第274話 2020/7/14 消去法とか

 本日は10時半起き。だが睡眠時間は言うほど長くない。昨夜は午前3時くらいまで記憶がある。睡眠導入剤はいつも通りの時間に飲んだのだが、なかなか効かなかった。人間の体もPCのように簡単にシャットダウンできればいいのに。ああ眠い。


 この日記で芸能ネタを取り上げる事は滅多にない。日々大量の芸能ニュースがネットにも流れているが、誰が離婚したの訴えられたの、虫けらにとっては別にどうでも良い話題が大半だからだ。しかし、これはちょっと気になった。

 ダウンタウンの松本人志氏が東京都知事選挙に投票しなかった事が話題になっている。彼は消去法の投票に意味があるのかという内容の主張をしているようだ。結論から書いてしまえば、消去法の投票には意味がある。と言うか、消去法ではない選挙など求めるべきではない。何故ならそれは極めて危険だからである。

 選挙に立候補する人間というのは、基本的に4パターンしか存在しない。無能な善人、無能な悪人、有能な善人、有能な悪人である。だがこの中に選んではいけない者がいる。そう、有能な悪人だ。こんなヤツに権力など渡したら、最悪この国が滅んでしまう。

 もちろん好き好んで有能な悪人に一票を投じたいと思う者など少数派だろう。その悪人の仲間でなければよほどのニヒリストである。普通は有能な善人に投票したいと思うところだ。だがこれが問題で、有能な善人の見分け方という物がない。と言うより、「自分は過去にこれだけの実績を積みました。こんなに有能です」と主張する善人など居ない。他の国ではどうか知らないが、日本においてそんな事を言う善良な人物はまず出て来ない。善人は謙虚であり、謙虚でない者は悪人であるのが定番だ。

 となると問題になってくるのが、その候補者が「本当に有能かどうか」であるが、これもまた見分けるのが難しい。過去の実績を幾つも並べ立てられる者は有能に感じる。しかし本当に有能ならその分野でずっと実績を積み続けるのではないかと考える事もできる。いろんなところで実績を積んでいるというのは、いろんなところから追い出された人物であるという見方もできるのだ。行政機関の長として相応しいかどうかは不明である。

 要するに我々有権者はほとんどの場合、無能な善人と無能な悪人の中から消去法で誰かを選ぶしかない。それが選挙の基本なのだ。消去法の選挙に興味が持てない気持ちは理解できる。痛いほどわかる。虫けらも過去何度「ゴミの中からマシなゴミを選ぶ」事を不毛と思った事か。だが不毛に感じても、それは無意味ではない。少なくとも、「この人に一票入れたい! この人に我々のリーダーになってもらいたい!」と思うような魅力的な候補者が出て来る事を思えば、随分とマシである。

 などと書くと、「魅力的な候補者の何が問題なのか」と思う向きもあろうが、その魅力というヤツは政治家に求められる様々な要素に対する心理的なハードルを低くする。「この人がリーダーでいてくれるのなら、これくらいは大目に見ないと」といった心理が働く。つまり甘くなる。一度そうなれば、あとは坂道を転げ落ちるだけだ。それは容易に「ヒトラーの再来」を生み出すだろう。もちろんヒトラーでなくてはならない訳ではない。スターリンでも毛沢東でも構わないのだが、とにかくそういう方向に社会が向かってしまう。それは国家の終焉を意味する。

 現在の日本政界の人材不足は深刻であり、優秀な人材が政界に集まってもらいたいと思う気持ちは、虫けらの中には強くある。しかしその「優秀」とは、人並み外れて有能である事ではない。その必要はない。庶民の平均値より頭一つ出ていれば十分であろう。そんな人物なら様々な業界に1人くらいは居るのではないか。そういった人物で、あとは可能な限り善良であればそれでいい。

 しかし庶民はわかりやすさを求めるものである。それ故にわかりやすい魅力を備えた人物に期待してしまう。だがそれは危険なのだ。つまり無能が雁首揃えている中から「比較的有能かつ善良ではないか」と思える人物を消去法で選び出す選挙とは、健全で幸福な選挙と言える。決して無意味ではない。これが選挙であり、これが人間である。これが基本であり大前提なのだ。

「本当に優れた候補者に一票を入れたい」という気持ちは、世の大半の有権者が持っているのではないか。しかし「本当に優れた候補者」など滅多に出て来ないし、それをあまりに強く待望するのは己が目を曇らせる危険性がある。有権者は「こんな候補者しか居ないのか、しょーもな」と文句を言いながら、ため息をつきつつ投票箱に一票を入れるのが普通の、あるべき姿の選挙である事を頭の隅に置いておくべきだと思うところ。


 アルメニアとアゼルバイジャンと聞いて地図が思い浮かぶ人は、かなり地理に長けていると思う。虫けらなど「ロシアの南西くらいかな?」程度のイメージが限界だ。それもほぼ当てずっぽうである。

 どちらも旧ソ連構成国なのだが、アゼルバイジャン領内でアルメニア系住民が多く暮らすナゴルノカラバフ自治州の帰属を巡り、両国関係は険悪であるらしい。ナゴルノカラバフ自治州では1990年代に分離派のアルメニア系住民が州を占領したが、国際社会では認められていない。ロシアがウクライナのクリミア半島を占領したときの手法を思い出す。ソ連伝統のやり方なのだろうか。

 それはさておき、この両国間で12日の夜から軍事衝突が始まっているらしい。アゼルバイジャン側に4人の死者が出ているそうだ。両国は互いに相手が先に攻撃をしたと非難しているとのこと。

 先般インドと中国の軍隊が小規模な衝突をしたが、あちらはたぶん全面戦争の切っ掛けにはならないはずだ。だがこちらはどうだろう。この21世紀に国家間の全面戦争が起きるのだろうか。何とも陰鬱な気分。


 すっかりマスク不足も収まった感があるが、7月8日に行われた第11回目のシャープのマスク抽選会では、当選倍率が99.01倍となったらしい。最初が117.7倍だから下がった事は下がったのだが、まだ高いな。とは言え、また冬になればマスク不足が起こる可能性はある。シャープにマスクを作り続けてもらうためにも、これは必要な儀式なのだろう。当選倍率を下げる工夫があれば良いのだけれどな。


 22日からGoToキャンペーンが鳴り物入りで始まる。もしかしたら虫けらの小鳥の宿にも影響があるかも知れないのだが、正直あまり期待はしていない。「3密に気をつけながら活用を」とか言われましても、どうすりゃいいんだ、と考える人がまだまだ多いだろうと思うところ。

 政府のやる事はどうも作り込みが甘い。痒いところに手が届いていない。そもそも新型コロナの問題だけではなく、日本中で豪雨災害が発生しているこのタイミングでキャンペーンを打つのはどうなんだ。もうちょっと目端の利く役人はいないものなのだろうか。


 本日はこんなところで。昨日は500文字ちょっとしか書けなかった。まあ、そんな日もある。さて今日は何とかなるだろうか。とりあえず頑張るとしよう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る