第772話 2021/11/24 小ネタ集

 本日は8時半起き。晴天。本当はもっと早く目が覚めていたのだが、例によって起きられない。起きるのが嫌だ。できることなら飯も食いたくないし、トイレにも行きたくない。とにかく体を動かしたくないし、目を開けることすら嫌だ。そんな状態から体を動かし何とか飯を食うところまで持って行った自分を褒めてやりたいところ。ああ冬だ冬だ。明日はちょっとマシになるらしいが、これから数ヶ月はうつむいて暮らすしかない。陰鬱陰鬱。

 そんな訳で本日は小ネタ集。ネタが全然ない。


 日本生命保険の調査によれば、「飲みニケーション」について全体の37%が「不要」、25%が「どちらかといえば不要」と答えたらしい。まあこのご時世である、何を好き好んでわざわざ自分の感染リスクを高くしなければならんのか。不要と答えるのも当然であろう。

 最初に「飲みニケーション」と言い出したのは居酒屋の「やぐら茶屋」だったはずだが、NHKでもこの言葉を目にした気がする。ただし、やぐら茶屋のCMでは「飲みニケーション」ではなく「飲みにケーション」と書かれてある。「に」が平仮名なのだな。なお、やぐら茶屋は10年前の2011年に全店が閉店している。

 虎は死して皮を留め、人は死して名を残す。やぐら茶屋は死して飲みニケーションを残した訳だ。いらんモノを残しやがって、という気もしないではない。


 虫けらが映像作品のDVDやBlu-rayを買うために重要なポイントは、金でもなければその作品への愛でもない。夜中の頭が回らない時間帯に偶然それが目に入るかどうかだけである。おかげで買ったものの封も開けず見ていないDVDやBlu-rayがいくつもある。

 しかし実際のところ、いま光学ディスクを買う必要などほとんどない。ネット配信でこと足りるからだ。足りるどころか多すぎて、とても全部は見て回れない現状である。虫けらが金を払ってるのはアマプラだけだが、それでも多すぎる。興味を持った作品を全部見ようと思ったら小説を書くのをやめ、食事時間も睡眠時間も削らねばならない。ほぼ不可能と言っていい。そんな現代なのに、だ。

 福岡県の私立大学に務める事務職員の39歳の男が、レンタルビデオ店でレンタル用と販売用のDVDを計13点、約3万円相当を盗もうとした疑いで警察に逮捕された。カバンに入れて店を出ようとしたのを店員に見つかり、DVDを置いて逃走したものの、翌日に逮捕されている。

 何でいまどきDVDなど盗む必要があるのだ。まあ配信されてない作品だった可能性もなきにしもあらずだが、普通に考えるとアダルトだろう。もちろんアダルトも有料配信はあるのだが、その金がもったいなかったのかも知れない。何に対して金を払う価値を見出すかは人それぞれだ。しかし、価値がないのなら欲しがらなければいいだろう。価値はないが欲しいから盗む、って原始人でも呆れ返るくらい無理のある理屈なのではないか。

 だいたい定職に就いているなら、多少の金の都合くらいつくだろうに。こんなことで無職になって何が嬉しいのか。何とも呆れ返るばかり。


 難波といえば大阪の繁華街ミナミの玄関口である。南海本線の電車に乗って難波駅に着き、そのまま進行方向の出口から外に出れば高島屋の前。横切る車道があって、その向こうに千日前商店街があるのだが、昨日23日から12月2日まで、この車道を車両通行止めにして歩行者天国とする社会実験が行われている。

 Twitterやヤフコメを見る限り、一部には反対の声もあるものの、概ね好評のように思える。まあ、この横切る車道というのが言うほど広くもない道で、御堂筋から日本橋筋に抜ける車が利用したりするのだが、日中はずっと車が渋滞を起こしており、観光の観点から考えれば、ミナミの玄関口としてはあまり良い景色ではなかった。

 電車で難波に来た客が信号待ちをせずに商店街へと繰り出せる、と考えればメリットは大きかろう。もちろんここを車両通行止めにすると別の道路が混雑するのだが、もしそれが想定の範囲内であれば、恒久的な歩行者天国となるかも知れない。ミナミの景色も変わって行く。社会実験の結果を見守りたいところ。


 漢字で「捏造」と書けば「ねつぞう」と読むのが現代では普通だが、昔は「でつぞう」とも読んだらしい。この「でつぞう」から派生する形で生まれた言葉が「でっち上げ」である。漢字で書くと「捏ち上げ」と書く。

 さて中国のテニス選手が中国共産党の元副首相に性的虐待を受け、それを公表した後行方不明となっている件で、中国外務省の趙立堅報道官は23日、「特定の人々」は「悪意あるでっち上げ」をやめるべきだと述べた、とロイターが報じている。具体的にどの部分がでっち上げなのだろうな。

 この件、ロイター以外の報道各社も当然報じているのだが、報道官の発言が短かったこともあるのか、どこも何だか歯切れが悪いような気がする。

「最近複数の公的行事に出席したり、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長とビデオ通話をしたりする様子を、皆目にしたはずだ」

 との発言を伝えているのはAFPくらいか。どこぞの匿名掲示板なら「デカい釣り針だな」と言われるところであろう。報道官はこの問題を「政治問題化してはならない」(時事通信)とも述べたようだが、本人が自由に動いて自由に話せれば誰も政治問題化はしないし、できないのだ。何でそうしないのだろうな。不思議不思議。


 新型コロナウイルス感染の第4波らしいのだが、ドイツでは現在感染者数が拡大中である。世界的に感染が抑え込まれつつある中、さすがにしびれを切らせたのか、要人がワクチン接種を国民に強く求めるケースが続いている。

 22日にはイエンス・シュパーン保健相が、

「この冬が終わるころには、ドイツでは全員がワクチン接種を済ませているか、回復しているか、死んでいるかのいずれかだ」

「自由は責任をとることを意味する。そして今では、ワクチンを受けることは社会への義務だ」

「ワクチンを受けていない人は誰もが今後数カ月の間に感染し、感染した際には何の防御も身についていないことになる」(以上BBC)

 と記者団に語った。

 また23日には、メルケル首相の夫で量子化学者のヨアヒム・ザウアー氏が

「人口の3分の1が科学的知見に従っていないのは驚きだ」

「一つには、これはある種の怠惰や独り善がりが原因だ」(以上時事通信)

 とインタビューで話している。

 言いたいことは非常に良くわかるのだが、まあドイツ人全員がワクチン接種を受けるなど有り得ない話だろう。どれくらい有り得ないかと言えば、日本人全員がワクチン接種を受けたり、アメリカ人全員がワクチン接種を受けたりするくらい有り得ない話だと考えていい。ほぼ絶望的だ。

「智に働けば角が立つ。情に棹差せば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」

 とは夏目漱石の「草枕」の冒頭だが、まさに現状がこれである。どれだけ正しい理屈を用意しても、角は立つものだ。感情論に訴えてみても、「グダグダ言わんとワクチン打て!」と意地になってみても、打たないヤツは何をどうしても打たないのだ。我々はそれを前提として動くしかない。まったく、人の世は住みにくいな。


 本日はこんなところで。壁の中や天井裏をネズミが走り回っている。どうにかしたいのだが、現状ではどうにもできない。何とも腹立たしい。

 昨日は1500文字ほどしか書けていない。何とか今日は頑張れるだろうか。

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