第215話 2020/5/16 組織とか

 本日は6時起き。何があったのかと自分の事ながら驚いているが、起きられてしまったのだから仕方ない。とは言え、さっさと起きられたのだからさっさと日記を書いてしまおう、てな具合にはなかなか行かない。昨日くらいから新しい小説のアイデアが湧き出して止まらなくなっている。面白いとは思うのだが、いま手がけてるのを終わらせないと始めるのは無理だろう。しかし意識はもう完全にそっち向きである。厄介だな、これは。


 人の作る集団、団体、組織といった類いのものは、存在するために存在する。寺の檀家や町内会から国家に至るまで、どれもそういうものである。無論、言うまでもなくそれらには当初設立の理由があり、目的があった。崇高な理想であったり、やむにやまれぬ事情であったりとイロイロだろうが、生み出されるに値する何かが存在していたのだ。だが、一度存在が確立されると理由や目的は忘れ去られ、存続することが目的化してしまう。まるで一つの生物のように、生き残る事が至上命題となるのである。

 しかし、生き残るには生存競争を勝ち抜かねばならない。勝ち抜くためには結果が求められる。「こんな事をやっていますよ」という何かをしょっちゅう周囲に見せつけていないと、「これ存在しなくてもいいんじゃない?」と疑問を持たれてしまうからだ。企業で言えば株主総会などがわかりやすい。あれは実質、株主のために開催されているのではない。企業の経営陣という集団の存続のためにあるのだ。

 あと、折を見て目立つイベントを仕掛ける企業や組織もある。「今年の漢字」とか「流行語大賞」などが代表例だが、それがあったとして誰にメリットがあるのか、なくなったとして誰が困るのかと思う、いわばどうでも良い事を大々的に催す事で、自分たちの存在意義を主張する。それは見ようによっては自らの存在意義のなさを明らかにしているようにも思えるのだが、結果的に組織が生き残っているのであれば、本質などどうでも良いのだろう。

 自分たちのなした「成果」を高く掲げて、我々は存在すべき集団である、と主張する。その成果の意味や価値は自分たちにしか理解できなくとも、とにかく大声を上げて既得権益を守ろうとする。人間の集団というのは古今東西を問わずそういうものなのだろう。まあ、それと同時に「こういうのを認めるのが文化なんだよ」という圧力のようなものもある訳だが。

 フランスには『アカデミー・フランセーズ』という名の国立の学術団体がある。この団体が実施するアカデミー・フランセーズ小説大賞は、フランス国内でもっとも権威のある文学賞の一つであるそうな。設立は1635年、ルイ13世の時代にさかのぼるというから、385年の歴史を持つ。

 Wikipediaによれば「当初の役割はフランス語を規則的で誰にでも理解可能な言語に純化し、統一することであり、その目的を達成するために辞書と文法書の編纂を重要な任務としていた」とあるから、平たく言えば「正しいフランス語」を作った機関なのだろう。400年近く前にそこに気付くのは、さすが文化大国と言えよう。

 日本でも時折「正しい日本語」が話題になるが、日本語の場合は文化庁が表記に関する公式ルールを決めている。しかし文化庁はあまり表に出て来ないというか、影が薄い。もっと積極的に情報発信しても良いのかも知れない。

 その点、アカデミー・フランセーズは折に触れ情報を出している。AFPの報道によれば、今回の新型コロナ騒動に関しても、「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は女性名詞であり、定冠詞は『ル(le)』ではなく『ラ(la)』を使うべきだとする指針をウェブサイトに発表した」そうだ。そのサイト内では「『le COVID-19』という男性名詞扱いがフランスのメディアや一般の人々の間に広がっていることに遺憾の意を表明。『女性名詞の使用が好ましい』『本来の性別に戻すのに、遅すぎることはないだろう』と述べた」という。

 なんじゃそら、と思った方もおられよう。正直、虫けらもそう思う。「正しいフランス語」に意味がないとまでは言わないが、その正しさを決めたのは現代のフランスが置かれた状況ではあるまい。言葉は時代によって変わらざるを得ないものである。無理に変える必要などないが、学問的な正しさに固執するのもどうだろう。ウイルスを男性名詞として使う方が扱いやすい人々が居るのであれば、それはそれで良いように思う。現代の日本人に「ありおりはべりいまそかり」で文章を書けというのが無理なように。

 まあ、そうは言っても、こういう事を世に発信するのがアカデミー・フランセーズの役割であると中の人は認識しているのであろう。それは存在意義であり存在理由である。その発信に意味があると考える人が世の中にどれだけ居るかは関係ない。もし仮に誰も居なくとも、組織が存在するために必要な手段ならば、それはなすべき事である。それが組織というものなのだから。


 南米のチリでも新型コロナの感染は拡大している。先週まで1日350人から500人程度で推移し、ピークを越えたのではないかと考えられていた新規感染者数が、今週は2600人規模にまで増加、政府は首都サンティアゴを中心とした人口700万人の首都圏に、15日から強制的にロックダウンを実施すると発表した。

 これまでチリは感染例の集中する地区のみを隔離対象とし、夜間外出禁止令は出していたものの、ロックダウンは行っていなかったそうだ。いま、サンティアゴの墓地では2000人分の墓穴が掘られているらしい。

 まあ、南米はこれから冬に向かうしな。もし新型コロナに季節性の傾向があるのなら、この先が本番になるだろう。そして北半球が涼しくなったら南半球からまたウイルスが供給されるのではないか。世界的に沈静化するには数年かかるという見通しは正しいように思う。


 日本政府は、新型コロナの流行が激しい東京都と大阪府、そしてあまり流行していない宮城県をサンプルとして来月から1万人規模の抗体検査を実施し、流行の実態を把握する方針だという。

 正しい判断だと思う。まあ、遅すぎるのではないかという批判の声は必ず上がるだろうが、必要な事であるのは間違いない。とりあえずデータを出さないと、今後の国際的な立場が難しくなるからな。日本の感染状況がどんなものなのかを世界に数字で見せなければ、貿易も観光も回復するのが大変である。風評被害で市場を失う訳にも行かない。少しでも早く実施してもらいたいと願うところ。


 新型コロナの流行のおかげで、携帯型の除菌剤が売れているらしいが、これらには効果の根拠が乏しいとして、15日に消費者庁が行政指導を行った。要はクレベリンとかその辺のヤツであろう。あれって発想的には虫コナーズのパクリだよな。

 ちなみに虫コナーズは観賞魚とか飼っている家では使わない方が良いという話を聞いた事があるので、効果がない訳ではないらしいが、クレベリンはさすがにな。新型コロナに対する不安感で藁にもすがる思いでいる人の弱みにつけ込んだ悪質な商品である。メディアはスポンサーへの配慮なのか商品名を出さずに報じているが、そこに正義はない。駆逐されるべきだと思う。


 アメリカのトランプ大統領は14日にテレビのインタビューで中国に対し、

「習主席と関係は良好だが、今は話したくない」

「われわれができることはたくさんある。すべての関係を断つこともできる」

「研究所からであろうが、コウモリからであろうがウイルスは中国からきたものだ。その発生源で止めるべきだった」(以上NHK)

 と述べた模様。ここまで言える大統領だとトランプ氏を評価するべきか、ここまで言ってしまう大統領だと考えるべきなのか。もしアメリカと中国が断交などという事態になれば、面白いと言えなくはない。しかし世界中が先行きが見えなくなり、大混乱に陥るだろう。少なくとも、それで景気が良くなるはずはないと思うところ。


 今日はこんなところで。雨で鬱陶しかったのだが、買い物に行って来た。だがいつも買っている納豆が売っていない。果たしてこれも新型コロナの影響なのかどうか。

 昨日はミステリーだけ頑張った。いまはそれで良いと思う。もう締め切りまで時間がないしな。

 さて、まだ時間的にゆとりがある。どうしよう。たまには掃除でもした方が良いのかも知れないが、気が乗らない。まあ、何かできる事もあるだろう。ちょっとノンビリするとしよう。

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