第927話 2022/4/28 責任者

 本日は8時起き、晴天。朝方は冷え込んだ。もう5月なのに暖房の心配しなきゃならんのは勘弁してほしい。この先1週間ほどは冷え込みに警戒しないといけない。厄介な厄介な。

 アルファポリスの「第5回ホラー・ミステリー小説大賞」で、「強請り屋 二重描線のスケッチ」が奨励賞となった。認めてもらえたのは大変に嬉しいのだが、うーむうーむうーむ。もうちょっと上を目指せなかったか。やはり何かが足りなかったのだろうな。いま書いてる作品では、その辺レベルアップできていたらいいのだが。しかしアルファポリスでないと賞に絡めないというのもアレである。何とか他でも認められるようにならんと。ちなみに奨励賞なので賞金はない。ない!


 昔々の話。虫けらがコンビニでアルバイトをしていたときのこと。深夜、クレームの電話がかかってきた。クレームの内容はもうまったく覚えていない。そもそも深夜のクレームなど、たいていは半分ボケたような爺さん婆さんが面白半分に電話をかけて来るものであり、イチイチ真面目に対応していたら身が持たない。そこで虫けらが適当に相手をしていると、それがバレたのだろう、相手は大声でこう叫んだ。

「責任者を出せ!」

 そこでいい加減、面倒臭くなった虫けらはこう答えた。

「私が責任者ですが」

 そしたら相手が怒る怒る。「ふざけてんのか!」しか聞き取れなかったが、適当に怒鳴らせておいて電話を切った。後のことは覚えていない。

 ことほど左様に、日本は何かと責任者を引っ張り出したがる。責任者が出て来れば自分の勝ちだとでも思っているかの如く。無論、責任者は責任を取るのが仕事なので、何かあれば引っ張り出されるのも給料の内ではあるのだが、そこに何の意味があるのかと冷静になって考えると、あまり意味などないように思える。責任者が頭を下げれば死んだ人間も生き返るというのなら、力尽くでも引きずり出すべきなのだろうが、何も変わらないのが現実であろう。

 もちろんメディアの人間にしてみたら、そこに「報道すべき新事実」を見出すことができるかも知れない、という建前があるのだ。実際には埋め草のネタ探しに過ぎないものの、この際それは横に置いておく。とにかく社会的影響の大きな事件が起これば、とりあえず責任者を衆目に晒すのが責務だと思っており、その責務を律儀にシンプルに短絡的にまっとうしているだけである。責めるのも酷か。

 ただ、たまに聞こえてくる「被害者に寄り添った報道」という言葉には、いささか虫唾が走る。それは「被害者の味方側の立場」という錦の御旗をふりかざして好き勝手やりたいというだけの話ではないのか。もちろん加害者がメディアの報道により社会的制裁を受け、追い詰められて行くことに溜飲が下がる思いをする人がいるのは間違いないし、それがおかしいと言うつもりもない。人として正常な反応だとは思う。ただし日本は法治国家であり、メディアに裁判権はない。勝手に犯人を決めつけて勝手に断罪することが許されている訳ではないのだが、この大前提を忘れているのだろうかと思うことがたまにある。

 27日、知床の海に沈んだ客船の運航会社の社長が記者会見を開き、3回土下座をしたらしい。物凄く不愉快である。土下座といえば国会議員が真っ先に思い浮かぶ人もいるかも知れないが、国会議員は選挙で勝たせてくれ、あるいは勝てたことを感謝する、という意味合いのポジティブな土下座である。アホかとは思うものの、まあ苦笑いで許せなくもない。

 しかし今回、この社長の土下座はただのパフォーマンスにしか見えない。自分の責任の範疇にある業務上の判断によって何人もの命が失われているのに、ただ自分が責められないようにしたいというだけの姑息かつ卑怯な土下座に思える。そんなに責められたくないのなら、何故責められるような判断をしたのか意味がわからん。正常性バイアスとでも言いたいのだろうか。

 そしてこれを報ずるメディアもメディアである。土下座の回数など大きく報じている場合か。沢山土下座をすれば偉いのか。何度も土下座をして反省しているから責めないでやって欲しいとでも言いたいのか。違うだろう。メディアとしてはまったく逆のメッセージを受け手に送りたいはずだ。

「このみじめったらしい社長は他にもこんな愚かな判断をしている。さあ叩け!」

 というのがメディアの報じたいこと、あるいはメディアの考える「読者・視聴者の望んでいる情報」なのではないか。

 この社長が非難されるに値する人物であることは確かに間違いないのだろう。だが、その非難のための下ごしらえをメディアにしていただく必要があるのか。自分たちこそが情報発信者たる「主」で、読者・視聴者は一方的に受けるだけの「従󠄁」であると言いたいのかも知れないが、こちらの感情までコントロールされねばならない理由など毛の先ほどもない。いい加減それを理解しても良さそうに思うのだがな。

 メディアはフィクション作家ではないのだ。あった事実を客観的に正確に報じてくれればそれでいい。それ以上の何かをしたいのなら、まずは記事の前に「これは小説です」とでも書いたらどうだと思う次第。

 

 少ないが、本日はこんなところで。はあ、気分が重い。イロイロやらにゃいかんのだが、ケツが重いものでなかなか消化できない。何とかしないとなあ。

 昨日は何とか2000文字書けた。今日はどの程度頑張れるか。さて。

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