第359話 2020/10/7 全とか

 本日は8時起き。涼しい。というかちょっと寒かった。昨日のような倒れ込むほどの眠気はなし。いやあ、昨日は酷かった。マジで酷かった。これが何日も続いたらどうしようかと心配していたのだが、杞憂だったようだ。まあ生き物の体だからな、イロイロあるのだろう。


「全部」「全体」「全員集合」、「全」という文字を、そしてその意味を知らない日本人はまずいない。日本国民「全て」が知っていると言っても良い文字である。しかし同時に、こんな訳のわからない使い方をされる文字もあまりないのではないか。

 スポーツの世界には「全日本選手権大会」というのがある。これは日本各地で行われた予選を勝ち抜いた者たちによる「国内最高峰の全国大会」であり、すなわち全日本の「全」とは「日本全土」「全ての国内」という意味がある。これは言葉として正しい使い方と言えるだろう。

 同じように、アメリカ国内全てなら「全米」であり、イギリス国内全てなら「全英」というのが正しい。ところが、だ。スポーツの世界には「オープン大会」と呼ばれる種類の競技会が存在する。何がオープンなのかと言えば、プロ、アマ、その他所属する集団などの垣根に対して解放された大会という事だ。つまり一定の基準を満たせば誰でも参加できる公式戦。ゴルフやテニスの「全米オープン」「全英オープン」などが有名だ。

 しかし、これはおかしな言葉である。ゴルフの全英オープンも、テニスの全米オープンも、国内最高峰の大会ではない。国際大会だ。もちろんその一番最初、発祥の時点では国内大会だったのかも知れない。だが現時点ではそうではない。「イギリスオープン国際大会」とか「アメリカオープン全世界大会」とか、日本語では本来そう呼ぶべき大会であって、全米オープン、全英オープン、全仏オープン、全豪オープン、どれも言葉として正しくない。

「日本国内の最高峰を『全日本』と呼んだ流れで、アメリカを代表する大会を『全米』、イギリスを代表する大会を『全英』などと呼んだのではないか」という、言うなれば「日本語の癖」であるとの説があるのだが、いまひとつ納得が行かない。ちなみに日本のゴルフにも国際オープン大会がある。それは男子の「日本オープンゴルフ選手権競技」であり、女子の「日本女子オープンゴルフ選手権」である。どちらも全日本ではない。当然と言えるだろう。

 別に虫けらは日本語警察ではないので、間違った日本語の使用に断固抗議する! などと言うつもりはまったくない。ただ不思議なのだ。普段から全米という言葉が基本的に間違って使われているのならどうという事もない。しかし「全米に広がる抗議デモ」とか、正しい使われ方をする方が圧倒的に多いはずなのに、何故全米オープンだけが間違った使われ方なのか。何故これだけが特別なのか。そこには何か理由があるはずだ。それはいったい何なのだろう。

 さて、いまフランスでは全仏オープンテニスが開催されている。英語では French Open 、「全」の要素はまったくない国際大会である。その5日に行われた女子シングルス4回戦で、世界ランキング66位のドイツ人、ラウラ・シグムンド選手が、対戦相手のメディカルタイムアウトで待っている間に、コート脇のベンチでモシャモシャ飯を食ったと話題になっているのだそうな。

 彼女はパリの食事が口に合わなかったのか、それともストレスか何かの理由かは不明だが、試合前に何も食べられなかったらしい。

「炭水化物を取ろうとして、(栄養補助)バーを試してみたけれど、本当に飲み込めなかった。頑張ってはみたけれど」

「理学療法士に何か持ってきてと頼んだ。とにかく、ポテトとかライスとか何か炭水化物を取りたかった」

「フォークを持ってあんなふうに食べるのは奇妙な感じだけれど、低糖質になるよりはまし。体にいくらかエネルギーを取り戻したかった」(以上AFP)

 と話している。まさに「腹が減っては戦はできぬ」であるな。もちろん、いくら消化の良い物を食ったところで、1分や2分で体を動かすエネルギーにはならないのだろうが、体内に蓄えられているカロリーを放出する切っ掛けにはなるだろうから意味はある。彼女はこの試合に勝利し、準々決勝に駒を進めたという。

 大会の呼び方は気に食わないが、大会そのものに文句がある訳ではない。参加選手の皆様には、どうか頑張っていただきたいと思うところ。


 6日、アメリカのポンペオ国務長官が来日し、インドのジャイシャンカル外相、オーストラリアのペイン外相と共に管首相と会談した。首相とポンペオ氏は日米同盟の強化で一致したという。まあ、日本にすればそれ以外の選択肢など事実上ないしな。日米豪印の4カ国外相会談では「自由で開かれたインド太平洋」の実現に向けた連携の確認と、年1回の外相会合を定例化する旨の申し合わせが行われたという。

 この4カ国の連携は、今後の日本にとって生命線となるだろう。中国の暴力的な拡大を抑えるためには4カ国が手を結び、強固な包囲網を築く必要がある。もしかしたら、いずれこの包囲網に参加してくれる国が増えるかも知れない。その受け皿となるためにも、日米豪印は明確な方針を持って連携して行かねばなるまい。

 BBCはこの連携に触れ、「日本は、中国との関係が徐々に改善に向かっている一方、会談した3カ国とも友好関係にあることから、今回の会合では微妙なバランス感覚が求められる」と報じているが、もはやその段階ではあるまい。日本は対中国を念頭に、スパイ防止法などの整備を急ぐべきだろう。旗色が鮮明でなくては支持など集まらない。

 管政権が長く続くとは誰も思っていまい。だからこそ、いまのうちに撒けるだけの種を急いで撒き切ってもらいたいと思う次第。


 妊娠を望む健康体の男女が避妊をせずに性交をしているにもかかわらず、1年間妊娠しなければ「不妊」であるという。原因は男性側にある場合も女性側にある場合もあるが、とにかく子供ができないというのは不妊である、と虫けらは思っていた。だが「不育」というのもあるのだな。

「不育症」とは妊娠しても流産や死産、子宮外妊娠などを繰り返す事を言うらしい。現在不妊治療にはある程度保険が適用されており、それを拡大する事が検討されている段階であるが、不育治療にはほとんど支援がない模様。まあ不妊に比べれば知られていないからな、政府の手柄にならない分野には予算が配られない事もあるかも知れない。

 東京都は不育症の検査費用を5万円を限度に助成しているそうだ。まさか厚生労働省が不育症を知らないはずはあるまい。妊娠した事のある女性の4%は2回の流産を経験しているらしい。不育症は的確に治療すれば80%は出産できるという。未来への投資、それも人的資源への投資は躊躇すべきではない。日本はもっと出産、育児、教育に金を使うべきなのだ。もちろん、ただ無闇に使えば良いという訳には行かないが、使わないのは論外ではないか。


 本日はこんなところで。あまりネタらしいネタがなかった。

 それにしても事実は強いな。何の小技も演出もなく、ただ事実を書き連ねられるだけで涙が止まらない。『アレックスと私』を読んでボロボロ泣いてしまった。泣くだろうなとは思っていたが、ここまでとは想定外である。著者に泣かせようという意図がないのは明白だ。ただ事実を順に並べているだけなのだから。それでもそこに至るまでの経緯を予備知識として、ほんの少し知っているだけでどうしようもなく泣けてくる。百聞は一見に如かず、まさにそうだ。百のフィクションは一つの事実に勝てないのかも知れない。まあ、それでも虫けらはフィクションを書き続けるのだけれど。

 昨日は何だかんだで400文字ほど書けたのかな。どんどんペースが落ち込んで行くが仕方ない。何とか今日も頑張れるだけ頑張ってみよう。

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