第206話 2020/5/7 喉元過ぎればとか

 本日は8時半起き。佐川急便に起こされた。早いな、佐川。それでもまあ、この時間に起きられたのは幸いである。そろそろ買い物にも行かねばならない。今日辺り行ってくるかな。


 時代小説の大家である池波正太郎氏の作品には、氏の「悪いことをしながら善いことをし、善いことをしながら悪事を働く」という人間観が反映されている。矛盾しているように思うかも知れないが、本来矛盾した行動を取るのが人間の自然である。

 昨今ネット上では右だ左だとレッテル貼りが忙しい。政府や安倍首相の事を少しでも褒めれば右翼と叩かれ、少しでも非難すれば左翼と蔑まれる。だが実際のところどうだろう。普通に考えて、何から何まで徹頭徹尾すべての考えが右寄りだったり左寄りだったりする人間など存在するのだろうか。

 探せば居るのかも知れないが、そんな偏った人間は正直気持ち悪い。全体的に総合的に見れば右寄りだが、これとこれに関しては少し左に寄っているかも知れない、とか、右の意見に同意出来る部分も多々あるが、立場としては左である、みたいな人の方が多かったりしないのだろうか。これは何ら数値的な根拠がある訳ではないのだけれど、人間は矛盾した思考をし、行動を取る生物であると思う。池波正太郎氏が言っているからではなく、自分というモノを長く見つめてきてそう思う。この世界がわかりやすく綺麗に左右に分かれる事など、有り得ないはずだ。

 人間とは「あつものりてなますを吹く」ような真似をしながら「喉元過ぎれば熱さを忘れる」存在である。最初から最後まで一貫した行動など期待できない。揺れ動きブレるのが大前提と言える。必要以上に信頼したり、当てにしたりしてはいけないのだ。

 さて、新型コロナウイルスの世界的感染拡大はいまも続いているが、一時期感染爆発を起こした欧米では都市のロックダウンを一部解除し、行動制限を緩和し始めている。これは明るい傾向と見る事もできるが、これらの国で新型コロナの感染者が出なくなった訳ではない。しかしこれ以上ロックダウンを続ければ、再生し立て直せないほどに経済がダメージを受けるため、感染者の減少傾向が顕著になった時点で社会を動かし始めた訳だ。今後はソーシャルディスタンシングを徹底し、感染拡大の防止に努めながら日常生活を続ける事になる。

 とは言え、これで右肩下がりに感染者が減り続ける、などと都合の良い事を考えている訳ではなく、すでに第2波への備えは始まっている。フランスの学者は早ければ8月には第2波がやって来ると警鐘を鳴らしているそうだ。

 ただ、この第2波が来襲した場合に何が起こるのかは、専門家を二分した議論になっているらしい。つまり、第2波は今回の第1波よりも被害が大きくなるという主張と、逆に小さくなるという主張があるのだ。特に被害が小さくなるという主張の根拠について、AFPは以下のように報じている。

「企業が操業を再開することができ、通りに人が戻っても、新型コロナウイルスの拡散を遅らせる方法はいくつかある。例えば、対人距離を保つ、顔に触らない、手を洗う、公共の場でマスクを着用するなどの方法があるが、人々は第1波の間にこれらの習慣をある程度身に付けている」

 うーむ。これは希望的観測であり、人間を信用しすぎではないか。確かにいま人々は羮に懲りて膾を吹いているが、ひとたび感染拡大は収まったのだという空気になってしまうと、たちまち喉元過ぎれば熱さを忘れてしまうだろう。それは前提条件とされねばならない。善は急げと行きたいところだろうが、ここは欧米の為政者の皆様方には、是非とも石橋を思いきり叩いてから渡っていただきたいところ。


 そんな中、アメリカでは新型コロナウイルスの対策本部を解散する方向に動き始めているらしい。5日、トランプ大統領とペンス副大統領がそれぞれ明らかにした。とは言えトランプ大統領は、

「マイク・ペンスとタスクフォースは素晴らしい仕事をしてきた。だが我々は少し違った形を考えている。安全と再開だ。そのための別のグループを設置することになる」(BBC)

 と話しているから、解散というより改組と言った方が良いのかも知れない。ただ、ペンス副大統領は5月25日の戦没者追悼記念日前後、あるいは6月上旬を国内活動の再開に取りかかる時期として検討し始めていると説明している。11月の大統領選挙に向けて、性急な実績作りが行われるのだろうか。


 アメリカの新型コロナ対策といえば、いま連邦最高裁の審理が電話会議で行われているのだそうな。弁護士らは電話を通じて審理に参加し、傍聴人らも電話で内容を聞く事ができるらしい。どの辺までが電話参加なのだろうな。裁判長はさすがに裁判所に居ると思うが、被告も電話参加なのだろうか。

 6日午後に行われた審理は、自動音声を使って携帯電話に迷惑電話をかける行為を禁じた電話消費者保護法をめぐって、法律の条項が言論の自由を保証した憲法に違反しているかどうかの裁判の口頭弁論であった。

 読んでるだけでしかつめらしい顔になりそうな裁判だが、このクソ真面目な雰囲気の中、原告側の弁護士が発言している最中に、突然誰かがトイレを流す音が聞こえてきたそうだ。弁護士は何事もなかったかのように発言を続けたようだが、何なのだろうな、これは。単なる事故なのか、それとも法廷戦術の一環なのか。

 まあ普通に考えれば在宅ワークあるあるではないか。さすがにこの音が判決を左右する事はないだろうと思うところ。


 フィリピン最大のテレビ局であるABS-CBNが5日に放送を停止した。放送免許の更新が認められなかったらしい。この局はドゥテルテ大統領に批判的な報道を続けていたのだが、それが原因であったとBBCが報じている。でも実際のところどうなのかは、外から見ているだけではわからない。

 言論の自由は守られるべきだし、報道は政府から自由であるべきだという理屈は正しいと思う。ただ日本の報道を見ている限り、「報道なんだから何でもかんでも自由だ」とメディアが主張しているように思える事が時折ある。フィリピンでは事情は違うのかも知れない。だが少なくとも日本のメディアの中には、停波させた方が良いのではないかと思えるような酷い報道をする局も見受けられる。

「マスメディアは絶対不可侵」

 メディアの中に居る人々はそう思っているのかも知れないが、それが国民の利益にならない場合もある。フィリピンのABS-CBNがそうであると言うつもりは毛頭ない。あくまでも日本国内を見渡した上での感想である。民主主義の国に絶対不可侵なものなどあってはならない。政府が勝手にテレビ局を潰せるような仕組みは許されないが、国民に不利益を与えるテレビ局が存在してはならないのだ。マスメディアに対しては何らかの規制が必要ではないかと思う次第。


 本日はこんなところで。さあて、買い物に行って来ようか。面倒臭いが仕方ない。

 昨日は600文字ほどしか書けていない。まあそんな日もある。また今日頑張るとしよう。

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