3 準備
『あらすじ』
孤児院からの依頼
テトラドの会への潜入ミッション
***
『明日の朝から調査開始ね!』
昨晩、解散前に会長様が残した言葉だ。
残念ながらその台詞の通り調査が実行されることはなく、俺は2限目の座学に出席していた。
魔法基礎論。
担任であり寮監でもある
基礎と
歴史的な魔法の分類から始まり、実用的な知識にまで至る。
その一方で原理の科学的な考察や、新たな魔法構築のための初歩も学ぶ。
クラスメイトの大半は中学の魔法科出身で、しっかりと基礎の基礎を固めている。
すでにプロとして活動している俺からしてみると、楽勝かというとそうでもない。
魔法に対する立ち回りには自信があるが、座学になると勝手が違う。
分類学の方はこれまでの経験ですでに身についているが、原理に関しては少し聞き逃すとたちまち分からなくなってしまう。
それでも毎回出席できていれば大して問題ないはずなのだが、会長様絡みのトラブルで欠席が重なると簡単に置いて行かれてしまう。
今は
ところで何故俺が平然と授業を受けているのかと言うと、今朝生徒会ハウスに行ってみたのだが、仕事を持って来た会長様はまだベッドの中だった。
無理に起こして機嫌を損ねたら、大惨事になることは目に見えている。
そもそも俺に彼女の目を覚まさせることができるのか分からない。
以前、凛花先輩が強引に起こそうとして、ゴーレムを使うまで及んだのに、会長様の眠りの深さが勝り、断念したという事例がある。
とりあえず犬小屋にいた
後藤先生が淡々と講義を進める何の変哲もない平穏な授業風景なのだが、
それに勉強は嫌いじゃない。
全ての
任務継続のための出席日数稼ぎだけではなく、せっかくの学びの機会を逃すのはもったいない。
実戦派の俺は理論的なことは苦手なのだが、
しかしそんな日常も、そろそろ終わってしまう。
教室の扉がスライドする音とほぼ同時に怒涛の言葉が走った。
「おっはよ~う。後輩君! どうして起こしてくれないのよ! お姫様が寝ていたらキスして起こすのがお約束でしょ」
現実ではただの痴漢じゃないか。
そんな簡単に起きるならば、この世にゴーレムは要らない。
そもそも会長様は眠り姫なんかではなく、怠惰な寝坊だろ。
会長様が他の学年の教室に乱入して授業を妨害しているのに、誰も止めようとしない。
この場にいる誰もが、彼女に
東高で絶対強者に物申せる人物はごく一部に限られる。
生徒会役員を除くと、風紀委員長と校長くらいだ。
ただし文句を口にしたところで、彼女の考えが変わるのかはまた別の問題だ。
無理を承知の上で、俺は
ルームメイトの
この2人は入学2日目にこの教室で、同じ後藤先生の授業中に乱入して来た会長様に立ち向かって、一発KOをくらっている。
馴染みの女性陣に至っては、俺と目すら合わせてくれない。
その中には同業者のリズも含まれている。
ちなみに昨晩の時点で、会長様と第5の仕事で出掛ける
感情表現に乏しいリズでも、俺と同じく会長様の
突然の休暇を台無しにしないためにも静観を決め込んでいる。
「後藤ちゃん。後輩君を連れていくよ」
教壇の前で授業を進行している教員相手に『ちゃん』付けなのは、もちろん会長様だ。
そんな彼女が後輩君と呼ぶのが、俺のことを指していることは、後藤先生を含めこの空間の誰もが理解している。
「高宮、さすがにこう毎度だと出席扱いにできないぞ」
会長様に拉致されるたびに、根回しをしてくれていた後藤先生だがとうとう見放されてしまった。
彼の口添えがあっても足りないかもしれない出席日数がさらに減っていく。
「ほら後輩君、風紀委員に見つかる前にさっさと行くわよ!」
そういう人聞きの悪いことを口にしない方がいい。
そもそも授業中に校内を自由奔放に歩くのは彼女くらいだ。
風紀委員の連中だって、授業を受けているので捕まる訳がない。
「蓮司、放課後の生徒会の仕事は頼んだ」
「了解。そっちこそ頑張れよ」
当初1年生の生徒会メンバーに上下がなく、全員が等しく凛花先輩の指揮下だったのだ。
しかし新たに役員が選出されてからは、会計の
「由樹、ノートよろしく」
「ほいさー。しっかり暗号化しておいてやるよ」
「いや。読めないから普通のノートにしてくれ」
強制連行は不可避な未来なので、俺は大人しく教室を出る準備をする。
机の上の物を鞄の中へと詰め込んでいくが、せっかちな会長様は待ってくれない。
「後輩君。ほら、早く。早く」
会長様が俺の
俺の席のすぐ近くにある窓枠。
彼女は空いたもうひとつの手で、窓を開ける。
「かっ会長……冗談ですよね。ここ、さっ3かいぃぃ~!!」
会長様の踏み込みに重力加速度が加えられて校庭へと落下した。
頭部から飛び降りることになった俺は受け身を取れなかったが、幸いなことに彼女の魔力を吸収して肉体を強化できたので、仕事の前に負傷することはなかった。
***
教室から飛び降りるショートカットをした俺達だが、すぐには東高を発っていなかった。
俺は生徒会ハウスの会議室で着替えをしていた。
これから行うのは、精霊を信仰し、祈りによって新たな属性に目覚めると
そんな場所に東高の制服のまま向かう訳にはいかない。
ニホンの魔法トップエリート校の学生が宗教に
俺は普段着の中から無難なものを用意しておき、今朝生徒会ハウスを訪れた際に置いておいた。
さすがにジーンズだと場違いだし、スーツは堅いとも思ったが結局似たような服装だ。
黒いズボンにワイシャツとジャケットのセミフォーマル。
やはりジャケットがあると武器を忍ばせ易い。
昨日依頼主の須藤さんによってもたらされた情報によると、潜入先のテトラドの会は警戒が厳しいようだ。
金属探知機やボディチェックがある可能性も危惧して、拳銃やサバイバルナイフ、スタングレネードは準備していない。
まったく武装しないことはありえないので、せめて銃刀法の範囲で装備を選ぶ。
大きめのキーホルダーにしか見えないマルチツールナイフ。
またアクセサリーの一部のように偽造した手榴弾には、爆薬や金属片は入ってなく、バル3のように水に触れると煙幕が発生する仕込みをしている。
他にもホームセンターで購入できるワイヤーなんかは、武器にも、拘束具にも、移動補助にも応用できるので細い品と太い品の両方を持って行きたい。
一部をベルトの内側に、残りは鞄の形を整えるために使って隠す。
着替えと荷造りを終えた俺は、生徒会ハウスのエントランスへと向かう。
生徒会ハウスの1階には廊下がなく、このエントランスからそれぞれの部屋と上階への階段に繋がっている。
俺に少し遅れて、同じく着替えを終えた会長様がやって来た。
いつもよりも丈の長い紺色のスカートと白い上衣が繋がったワンピースで、同じく紺のリボンを胸元で結んでいる。
さらにいつもはストレートに伸ばしたままの長い黒髪は、髪留めで
清楚というか、世間知らずの令嬢のような印象だ。
さらに俺の目を引いたのは、彼女の両耳に掛けて顔のパーツになっている物体。
黒いフレームのメガネだ。
とりあえず俺はテンプレ通りの当たり障りのない言葉を選んだ。
「会長って、普段はコンタクトだったのですか?」
「
(誰だ。おかしな嘘を彼女に吹き込んだのは!)
伊達だと聞かされてしまうと、知的というよりも、何故だかいかがわしく見えてしまう。
会長様が伊達メガネを付けても、この世界のどこに需要があるのだろうか。
冗談はさておき、彼女は学外でも名が通っている。
一方で会長様が表舞台に出たのは生徒会戦拳だけなので、その素顔はあまり知れ渡っていない。
公には顔が割れていないが、業界の知る人が見れば、東高の絶対強者だと分かってしまう。
髪型を変えて、メガネをするだけだが、簡易な変装としては及第点か。
「ところで会長。俺達だけで潜入するのですか? 凛花先輩やリルのサポートを受けることはできないのですか」
「今回の案件を受けたのは私の一存だから、第5公社の他の人員を割く訳にはいかないわ。それに凛花よりも後輩君の方が適任な理由があるわ」
第5公社の他のメンバーが現在担当している仕事は知らされていないが、俺が選ばれたのは彼女の好みでもなければ、余っているからでもないようだ。
しかしその理由について彼女の方から語らないということは、俺から聞いても教えてくれないことは分かっている。
「後輩君、潜入先で会長だと不自然よ。今から呼び方を変えておきましょ。特別に下の名前で呼んでもいいわよ」
「し、お、ん?」
「な、生意気よ(きゅ、急に呼び捨てなんて卑怯だわ)」
後半の声は小さな独り言だったのだが、訓練された俺の聴力はしっかりと捕捉してしまった。
ややこしくなるので、聞かなかったことにしよう。
会長様は口では拒絶しておきながらも、両頬に手を当てて体をくねらせている。
残念ながら潜入時に、名前を呼ぶ度にこんな反応では仕事にならない。
「紫苑先輩」
「先輩なんて可愛くないわ。お姉ちゃんにしなさい」
さすがにこの場で口にするには、気恥ずかしさがある。
そもそも男の俺にお姉ちゃんなんて呼んで、彼女は喜ぶのだろうか。
別にこだわりはないのだが、毎回彼女の言いなりなのも
「紫苑お姉さん」
「まぁ、いいでしょ。後輩君」
「会長だって後輩君のままじゃないですか」
「私はいいのよ!」
その言葉を出されてしまったら、いかなる反論も許されない。
相変わらずの自分中心の傍若無人っぷりだ。
まぁ、“会長”に比べて“後輩”ならば、そんなに珍しい関係性でもないか。
年齢的にも高校生という設定をそのまま使った方が、ミスがないだろう。
「そういえば後輩君って、
「多少の心得はありますけど、」
ニホンに来てから剣を握ったことはないが、林間合宿の際に班の中で連携のために、手の内として明かしてある。
それに実習での自由時間や、学園での空き時間で、たまに型の練習をしているので、会長や生徒会メンバーに知られていてもおかしくない。
ちなみに
剣というものは、誰が持っても手っ取り早く武器になる。
一方、刀というものは、とても繊細な得物だ。
まずセーフティとして取り付けられてある
そして
さらに斬れ味を維持するために、入念な手入れが必要だ。
腕と手間を要するニホン刀だが、近接戦最強武器と言っても過言ではなくステイツの部隊でも愛好家が多い。
俺としてはひとつの武器を極めるよりも、状況に応じて使い分ける方が好みなので、刀の修練は後回しにしたままだ。
「剣は多少か。じゃあ、これは後輩君に預けておくね」
『じゃあ』が繋がらないが会長様がブツを手渡してきた。
剣の心得を聞いてきた彼女だが、俺の手の中にあるのは、鞘に収まった十字型の短剣。
一般に剣と呼ぶ物の半分ほどの長さだ。
キラキラと金属の装飾が施されており、実戦向きの武器には見えないが、安易に抜刀して刃を覗いたりはできない。
どう考えても魔道具だ。
今のところ魔法式は発動していない。
ならば柄ではなく、刃の方に魔法が施されているのだろう。
「これって、どういう魔道具ですか?」
俺の質問に対して、会長様は慣れないメガネのポジションを調整しながら返答した。
「もちろん精霊殺しよ」
(……!?)
今、この人なんて言った?
「後輩君、聞こえなかったの? せい、れい、ごろし、よ!」
「いやっ、そんなもの俺に渡していいのですか!?」
「そっちこそ何を言っているの。これから行くのは、精霊を信仰するような連中のねぐらなのよ。もし本物の精霊王と戦うことになったらどうするの? 奴らは実体が人間界に無いから、物理攻撃も魔法も効かないわ」
いや、いや。
会長の方こそ事の重大性が分かっていない。
精霊殺しの剣は、世界中の魔法関係者が欲しくて堪らないブツだ。
なのに俺の意図がまったく伝わっていない。
彼女との会話が成立しないのは、いつものことなのだが、今回ばかりは
いくら精霊信仰の団体に接触するとはいえ、そう簡単に精霊王なんかと遭遇しては、世界の頂点に立つ4人の契約者のありがたみがなくなってしまう。
会長ら2年生役員3人が顕現した土の精霊王の半身と戦ったのは、かなり特殊な事案だ。
上司のフレイさんと同業者のリズが掴んだ情報によると、契約者を持たない状態の王が、凛花先輩を見初めたそうだ。
しかし現在、全ての精霊王に相棒がおり、空席はない。
俺はゆっくりと呼吸を2回ほど数えることで、少しだけ冷静さを取り戻す。
手元にある精霊殺しの剣は、任務に就いてから想像していたものより大分小さく、普段使っているサバイバルナイフと同じくらいのサイズ。
ちなみに俺が剣よりもナイフを好むのは、リボルバーでは不得意な超至近距離で有利だからだ。
剣の最適な間合いは、拳銃とオーバーラップするので、組み合わせとして最適とは言い難い。
冷静に考えてみると、彼女の言葉が真実とは限らない。
残念ながら今この場で精霊殺しを検証する手段がない。
それに俺が剣を持って逃げ出すことは現実的に無理だ。
なぜならこんな貴重なものを渡しておきながら、警戒しない訳がないからだ。
俺がすべきことは、これが本物の精霊殺しの剣か確認すること、その次にステイツの協力員へと手渡すことだ。
そもそも今回俺に割り振られた任務は、九重紫苑の護衛と精霊殺しの剣の真相究明であって、ブツの確保は他が担当する手筈になっている。
さすがのフレイさんも、今の状況は想定できていなかったのだろう。
「会長、俺の体質のことは知っていますよね。付与の核に触れてしまったら、魔道具が破損してしまうかもしれません」
これはブラフではなく、本当のことだ。
魔道具には大きく2種類あり、術者が魔力を流しこみ触媒として扱うタイプと、道具そのものに宿った魔力を利用するタイプ。
俺と魔道具の相性は悪く、前者ならば発動しないだけで済むが、後者だと触れただけで魔力を吸って壊してしまう。
そのため魔法使いを自称しておきながら、俺の装備は全て軍用の量産品だ。
最悪、この場で精霊殺しの剣の刃部分に触れて、破壊を試みることならば可能だ。
こんなものが無くてもステイツが諸国のトップであることには変わりないが、魔法公社にだけは勝てない。
もちろん抗争になれば、物量作戦で優位になれるだろうが、契約者に出てこられたらこちら側の全滅は必至だ。
「たぶん後輩君が触っても大丈夫だと思うよ。精霊殺しは魔道具じゃないから、魔力を使わないわ。
彼女の説明通りならば、精霊殺しの剣は魔道具とは異なる次元のようだが、その原理はまったく理解できない。
神器として伝わっている品々のほとんどが、厳密には魔道具であり、神の介入は世界でさほど多くない。
それでもリルやヘルのように、人智を超えた異形は実在するので、真に神器と呼べる超常のブツがあってもおかしくない。
魔道具による奇跡は固有魔法に分類され、扱うには熟練が必要なのだが、彼女曰く誰が使っても発動するらしい。
本当に魔力を吸収することがないのか、1度触れてみたいものだが、この場では控えておく。
もしかしたら会長はわざと精霊殺しをちらつかせており、これは俺の信頼を試す踏み絵なのかもしれない。
そもそも俺の身体に刻まれている魔法式には未だに謎が多い。
ローズは言葉では何も説明せず、実技でその使い方を教えてくれた。
ステイツの科学者のクレアさんが何度も解析を試みたが、結局身体強化の部分の構成しか明らかにできなかった。
精霊殺しの剣(仮)の扱いには気を付けなければならないが、ナイフ程度の大きさならば潜入先で隠しようはいくらでもある。
とりあえずタオルで巻いて荷物に加えようとした。
そしてら会長様があからさまに何もない手の平を差し出してきた。
「レンタル料」
「金取るんですか!?」
彼女は金が無くて困っている俺に、ただ働きどころか、さらに財布から絞り取ろうというのか。
「冗談よ。相変わらず後輩君は楽しいね」
会長様の方こそこそ相変わらず、自由にこっちを振り回している。
他の者が口にすれば冗談なのだが、彼女ならば本気でやりかねないと思ってしまった。
「レンタル料は取らないけど忘れないでね。精霊に対抗できるたったひとつの武器をあなたに託したのよ。いざという時は、しっかり私のことを守ってね」
(もちろんだ。そのために俺がいる)
真っ直ぐな目で見られたら、断ることができない。
彼女は俺のやる気を削ぐのが得意だが、やる気を引き出すのも上手い。
***
『あとがき』
ステイツを含めて世界各国が奪取を狙う“精霊殺しの剣”がさらりと登場してしまいました。
4章長編でのクラスメイトキャラの登場は今回のみです。
SSでの活躍をご期待ください。
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