第500話 2021/2/25 数字とか

 本日は6時起き。夢も見ないスッキリとした朝。2日連続か。やっぱり養命酒効果なのだろうか。

 さて500話である。記念すべき500話目。もちろん例によって例の如く、何の企画もありはしない。いつも通り淡々と更新するのみである。

 とは言っても、虫けら1人で500話を書いて来れた訳ではない。読者の存在なくして、この日記も存在し得ないのだ。

 いつもいつも、こんな駄文を読んで頂いてありがとうございます。心より感謝いたしております。今後ともどうぞよろしく。


 地方都市の人口減少が止まらない。と言っても、別に地方都市で人が沢山死んで、それに比して子供が産まれない、という訳ではない。これは大抵の場合、若者と呼ばれる人口層が大都市圏へと流出する事で起きる現象である。

 では何故若者は大都市圏へと移り住むのかと言えば、大都市の方が治安が良くて政情が安定しているから、ではもちろんない。大都市の方が仕事があるからだ。人口の移動とは得てしてそのような理由で起こるのである。

 第二次世界大戦前、中国の南京市には、1937年7月頃の時点で約100万人の人口があった。これが12月頃には約20万人程度に急減する。ここまで読んで「南京大虐殺が起こったのだな!」と思った人もいるかも知れないが、さにあらず。日本軍が南京を攻撃して陥落させるのは12月13日になってから。つまりこの人口減は日本軍の攻撃によるものではなく、「南京が日本軍に攻撃されるらしい」という情報を受けて市民が流出した事によるものだ。

 そして日本軍は南京を攻撃し、陥落させて入城する。この後、南京事件が起きたとされる訳だが、その死亡者数は中国側の発表で30万人である。20万人しか残っていなかった南京でどうやって30万人殺したのかは不明だが、もしかしたら何らかの想像を絶する超自然現象でも発生したのかも知れない。なので、そこはとりあえず横に置いておく。

 日本軍が南京に入った後、1938年の1月の人口は約25万人だと推計されている。5万人増加した訳だ。3月に入ると25~28万人に、9月には40~50万人に増加している。南京事件に対する懐疑派はこれを挙げてこう主張する。「大虐殺があった都市の人口が増えるなどおかしい! 南京事件など本当にあったのか!」と。

 確かに、現代の日本国内の都市で30万人規模の大虐殺が起きた場合、そこに周囲の都市から人口が流入するとは考えづらい。ただ、忘れてはならないのは、この時代は中国全土が貧しく、しかも戦争中であったという事実である。つまり南京で大虐殺が行われようとも、周辺都市の生活水準が酷いレベルであったのだとすれば、人口の流入はあってもおかしくはないのではないか。つまり人口の増加「だけ」を根拠に、「南京大虐殺はなかった!」と主張するのは理屈として無理があるのだ。南京事件を否定するのなら、より多面的な検証が必要となるだろう。

 さて、本日2月25日付の中国共産党中央委員会の機関紙『人民日報』では、今月1日に外交部で開かれた、新疆ウイグル自治区の幹部と住民による記者会見の内容を伝えている。アメリカを始めとする西側世界では現在、

「ウイグル族を弾圧している」

「労働を強制している」

「イスラム寺院を強制的に取り壊している」

「不妊を強制している」

「民族を絶滅させようとしている」(以上人民日報)

 といった主張がなされているのだが、新疆ウイグル自治区委員会の徐貴相宣伝部副部長は、これを全部デマだと一蹴した上で、新疆ではウイグル族など少数民族の人口が一貫して増加していると言い張った。

 中国側の発表した数字によると、2010年~2018年の間に、新疆の人口は2181万5800人から2486万7600人に、すなわち305万1800人増加している。増加率は13.99%、うちウイグル族の増加人数は254万6900人で、増加率は25.04%。漢族の増加率2%を遙かに上回る。

「これが、民族絶滅策を実施した結果なのだろうか」(人民日報)

 と、徐副部長は言ったそうだ。

 まず基本的な大前提から言えば、中国の統計など信用に値しない。透明性が確保されておらず、客観的な評価ができない数字に意味などまったくないのだ。しかし、ここはそれをとりあえず横に置いておいて、一応数字には意味があるのだとしよう。で、問題はそこから先だ。

 そもそも中国では、民族の定義はどうなっているのだ。たとえば漢民族とウイグル人の間に子供ができた場合、その子の民族は何だ。どうカウントされているのだ。ウイグル人が増えたと主張するのであれば、まずそこを明確にする必要があるだろう。レイプで生まれた子供でも、1人にカウントされるのは間違いないのだから。

 ましてウイグル人の増加率が漢民族より上回っているとか偉そうに言っているが、母数にどれだけ差があるのか。母数が小さければ増加率が簡単に上がる事くらい中学生でも理解できる。中国では算数ができなくても出世できるのかも知れないが、あまり褒められた事ではない。

 中国の新疆政策を称える住民の言葉も記事にはあるが、本当にこんな事を言ったのかすら信用ならないし、仮に言っていたとしても、台本があるのは間違いなかろう。いかなる主張であろうとも、重要なのは透明性と客観性である。それを無視した言葉に説得力は生まれない。数字が増えているから正しいのだ、というような子供の理屈が通用すると本気で思っているのだろうか。そんなアホな論理が通じるのなら、南京大虐殺など妄言である。顔を洗って出直せと言いたいところ。


 中国共産党政権といえばナチスを想起させる。欧米の元ナチス党員に対する姿勢に少なからず疑問を抱く虫けらではあるが、別にナチスを賞賛するつもりなど毛頭ない。ナチスの行状は絶対に肯定されるべきではない。全否定されてしかるべきである。ただ、昨今の欧米に見られる「死刑制度廃止」だの「難民ウェルカム政策」だのと並べてみたときに、虫けらの目にはいささか奇矯に映るのは事実だと言える。

 さて、ドイツのルター派牧師マルティン・ニーメラーの言葉に由来する警句をご存じだろうか。彼の名前を知らなくても、以下のような言葉を読んだ事のある人は多いのではないかと思う。

 ◇ ◇ ◇

 ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから。

 社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった。私は社会民主主義者ではなかったから。

 彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は労働組合員ではなかったから。

 そして彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる者は誰一人残っていなかった。

 ◇ ◇ ◇

 非常に示唆に富んだ警句である。当たり前の話ではあるが、ここで共産主義者や社会民主主義者が「攻撃される側」にあるのは、彼らが当時のドイツで弱者であったからだ。彼らが多数派を占める国であれば、ナチスの代りに彼らの名前が入る。現在のミャンマーのような国なら「国軍が……」となる。

 とは言え、事の本質はそこではない。ナチスの問題はナチスだけの問題ではない。人間は70年や80年で本質的に進化したりしないからだ。それがどこの地域のどんな国であれ、国家の権力を握った者がいつここに上げられたナチスのような行動を取らないとも限らない。我々は国家権力を常に監視すべきである。

 ただし、監視しなくてはならないのは国家権力だけではない。何らかの形で力を持つ者は、常に国民・市民によって監視されるべきだ。その中にはメディアや与党以外の政党、そして企業など経済団体もある。

 今月21日、自民党の山田太郎参議院議員が以下の文章をTwitterに投稿した。

 ◇ ◇ ◇

「2021年2月より新たに大手クレカ会社から複数出版社に対して商品表題に特定の表現がある場合扱えなくなる旨通知が。「○○殺人事件」等のマンガや小説も引っ掛かると相談が関係者から多数。表現の自由とカード決済会社を含むプラットフォーマーの在り方について関係府省、また党内で検討を続けています」

 ◇ ◇ ◇

 つまり、これが事実であるとすると、「○○殺人事件」というタイトルの本は今後クレジットカード決済できない可能性がある。すなわち、Amazonや楽天ブックスで買えなくなるかも知れない、という事だ。表題に殺人事件という文字がある書籍は殺人を助長する、とでも言いたいのだろうか。

 これは虫けらのようなミステリー書きとしては由々しき事態……という訳では必ずしもないのだよな。まあ、「本文に『殺人』の文字があったらアウト」になるとさすがに困るけど。他の人はどうか知らんが、虫けらはミステリーのタイトルに「殺人事件」は使わない。過去の名作を否定する訳ではないのだが、そんな「馬から落ちて落馬した」みたいなタイトル、イロイロとしんどいだろう。大抵のミステリーでは人が殺されるのだから。

 もちろんすべてのミステリーで必ず人が殺される訳ではない。しかし「人が殺されないミステリーなんて絶対に読みたくない!」てな読者も、そんなに多いとは思えない。重要なのは読み物として面白いかどうかではないか。

 どのみちある程度読んでみればわかる訳で、なんなら粗筋に「連続殺人事件」とか書いてる訳で、すでに出版された後の書籍ならともかく、これから書く作品のタイトルに、何が何でも殺人事件の4文字を使わねばならない理由など最初からないのだ。

 だからといって規制される事を唯々諾々と受け容れるべきだと考えたりはしない。これは単なるきっかけで、いまは我々の表現の未来に暗雲が立ち込めている途上なのかも知れない。もしそうであるなら、それに対しては抵抗すべきだし、声を上げるべきだ。とは言え、この程度で慌てて焦って斜め上の行動を取るような真似は慎まねばならない。自分の首を絞めても意味などないのだから。


 本日はこんなところで。ネタ数は少ないが、500話記念で文字数は大盛りである。

 はあ、それにしても書けない。どうにも書けない。ゼロではないのだが、どうにもこうにも前に進みづらい。でもどうにかして乗り切らないと。少しずつでいいから、何とか前に進むのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る