第124話 現行犯
眠りから目覚めるときはいつもこうだ。
覚醒した意識がそのまま肉体に装填される。
初めは自身の頭での認識と、まだ活動準備の出来ていない肉体とのギャップに戸惑うばかりであった。
俺は眠ると大抵夢を見る体質の人間なのでーーというか大体精神世界から直で戻ってくる事が多いので、本当の意味の無意識状態にはもうしばらく陥っていないかもしれない。
いや、嘘だ。今嘘をついた。
少し前に気を失ってついでに記憶も落っことしてきたばかりであった。
頭の中で様々と自動的に流れていく思考の渦。
特に意識する事なく勝手に考えてしまう、いわゆる雑念のいうやつだろうか。
まぁいい。
そんなことはさて置き、とりあえず肉体に意識が完全に入ったようなので起動しよう。
「むむ」
薄っすらと瞳を開ける。
見覚えの無い天井だ。
気絶する前の状況を思えば別に不思議では無い。
背面に感じる柔らかな感触。
視線の向きや感覚的に自分がベッドに寝ているのだと把握した。普段トチクルイ荘で寝ているベッドよりもおよそ二桁くらい高く値が付きそうなふかふかのベッドだ。
しなやかなシーツはすべすべであり、裸の美女が朝起きた際に胸元を隠すのに使いそうな感じのこれまたとても高そう逸品。
視界の横合いから差し込んでくる明るい光と相まって実に気持ちの良い目覚めである。
破壊された左足や、背中の裂傷もちゃんと治っているおかげか違和感が無い。
かつての戦いで負った火傷だけは相変わらず治ってくれてはいないようだが。
「良い朝だ」
五体満足の肉体に戻り喜悦に浸る。
そうして気分良くなりなりながら首を傾けて、光の差し込んでくる窓の外を見やる。
晴れ渡った空色を確認し、俺は現状確認を開始した。
俺の目覚めた部屋はかなり大きく、一般家庭の居間よりもずいぶん大きいかもしれない。
全体的に明るい装飾の施された部屋で、白い壁に金色の金属を使ってあしらわれた幾何学模様が美しい。
よくわからないアートな絵も向かい側の壁に掛かっている。
ベッド自体は壁に密着する形で堂々と真ん中に設置するお金持ちスタイル。
いや、王族スタイルとでも言うのかな?
ベッドから見て部屋の右側には大きな書斎机が置いてあり、机の近くに大量の本が乱雑に置いてあった。
きっと部屋の主人は勤勉な読書家に違いない。
ただ、それ以外には本棚がいくつかあるだけで、これといって家具らしいものは置いていないようだ。
機能性重視なお金持ちさんの部屋と言ったところだろうか。
「さて、それでどうして俺はここにいるのかな、と」
自身の手首に鎖が繋がれていないことを確認しながら剣知覚で周囲の気配を探る。
「わぉ。恐ろしい程誰もいないな」
知覚の範囲を広げても全く気配を見つけられない異常な環境。
ここが人狼たちのいたあの街なら、溢れかえるほど気配はあってもいいと思うのだが。
「わぉぉぉ……」
「ん……?」
不自然な程静かな自らの知覚網に意識を集中していると、何やら不満げな感情をにじませた声が聞こえてきた。
何事かと声の方へ視線を向ける。
すぐはま藍色と輝く銀色のモッフニウム反応が俺の中へ飛びこんできた。
「ポッチぃぃ!」
「わぉわぉ!」
こちらへ飛び込んできた予想通りの人物ーー犬だけどーーの存在に感極まって、顔面を毛並みへ突っ込むことで迎撃する。
ーーギシギシッ!
「あ」
「わぉ」
巨大なポチの突進に悲鳴をあげて苦しみ悶える高級ベッド。
ーーバギィ
ポチの体重に耐えられたのは一瞬、すぐにベッドは底が抜けてぶっ壊れてしまった。
「おわ!」
「わぉん!」
崩れた衝撃で上に覆いかぶさっていたポチが、逆に下になって床に落っこちる。
前足を可愛らしく曲げて、お腹に生え乱れるポチの銀色の毛並みが露わになってしまっている。
「へへ」
「わ、わぉ、わぉ……ッ!」
毛並み師としてこんな好機を逃すわけにはいかない。
俺はそう思いとりあえずポチのピンと立った耳を指でつまんでモニュモニュしつつ、顔を膨よかな胸毛に突っ込んだ。
「わぉ、ぉ!」
「むはは! 最高だぁ!」
どんなに押し込んでも押し返してくる、果てしなき弾力のもふもふ神の実力を見せつけてくるポチ。
いいだろう。
そっちがその気なら俺はただ本能に従うのみ。
ポチの耳を左手で楽しみつつ、右手でお腹の最柔地帯を蹂躙する。
そして顔では胸部のもふもふから麻薬物質モッフニウムを吸引だ。
「わぉ、ぉお! わぉお……ッ!」
「わしわしわし」
「わぉぉお! わぉぉ!!」
「すぅーはぁー、すぅーはぁー」
「わぉ、わぉッ! わぉぉん!」
悶えながら喜色の鳴き声を上げる巨大な犬。
顔がトロンとしているのでリラックス出来てるのだと判断し、俺は更なる一手を打つべく左手を耳から離した。
仰向けになって寝転がる可愛らしいポチの毛の塊のような尻尾に手をかけーー。
ーーガシャッ
「お嬢様ぁぁ! ご無事ですかぁあ!」
突然ドアが凄い勢いで開け放たれ、白い毛並みの人狼が部屋に飛び込んで来た。
「ぁ……っ」
「あ」
「わぉ」
なんだか気まずい空気の中、白い人狼と目が合う。
数瞬の静かな時間を経て時が動き出した。
現在の俺はポチの尻尾を左手で鷲掴みにし、お腹の毛並みを蹂躙し、仰向けに倒れる犬に覆い被さっている姿勢だ。
必然、次に俺がどういう扱いを受けるのか俺自身にまで容易に想像できてしまった。
「このゴミクズぅうぁぁあ!」
「ですよねぇ、ぼぶへぇ!?」
人狼の姿が掻き消えたと思った途端、腹部で横綱が
「ぁ、あーー」
一瞬で真っ白になる思考。
命の糸が緊張から解き放たれ、ぷつんッと切れてしまったのを感じる。
俺はまたしても眠るハメになった。
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