僕は仰天した。
「何言ってんの、スマートフォンで写真撮影よ。コスプレができる喜びを、思い出に残すのは大切よ。自分がどんな風に衣装を着こなせているか、どの衣装が似合っているかも写真を撮ってみなければ分からないんだし」
「嫌だよ。こんな格好をした写真、両親が見たら絶対ドン引くって。ドン引きじゃ済まないって」
僕は当然のように不満を示した。
「だからつべこべ言わない。私はコスプレした証を思い出に残したいの。多分この世のコスプレイヤーの90%ぐらいはそうよ」
「僕はそうじゃない方の10%です。ていうかコスプレイヤーになる気もないから」
「コスプレ研究会のアシスタントとして契約したんだから、コスプレ姿のひとつくらい記録に残さなければ、アンタはただの鼻血モンスターよ」
「その二つ名もやめろ!」
「やめない。だっていつもいつも鼻からナイアガラの滝が流れてるじゃない」
「これも流したくて流してるわけじゃないから。本当の自然現象だから」
「あの、私のせいで鼻血流れちゃったんですよね?」
香帆ちゃんが急に僕に申し訳なさそうにしてきた。
「いやいや、別に気にしないで。変なこと考えてたわけじゃないから」
「でも、男子が女子の前で鼻血を流しちゃうってことは、そういう意味ですよね?」
香帆ちゃんは恥ずかしそうに僕から後ずさりした。
「だからそういう意味じゃないって!」
「おい、撮るぞ」
「えっ!?マジでやるの!?」
美里愛ちゃんがもうスマホを構えている。この時点の僕に心の準備なんてできているわけない。
「あっ、もうカメラモード入れちゃった。1分間何も撮らなかったら自動で切れちゃうから早くして」
「ウソ、ウソ、マジで撮る気?」
「うん」
美里愛ちゃんはクールな顔のまま、僕の前にスマホをかざす。僕は慌ててスマホに手を出そうとしたが、それが女子のものだと気づいた瞬間、両手は急ブレーキして震えた。
カシャッ。
無情のシャッター音が部屋に響いた。
「もしかして撮っちゃった?」
「うん」
美里愛ちゃんはスマホの画面を見つめたまま頷いた。
「何で?何で?Why?これで僕、完全にそういう趣味の人間だって扱われちゃうんじゃないか!」
「別にそれでもいいじゃん」
「よくない!僕を何だと思ってるんだ!」
「J.K.C.K.の公式アシスタントになるってことは、自分のコスプレ写真を撮られる覚悟ぐらいないとダメだよ」
「いやいやいやいや、僕はそもそもこんな部活とも研究会ともいえない代物のアシスタントに喜んでなりたかったわけじゃないから」
「契約書に名前書いたのアンタじゃない。『白滝清太』って」
「確かにちゃんと契約書読んでたくて本当に申し訳ないけど、ここで今一度撤回させてくれない?マジで」
「無理」
「無理とか言わないで」
僕は必死に美里愛ちゃんに訴えたが、彼女の視線は冷たいままだった。
「無理なものは無理。どうしてもっていうなら、私が指定した衣装で校庭10周走ってもらうから」
「校庭10周走るだけでも充分厳しいのに、美里愛ちゃんに服装まで指定されなきゃいけないのかよ」
「うん」
「だからさらりと頷かないで!」
「あの、校庭10周走るときって、どんなセクシーなコスプレなんですか?」
香帆ちゃんが素朴な感じで美里愛ちゃんに質問した。
「まあ、走る前提だから、それなりに動きやすい格好になるわね。少なくともこんなメイド服みたいに着込まないわ」
美里愛ちゃんが何食わぬ顔で答える。セクシーなコスプレのジャンルに関する明言は避けた。
「あっ、そうだ」
美里愛ちゃんが何かを思い立ったようで、不敵にニヤリとした。
「何だ、今度は何がおかしいんだ?」
「香帆、今から動きやすいコスプレに着替えて写真撮ろう」
「動きやすい……コスプレですか?」
「そろそろ使ってやろうと思ったとっておきの衣装があるぞ。ほら、早速それ脱いでくれ」
ハンガーラックを物色し始めた美里愛ちゃん。一方の香帆ちゃんは、「恥ずかしくて脱げない」と言わんばかりの不安げなアイコンタクトを僕に送ってきた。
僕はメイド服のまま廊下に出た。と言っても扉を背に突っ立っているだけだ。画が画だけに何か悪いことして罰されているみたいだ。
僕は強く目を閉じた。自分がメイド服で廊下にいることで、通りがかった生徒や先生とやらに好奇の目で見られるのが怖かった。だから自分から目を閉じて、そういう人の目に精一杯の対策をしたわけだ。
扉の向こうでは、美里愛ちゃんが「ほらほら、早くしなよ」と急き立てる声や、香帆ちゃんの「本当にこれ着るんですか?」と不安そうに訴える声が聞こえる。
「何してるの?」
唐突に女子の声が聞こえた。明らかに僕の前から声をかけている。僕はハッとして目を開いた。
「杏ちゃん?」
「ちょっと来てもらおうか」
「今、美里愛ちゃんと香帆ちゃんの着替え待ちなんだけど」
「関係なし。とにかく来て」
「えっ、ウソ、何で?」
僕はワケもわからず、杏ちゃんにぎゅっと手を掴まれ、どこかへ引っ張られる形で強制的に廊下を走らされるのだった。状況がつかめなさすぎて、美里愛ちゃんに勝手に場所を離れて申し訳ないと思う余裕さえなかった。
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