第409話 2020/11/26 撞着とか
本日は3時起き。寒い。そろそろ人間の部屋にも暖房を入れなきゃならんなあ。はあ、電気代が怖い。
怖いと言えば医療費も怖いのだよなあ。明日は病院(精神科)だし、月曜日も病院(呼吸器内科)だし、4日の金曜日にも病院(消化器内科)で検査して11日に診察だし。もうたまらん。ああ健康な体がほしい。もっとも、だからといって健康のために努力はしないのだけれど。
毎日文章を書いていてこんな事を言うのもアレだが、虫けらは文法が苦手だ。まるでわからん。主語と述語ぐらいはわかるが、助詞がどうの、未然形がこうのと言われると頭が情報の侵入をブロックしてしまう。
いや、もちろん文章を書くに当たって、文法を知らないより知っていた方がいいのは当然だ。基本的なルールを知らないのと、知っていて崩すのとは訳が違う。知識がなければ応用だって効かない。表現の幅だって変わってくるだろう。わかってはいるのだ。でもなあ、感覚的に、体感として理解しているモノをわざわざ言語化して論理的に理解し直すのが面倒臭いんだよなあ。はあ。
とは言え、いい加減真面目に勉強し直した方がいいのかも知れないと思う事もしばしばある。推敲を繰り返して頭の中で言葉がゲシュタルト崩壊したときとか、本当にそう思う。さてどうしたものか。何か良い本はあるだろうか。
文法が苦手で、そこにまつわる知識を拒絶しているがために、虫けらは日本語の表現技法にも当然疎い。修飾的な言葉の使い方――
そんな修辞技法の1つに
あえて撞着語法を使うのは、そこに効果的な側面があるからだ。やはり何と言ってもインパクトの強さであろう。そして読んだ者を一瞬混乱させ、意味を考えさせ、イメージさせる。これらの頭の中の動きをごく短い言葉で起こす、つまりある意味思考をコントロールする、そういった効果が撞着語法にはある。
考えてみれば面白いものである。集団の一部としての自分と同時に集団から独立した個としての自分という2つの側面を併せ持つなど、人間はいろんな矛盾を内包している生物だ。己は矛盾しているのに言葉が矛盾すると強い反応を示すというのは、自分の事は棚に上げて他者を叩きたがる部分が働いているのか、それともある種の同族嫌悪的なものなのか。
まあ何にせよ矛盾をはらむ言葉にはインパクトがあり他者の心に強く印象を残す。それは表現の世界を豊かにしているのは間違いない。ならば矛盾をはらむ人間の行動はどうだろう。それもまた他人の心に強い印象を残すのだろうか。
24日にバチカンのメディアなどが報じたところによると、12月1日に出版される予定のローマ教皇フランシスコの著書の中で、ミャンマーのロヒンギャやイラクのヤジディー教徒と並べて中国のウイグル族を取り上げ、
「私はしばしば迫害された人々のことを思う」(毎日新聞)
と書いてあるらしい。これが報じられると中国は即座に反応した。同日中国外務省の趙立堅副報道局長は、
「事実無根だ。中国政府は一貫して少数民族の合法的権益を保護し、新疆は現在、歴史上最良の発展の時期にある」(時事通信)
と強く反発している。
中国とローマカトリックの関係はちょっとややこしく、2018年の9月にバチカンと中国政府の間に暫定協定が結ばれるまで、中国国内のカトリック教会はバチカン非公認であった。それがこの合意によって中国国内の司教がバチカンに公認されたのだが、ただその司教を任命するのはバチカンではなく、中国政府であるという極めて歪な合意なのだ。
建前として、カトリックは頂点に神がありキリストがあり、その下に教皇がいて司教がいて司祭がいて信徒がいて、という構造のはずなのではないか。その間に中国共産党が割り込む事を何故認められるのか、不思議で仕方ない。すべての人間は神の下に平等なはずであろう。中国ではそうではないという事を認めるとは、神様も随分と融通の利くお方なのだな。
それでもバチカンは2年期限のこの合意を喜び、今年10月には更新して、さらなる2年間を始めている。そしてこの合意以降、中国国内ではウイグルや香港の問題がたびたび持ち上がったにもかかわらず、バチカンはスルーしていた。
そう考えれば今回の教皇の著書の内容は、いささか矛盾をはらんでいると言える。本に書けるのならば、そのときどき折に触れてウイグルや香港に言及しても良かったのではないか。まさか口にするのはアウトだが、本に書くならセーフとか中国側と取り決めでもしてあるのだろうか。
ローマカトリックがもし本当に神の意志を体現する宗教であるのなら、嘘でもいいから明確な正義というヤツを見せてもらいたいものである。「正義は国の事情によって違う」のを容認するのなら、いったい何のための、誰のための神様なのだ。
もしかしたら人間は矛盾した生物であるという事実を知らしめるべく自ら範を垂れている可能性もなきにしもあらずなのかも知れないが、そんなのは学者にでも任せれば良いのであって、ローマ教皇に求める行動ではない。撞着語法よろしくインパクトを狙われても困る。正義や真実はシンプルであってもらいたいと願うところ。
事実上の内戦状態になっているアフリカの国エチオピアであるが、エチオピア人権委員会(EHRC)は24日、北部ティグレ州を支配するティグレ人の組織『ティグレ人民解放戦線(TPLF)』に近しい集団が、アムハラ人を標的にして600人以上を虐殺した可能性があると発表した。
TPLFに対しては22日にアビー首相が72時間以内の降伏を要求したものの、徹底抗戦の構えを見せているという。現地は電話もインターネットも使えない状態であるため、情報がほとんど出て来ない。現時点で何が本当なのかはまるでわからない状況である。理想としては第三者が仲裁に立つべきなのだろうが、実際のところ立てる仲裁者がいるのかどうかも不明。何とも嫌な話である。
昨日25日、漫画家の矢口高雄氏が20日に亡くなっていた事が明らかになった。81歳だったという。いまでは『釣りキチ三平』の名前は知っていても作品を読んだ事のない方も多かろう。だがこのニュースのおかげでネットのあちこちに矢口氏の漫画の画像が上がっている。一度くらいは見ておいても損はないと思う。できる事ならモニター越しではなく、紙に印刷された物を見て欲しいところだが。
自然に対する描写がまあ凄いから。凄いという言葉が軽く感じるくらいには凄いから。「芸術の域」という言葉もあまりたいした賛辞にはならないレベル。絵の説得力が半端ない。次元が高すぎて何かの基準にしてはいけないくらいの作画力である。あの絵がもう見られないというのは寂しい限り。ご家族にはお悔やみを申し上げる。
本日はこんなところで。明日はたぶん休むと思う。ああ面倒臭い面倒臭い。世の中面倒臭くない事なんて何もないのではないかと諦めはすれど、それで面倒臭い事が消え去ってくれる訳でもない。とりあえず病院に行って、帰りに買い物もしてこなきゃならんな。やれやれ。ま、明日の事は明日になったら考えよう。今日は今日で頑張るしかない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます