第219話 2020/5/20 パンチェン・ラマとか

 本日は10時起き。昨日もそこそこ頑張ったのだが、そこそこのレベルでこうもグッタリするもんかね。まったくやれやれである。はあ……やる気が出ない。今日はピザ取ろう。食事を用意する気力がないのだから仕方ない。まあ、だったら何も食わないという手もあるのだがな。しかしやる気はなくとも腹は減るのだ。面倒臭い事に。


 いわゆる世界宗教という視点で見たとき、日本は仏教国だと分類される事がある。まあ減ったとはいえまだまだ日本中に寺はあるし、葬式は仏式でやるのが一般的だ。普通に考えれば日本の宗教は仏教なのかも知れない。ただ、日本の仏教は独特だ。言い方を変えれば普通ではない。本来的な仏陀の教えからはかけ離れたところに居る。

 日本の仏教は土着の祖霊信仰や神道と混交した日本特有の宗教である。他の仏教国では仏壇に位牌を置いて戒名を書いていたりはしない。この辺は道教と混交した名残ではないかという説があるが、それぞれ宗派別に仏壇のタイプが分かれていたり、戒名をもらうのに何万円も包んだりなどするのは日本くらいであろう。

 そもそも、本来的に仏教は信者からの寄進で成り立っている。日常の食べ物や寺院の運営費など、そのほとんどを信者からの寄付でまかなうのが、世界的に一般的な仏教である。だが日本でそれは無理だ。だから日本の仏教寺院は何かあるたびに檀家から金を集め、墓地の維持管理料を徴収し、定期的な法事でお布施をもらって、拝観料を取る。完全に商業主義的宗教と言える。仏陀はそんな教えを残してはいないのだが、そうしなければ日本の仏教は立ち行かない。それはすなわち、日本の仏教は事実上滅んでいるという事なのではないだろうか。

 さて仏教が独特な変容を遂げた国と言えば、チベットもそうだった。チベットが仏教を国教としたのは7世紀、ソンツェン・ガンポ王の時代にさかのぼる。彼には2人の妃がいたのだが、1人は中国から、もう1人はネパールからやって来た。この2人が中国式仏教とインド式仏教を伝え、それが混交してチベット仏教の礎となっている。

 チベット仏教といえばダライ・ラマの名前が挙がるだろうが、これは個人名ではない。「ラマ」とはチベット語で僧侶を指し、「師匠」「上人」といった意味になる。「ダライ」は大いなる海という意味で、ダライ・ラマはチベット仏教の最高権威である。チベット仏教徒は輪廻転生を信じ、ダライ・ラマは代々生まれ変わっている事になっている。現在のダライ・ラマは14世。ただしチベットの歴史にダライ・ラマの名前が初めて現れたのは16世紀の事。日本で言えば戦国時代とか安土桃山時代、そんな言うほどとんでもなく大昔から伝わっている古い伝統ではない。応仁の乱よりは最近だ。

 そのダライ・ラマと同じ頃にナンバー2として現れた名前がパンチェン・ラマである。「パンチェン」とは大いなる碩学せきがくという意味だそうだ。1995年5月14日、ダライ・ラマは当時6歳だった男の子をパンチェン・ラマの生まれ変わりとして認定、パンチェン・ラマ11世が誕生した。しかしその3日後の17日にはパンチェン・ラマは中国当局に身柄を拘束され、以来25年、行方は杳として知れない。

 これを受けてアメリカ国務省のブラウンバック特使は14日、

「中国共産党はダライ・ラマの後継者を指名する権利を主張し続けており、この問題への関心と注目が高まり、重要性を増している」

「中国共産党には、ローマ教皇の後継者を指名する権利がないのと同じように、ダライ・ラマの後継者を指名する権利はない」(以上AFP)

 と述べ、パンチェン・ラマを解放するよう中国政府に要求した。さらに18日、ポンペオ国務長官が

「チベット仏教徒は、他のあらゆる宗教団体の信徒らと同様、政府に干渉されることなくその伝統に従って宗教的指導者を選出、教育、崇拝できなければならない」

「パンチェン・ラマの居場所を直ちに公表するよう中華人民共和国政府に求める」(以上AFP)

 と発言し、パンチェン・ラマの解放を中国に迫った。これに対し中国政府は外務省報道官を通じ、

「彼は普通の中国人だ。大学に合格し、いまは、すでに仕事をしている」

「チベットの問題を口実に中国の内政に干渉しないよう望む」(以上NHK)

 と反発している。まあ昨今の米中対立に巻き込まれた形ではあるが、世界が中国に不信の目を向ける切っ掛けの一つにはなるかも知れない。経過はどうあれ結果的にパンチェン・ラマの行方が判明すれば、それはそれで価値のある事だろう。

 なおパンチェン・ラマが拘束された後、中国共産党は自分たちがパンチェン・ラマを指名すると言いだし、実際にまったくの別人をパンチェン・ラマとして任命した。宗教も輪廻転生も信じてないくせによくやるものだ。偽のパンチェン・ラマはその後時折公の場所に出て来ているらしいが、中共の人形を信仰するほどチベットの人々も変わり者ではあるまい。本人は針のむしろだろうなと思うところ。


 中国といえば、ハンガリーでは中国からの融資で高速鉄道を建設する計画があるのだが、この詳細が向こう10年間機密扱いとなるらしい。つまり国民に公表されないのだ。

 この鉄道はいわゆる一帯一路の一環で、ギリシャで中国が運営するピレウス港と中欧を結ぶ鉄道網の一部として計画されているのだが、契約の詳細を開示すれば「ハンガリーが外国から不当な影響を受けずに外交政策や貿易利益を追求する能力が脅かされる」(AFP)恐れがあるとの理由で、10年間公開されないらしい。

 ハンガリーはいまオルバーン・ビクトル首相が新型コロナウイルスへの対策を根拠に非常事態宣言を継続しており、首相に権力が集中している状態である。それを利用しての今回の機密扱いではないのかと疑われても仕方ない。そもそもこの鉄道工事の少なくとも一部は、首相に近しい企業が請け負うとの話も出ている。

 ハンガリーはどうなるのだろうな。このまま独裁政権に移行するのだろうか。何せ中国の後ろ盾があるのだ、相当な無茶を押し通す可能性もある。中国だってその方が支配しやすいし、金ならいくらでも貸してくれるのではないか。まあ、その後の取り立てが怖いところだが。


 秋田県警が産経新聞の取材に答えたところによると、40代の男性警官が動物愛護法違反の疑いで書類送検されていたそうだ。近所の野良猫や外飼いの猫を捕まえ、郊外に捨てていた容疑らしい。調べに対し、「自宅敷地で猫がしたふん尿に長年悩まされていた。虐待したり殺したりはしていない」と話しているという。

 猫を郊外に捨てる事自体が虐待である訳だが、まあ同情できない訳でもない。て言うか、いまこの時代に猫を外飼いするヤツらは何を考えているのだろう。自分の家の庭からは一歩も外に出さないというのならまだ話はわかるが、敷地の外に出すというのは、それ自体が虐待に近い。何故家の中で飼えないのか。

 結局のところ、「自分が嫌な思いをしていないから構わない」という理屈なのだろうが、そんなに社会生活が嫌なら山奥か無人島にでも住めば良い。ただし猫は連れずに、だ。猫は家の中で飼うべき生き物だ。放し飼いにしても社会にとって何のメリットもない。それどころか猫に惨殺される小動物が増えるばかりでデメリットしかない。何でこんな簡単な事がわからないかね。

 猫が起こす問題は、野良猫や外飼いの猫がすべて消滅すれば解決することばかりだ。「野良猫がいなくなっても別の動物がその位置に入り込む」などという事は起きない。猫さえ野にいなければ、すべてが丸く収まるのである。「猫だって外に出たいのだ」と主張するなら、リードを付けて散歩すれば良かろう。それができないのなら飼うな。あまりにも無責任な馬鹿が多すぎると思う次第。


 本日はこんなところで。はあ、ダルいわあ。

 昨日は1000文字書けた。まあまあである。何とか今日もそれなりに頑張りたい。さて、ピザが届くのを待つか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る