第155話 2020/3/17 図書館とか

 昨日は何か散々だった。集中力がなくてボロボロ。何も書く気になれず一日を無駄に使ってしまった。特にミステリーが進まない。全然進まない。ミステリーを書くためだけの日を設定しないといけないかなあ。何とかケツを蹴り上げなければ。


 虫けらの住む市にも図書館はある。市役所の近くにあるのだが、普段利用しない。引っ越して来てからこっち、一度も足を向けていない。駐車場がないからな。図書館というものは嫌いではない。どちらかといえば大好きだ。周囲を見渡す限り本が埋め尽くす空間はそれだけで快楽である。しかもその本を自由に読んで良いのだ、嫌いになれるはずがない。

 とは言え、いまは図書館を巡る状況も複雑である。日本国内に不景気が蔓延している以上、どこの自治体も金がないから、図書館の予算も削られる一方だ。中にはカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)といった民間企業に運営を委託する自治体も出て来ている。

 また、本の著作者の中には図書館を目の敵にする者もいる。図書館が無料で本を読ませるから、著作者に印税が入ってこない、つまり著作者の収入源を断っている、という主張である。この主張は理解できる。理解はできるが、結局これも不景気なればこその発想であろう。世間が好景気で自分の書いた本が飛ぶように売れていれば、図書館に置かれるくらいはどうという事もあるまい。

 ただ、本を出したこともない虫けらが無責任に勝手な事を言わせてもらえるなら、人の社会に生きている、あるいは生かされている以上、人は何らかの形で社会に貢献すべきだと思う。もちろん、本が大ヒットして大金持ちになれば、寄付や納税という形で社会貢献をするつもりだ、という人も多かろうが、そんな事が可能になる物書きなど、ごくごく一部に過ぎないはずだ。大半は自分が生活するので精一杯ではないか。とても身銭を切って社会貢献をする余裕などない者がほとんどだろう。

 そんな金のない物書きでも可能な社会貢献があるとするなら、それは自分の著作物が図書館の蔵書になる事を受け容れるくらいではないのかな、と思うのだが。人が人らしく生きて行くためには、娯楽も必要である。小説家は人間に必要な物を生み出す仕事だと言える。ならば金がなくともその小説という娯楽に触れる機会を人々に与える事を容認するのは、社会のためになる。図書館で触れた小説に救われる者も居るかも知れない。ならば社会の一員として生きるためのコストとして、自著が図書館の蔵書リストに入る事を積極的に認めても良いのではないかと個人的には思うところ。

 さて、図書館にもイロイロある。一番多いのは公立の図書館だろうが、世の中には私立図書館もある。キリスト教圏には聖書図書館というのもあるらしい。アメリカの首都ワシントンにある聖書図書館がこのほど明らかにしたところによると、同図書館で所有していた『死海文書もんじょ』の断片16点が、すべて偽物であったらしい。

 死海文書といえばエヴァンゲリオンという人も居るかも知れないが、そもそも死海文書とは紀元前250年頃から紀元70年頃の間に書かれた、旧約聖書関連の写本群である。当時の旧約聖書がいま伝わっている物とどれだけ違うか、あるいはどれだけ同じかを比較する上で貴重な研究資料である事は間違いないが、別にとんでもない事実や想像を絶する予言が書かれていたりする訳ではない。

 内容がなかなか公開されなかった事で憶測や陰謀論を巻き起こしたものの、公開されなかった理由は権利関係のゴタゴタである。というか、いまだにゴタゴタしているようだ。いま死海文書はイスラエルが管理しているが、ヨルダンは「死海文書はヨルダンのものなのに、イスラエルに強奪された」と主張していたりする。

 と、上に書いたように死海文書はイスラエルにあるのだが、アメリカの聖書図書館はどこからか16点の死海文書を入手し、公開していたのだそうな。しかし詳細に調査すると、文字のインクが現代の物であると判明したという。おそらく20世紀に偽造された物であろうと。

 こういった古文書の偽造というのは、海外では珍しくないようで、過去にも何度か問題になっている。まあ金になるのだろうが、紙幣をカラーコピーするのとは訳が違う。死海文書に関する知識、その時代のインク製造技術や使われていた文字に関する情報など、事前に頭に入れておかねばならない事柄が多すぎる。そこまでの知識があるのなら、ちゃんとした仕事ができるだろうと思うのだが、なかなかそう上手くは行かないようだ。人の世は難しいな。

 この聖書図書館が偽物の死海文書を買い取るのにいくら払ったのかは知らないが、その金を「聖書の出て来る小説」の購入に使えば、大量の蔵書を確保できただろうにと思うところ。図書館の目玉が欲しかったのだろうけれど、もったいないな。


 昨日夜、G7の緊急テレビ会議が行われ、その席で安倍首相は東京オリンピック・パラリンピックを予定通り「完全な形で」開催すると発言したそうだ。完全な形って、わかるようでわからない表現だな。どうすれば完全で、どうなれば不完全なのだろう。まあ無観客とか延期とか中止とかは一切考えていないという意味なのだろうけれど、果たしてそれが許される現状だろうか。

 日本だけではオリンピックはできないからな。他の国は「やるな」とは言わんだろうが、だからといって参加してくれるという訳ではない。主張するのは構わないが、どうせなら忌憚のない意見を聞いてみても良かったのではないか。ちなみにトランプ大統領は、「新型コロナウイルスの流行は7月まで続く」と見ているらしい。

 まあ、「ウイルスを封じ込めるのは無理だから諦めよう」などと一国のリーダーが現段階で口にするのは難しかろうが、世界中がそういう意識にならない限り、今年の夏にオリンピックを開催するなど無理というか無茶だろうとは思う次第。夏にオリンピックをやる事自体が間違っているような気もするのだけれどな。


 新型コロナウイルスの流行の中心はヨーロッパに移ったため、とにかくヨーロッパの情勢ばかりが日本でも報道されているが、アジアでも感染の拡大は続いている。

 フィリピンでは15日からマニラ首都圏で事実上の「封鎖」が開始され、17日からはそれがルソン島全域に拡大する。マレーシアでも16日、全土での移動制限を18日から31日まで実施すると発表した。

 そんな中、インドではヒンドゥー教の活動家らが、新型コロナウイルスから身を守るために、牛の尿を飲むパーティを開いたそうだ。何言ってんだコイツと思われそうだが、本当なのだから仕方ない。インドで牛が聖なる動物として崇められている事は有名だが、その尿は万病に効くと主張する連中が居るのだそうな。

 まあ、アレだ。牛の小便を飲むくらいなら新型コロナウイルスに感染した方がマシかも知れないという気がしないでもない。て言うか、パーティ開いている時点で状況を理解していないのだろう。別に虫けらが苦しむ訳ではないので、構わんっちゃ構わんのだが。


 本日はこんなところで。はあ、ため息ばかりが出て来る。どうすれば良いんだろうなあ。一度思い切って休んだ方が良いのだろうか。イロイロな考えが頭に浮かんでぐちゃぐちゃになっている。何ともかんとも。

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