第617話 2021/6/22 卒塔婆とか
本日は11時起き。曇天。はうー。まあ雨が降ってないだけ幾分マシではある訳だが、何とも体が重い。早く梅雨明けないかなあ、と思ってもまだ6月すら終わっていないのだ。先が思いやられる。
卒塔婆と言えば墓場にある変な形をした板だ。ただの木の板に文字が書いてあるだけの物であり、それ以上の意味も価値も値打ちもない。
卒塔婆という言葉はサンスクリット語の「ストゥーパ」に由来する。ストゥーパとは元々「頭部」「高く
これが釈迦の死後、インドの仏教において釈迦の遺骨を納めた五輪塔を指す言葉になり、この言葉が中国に渡って卒塔婆という文字が当てられた。そして日本の仏教は、五輪塔を模した形の板を墓の後ろに立てる事にしたのである。
まあ日本の墓地は狭いし、そもそも貧しい庶民に五輪塔など建てられるはずもないからな。いや仮に建てられたところで、そこに仏陀の骨が収められていなければただの塔である。何の意味もない。ましてやその五輪塔の形を模しただけの板に何の値打ちがあろう。
繰り返すが、日本の卒塔婆はただの板である。「できれば五輪塔を建てたいな」という願望が込められているのはわかるし、何やかんや文字が書かれているのもわかるが、それ以上の意味も価値も値打ちもない。カマボコ板よりは長い分だけ値段は高いだろう。しかしカマボコ板より上等でも高級でもハイレベルでもない。ただの板だ。
五輪塔の五という数字には「地」「水」「火」「風」「空」という仏教的五行説が意味として込められており、卒塔婆の形にもそれは反映されているという。だが五輪塔に仏舎利を納めたのは釈迦の弟子が「勝手にやった事」である。そしてそれを模して木の板を墓場に立てているのも、日本の仏教徒が「勝手にやった事」である。そこに釈迦の意思や哲学はない。なのに寺の坊主は信者にそれを説明しない。もし宗教がいまのように特別視されず、サービス業に分類されていれば、景品表示法で摘発されるレベルであろう。
戒名などもそうであるが、都合の悪い部分は何も説明せずに自分たちに都合の良い事ばかりを並べ立て金を無心する。それが宗教家の営業努力である。常識人には向かない商売だ。
さて昨日21日、愛知県豊田市の墓地で44歳の女が卒塔婆とハンマーを振り回して大暴れする事件があったらしい。ケガ人は出なかったが、墓の掃除当番だった近所に住む男性の軽自動車のフロントガラスが割られた模様。暴れた理由などはまだ報じられていないが、続報はないかも知れないな。
傍迷惑な話ではあるが、卒塔婆を振り回したところで別に罰が当たる訳でも呪われる訳でもない。ただの器物損壊事案である。粛々と法に則った処分が下される事だろう。
菅総理大臣は21日の記者会見で、
「尾身会長をはじめ皆さんの提案はしっかり受け止めたい。緊急事態宣言が必要になった場合、無観客試合を臨機応変に行うことを考えながら国民の皆さんの安全・安心を最優先する大会にしたい」
「緊急事態宣言の時、そうしたことについては十分にあり得る。安全・安心が最優先にあるのは当然のことだと思う。安全安心のために無観客というのを辞さないということだ」(以上NHK)
などと述べた。
辞さない……? 「辞さない」とは普通、「ためらいなく実行する」といった意味である。この新型コロナ禍の中、首相の立場でオリンピックを無観客開催する事に何のためらいが必要なのだろうか。主催する東京都の小池知事の立場でなら、まだ理解はできないでもないが。
首相の立場に相応しい言葉を探すなら、やはり「中止も辞さない」ではないのか。無観客にする程度で辞すの辞さないのと言うのは、日本国の宰相としていささか言葉が軽すぎる気がする次第。
短いが、本日はこんなところで。あと2つくらいネタがあると嬉しいのだけれど。まあ仕方ない。
昨日は更新しただけで疲れ果ててしまった。今日も何とか頑張って行こう。
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