第752話 2021/11/4 神話とか

 本日は5時起き。久しぶりに車の夢を見た。どこかに自分の買い換えた車が置いてあるのだが、その場所を忘れてしまっている、という夢だ。もちろんそんな事実も過去の経験もない。だいたい新しく車を買える金なんて、ずーっとないのだから。でもまあ、横溝賞の賞金が入ったら中古車を買う事も可能だな、とか思うことはある。「もし宝くじが当たったら」とまったく同じ発想であるな。人間、夢を見たいものなのだ。


 世界各地に国生み神話は存在し、その多くは王族と関係している。無論、国生み神話を持たない王族もいれば、かつてはそんな王族がいたものの、共和制を導入して王族を排除した国もある。なのでこの人間世界には、思ったほど神話がすし詰めにはなっていない。

 世界で最も有名な神話と言えば、やはりギリシャ・ローマ神話ではないか。この2つの神話は登場する神の名前は異なるが、設定や物語はほぼ同じだ。これらはギリシャとイタリアだけの神話ではなく、ヨーロッパの神話として西欧各国では受け入れられているように思う。

 対してスウェーデンやノルウェーといった北欧には、いわゆる北欧神話というゲルマン系の神話が伝わっている。登場する神々はギリシャ・ローマ神話の影響を受けているとは言われるものの、物語はまったく違う。ジークフリート的な英雄がドラゴンであるファーフナーを倒すような話はギリシャ・ローマ神話にも登場するが、ラグナロク(神々の黄昏)はギリシャ・ローマ神話には存在しない物語要素である。ラグナロクでは巨大な魔狼フェンリルに神々の世界は飲み込まれてしまう。これに近い物語を探すと、インドのヒンドゥー教神話にまでたどり着くのではないか。

 ヒンドゥーの神話では破壊神シヴァによってこの世界は過去何度も滅ぼされているはずだし、悪蛇ヴリトラとか阿修羅の攻撃によって幾度も絶滅の危機に瀕している。だからといってヒンドゥー神話と北欧神話を直接的に結びつけてしまうのは短絡的なのだが、少なくとも人間の考えることには大差ない同様の傾向が見て取れるという証左にはなり得るのではないか。

 現代インドには王族はいないが、19世紀にイギリスがムガール帝国を植民地化するまでは王に類する君主がいたし、マハーラージャ(藩王)も多数いた。おそらくそれらの血統を遡れば、ヒンドゥーの神々に至る道が現われるのではないか。王というのはどこでもそんなものである。王権神授説は15世紀頃からキリスト教圏で専制政治を支えた観念であるが、これに似たり寄ったりの考え方は自然発生的にどこの国にもあったのだ。基本的に、神話と王はセットであると言える。

 しかし世界を見渡せば、神話も王も持たない国が存在する。その代表が超大国アメリカである。もちろん厳密に言えばアメリカにもネイティブアメリカンの創世神話は存在するのだが、大半のアメリカ人は自分たちの神話としてそれを共有していない。彼らの多くにとって神とは聖書の唯一絶対神だけであり、そこに歴史を連ねる王朝を仰いだ歴史もない。イギリスを始めとする欧州諸国の植民地だった歴史はあるが、アメリカを建国したのはそれらの国から逃げ出して来た人々である。アメリカ人にとっての母国はUSAであって欧州諸国ではなく、またネイティブアメリカンの神話にもつながっていないのだ。

 アメリカには世界各国の王と並ぶ国家元首として大統領がいるが、それでも心のどこかに歴史と地続きではない自国に対するコンプレックスはあるのだろう。だからスターウォーズに熱狂する。あの特撮CG映画が「アメリカの神話」だというのだ。そして王族を求める。「アメリカの王族」、それがケネディ一族である。

 ケネディ一族を代表するのは言うまでもなく1963年11月22日に現職大統領として暗殺されたJFKことジョン・F・ケネディである。彼の弟ロバートも暗殺され、他の兄弟や親族もことごとく不幸な目に遭っている。このいわゆる「ケネディ家の呪い」こそが彼らを神格化させ、崇拝させる一因ではないかと考えられる。

 さてそんなJFKにはJFKジュニアという息子がいたのだが、彼もケネディ家の呪いから逃れることはできなかった。1999年7月16日、乗っていた飛行機が墜落し、38歳で死亡したのだ。ところが、アメリカにはこれを信じていない人々がいる。ジュニアの墜落事故は世界の表舞台から姿を隠すための偽装であり、あの陰謀論で有名なQアノンを設立した人物こそがジュニアなのだと。

 そしてそのジュニアが、とうとう復活するという噂が立った。2021年11月2日の午前0時29分、父が暗殺されたダラスのディーリー・プラザにジュニアが現われ、トランプ氏を大統領に復職させるとの話がQアノン信者の間を駆け巡り、2日未明に数百人の信者がディーリー・プラザ前に集結したらしい。

 だが結果としてジュニアは姿を見せず、トランプ氏が大統領に復職することもなかった。当たり前である。もし仮に、万が一、何かの間違いでジュニアが生きていたとしても、普通に考えてトランプ氏を大統領に復職させる権限など持っているはずがあるまい。家は金持ちかも知れないが、ただの一般市民だぞ。考えなくてもわかるだろう。アホか。

 だが、これが本人たちにはわからないのだよなあ。ケネディ家は特別だという「常識」が頭にこびりついているから、それくらいできてしまうように思い込んでしまうのだ。

 これはQアノンだけの話ではない。反ワクチンとか、あるいは先般の日本の総選挙における野党支持者の盛り上がりとかでも根っこは同じだ。いわゆる「エコーチェンバー」というヤツで、同じ傾向の考えを持った人間の間で情報が行き来すると、それが増幅され、巨大な意思であるかのような錯覚を覚えてしまうのだ。

 SNSでリツイートなりいいねなりされて、その件数が1万件とか5万件とかになると、物凄い数の人間が同じ方向を向いているかのように思えてしまうが、それはあくまでも内輪の数字である。いままで別の考えを持っていた人5万人に広がった訳ではない。それが10万件にまで増えたとしても、元から同じ考え方をしていた10万人が支持しただけだ。日本だけでも1億2000万人の人間がいる。その中のたった10万人の意見など、ほぼゼロに等しい。そんな当たり前のことが見えなくなってしまうのが、カルトや陰謀論の厄介なところである。

 アメリカ人が神話を欲するのも、ケネディ家を崇拝するのも、どこかで神に連なりたいと願う気持ちがあるのではないか。日本のように身近に八百万の神様がいる国の人間にはピンと来ないのだろうが、彼らにとっては胸の内の空虚を埋める懸命な行為なのかも知れない。でも、もうちょっとちゃんと考えろよ、とは思うが。


 今日4日で坂本弁護士一家がオウム真理教に殺害されてから32年だという。何故TBSはいまだにのうのうとテレビ放送を続けていられるのだろう。何故刑事罰を受けないのだろう。そこには警察や検察から、何らかの「特別扱い」があったと考えるべきなのではないか。それはメディアが権力と癒着し、権力と一体化している明確な証拠であろう。

 日本のメディアは「権力を監視する」などといまだに戯言を抜かしているが、そんなことは不可能である。日本のメディアすべてではないという意見もあろうが、少なくともTBSには絶対に不可能だ。なのにTBS以外のメディアはその事実を主張しない。こんな連中に自浄作用など期待しても無駄だ。日本のメディアは規制されるべきである。もちろん表現の自由は何より大事だが、だからメディアの暴挙を放置して良いという理屈は通らない。とりあえずTBSは放送禁止処分を受けるべきだ。それは最低限であると思う次第。


 本日はこんなところで。外は薄曇りといったところか。体調は悪くないのだが、どうにもパッとしないな。しかし今日は時間だけはある。イロイロと書き進めたいところ。何とか頑張るしかない。

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