第61話 Rー2 セカンドワールド

 花田は昨夜からずっと迷っていた。深山に話すべきかどうか。彼女たちは犯罪者である。勿論、上司に話すのは当然であろう。だが、深山は正式な上司ではない。そして彼女たちは警察上層部、いや政府が一年前の事件から今回の事件が繋がっていることを知り、それを秘匿している。もし深山に全てを話したらどうなるのか。事件は解決され世間に公表されるだろうか。いや、もしかしたら揉み消されるのではないか。


 花田はそのように思い悩みながら自身が身を置く警察庁外事課総合情報統括委員会の部屋に向かっていた。すると声を掛けられた。


「よ、おっはよ」


 振り向くと声の主は九条だった。


「ああ」

「愛想がないなー。朝は低血圧か?」

「違う」


 部屋に入ると深山が腕を組み立っていた。他のメンバーも席に着いており深山の方に体を向けている。


「何かあったのか?」


 花田は席に着き尋ねる。


「ええ。黒木弁護士が動きました」


 そして深山は間を取り、


「新虎のバーで本社であるシェヘラザード社の社長秘書とコンタクトを取りました」

「で、どうするのさ? 踏み込むの?」


 九条が冗談混じりに言う。


「令状なしにか? 弁護士が任意で来るとでも?」


 花田が言葉を返す。


「黒木弁護士については公安に任せます。私たちはシェヘラザード社の秘書李氏の調です」


 スクリーンに李氏の写真、そしてプロフィールが表示される。


「花田さん、貴方は黒木弁護士に顔が割れているので田宮信子さんについて調べて下さい」

「女子高生についてはいいのか?」


 花田はすでに当の女子高生と会っている。身分も判明している。だが、それを話すことに躊躇いがあった。

 決して九条から無言の圧力があってというわけではない。


「その件はすで終わってます。……残念ながら行き詰まりです」

「終わった?」

「はい。穂積さんと九条さんが終わらせてくれました」

「で、見つからなかったと? というか直接会った俺が調べなくて良かったのか?」

「ええ。アリバイさえ分かれば後は絞りこむだけです」

「それでも無理だったのか?」

「数名に絞りこんだのですが、……何もありませんでした。念のために指紋の提出にも協力してもらったのですがどれもハズレでした」


 その一言に悔しさが滲み出ているのを花田は感じた。

「一応、絞りこんだリストがあります。一応、後で見てください」

「わかった」


「ねえねえ、ウチらってどういう存在なんだろうね」


 部屋には九条と深山しか残っていない。他のメンバーは李氏の捜査に向かったのだ。そんな時、九条から声を掛けられた。


「外事課総合情報統括委員会だろ」


 花田は早口で答えた。


「そうじゃなくてさ。ここの役割ていうかポジション?」

「公安モドキだろ?」

「それじゃあ、なんで公安モドキがあるの?」

「はあ? 知らんな。公安だって色々あるだろ。警視庁の公安とか」

「今回はどこの管轄?」

「公安だろ」


 花田は馬鹿馬鹿しいと適当に答えた。すると、


「真面目に!」


 九条は語気を強めて言った。

 花田は驚いて九条に振り向く。九条は真剣な目つきで花田を射止める。


「管轄は?」


 花田は少し考えてから、口を開く。


「この件はやはり公安だろ」

「どうして?」

「殺人事件でも国家を脅かす可能性があるからだろ」

「なぜ国家を?」

「人工補助脳で人が暴走するからだろ。そして海外の企業が関係している」

「だから外事課。それじゃあ敵はどのような存在?」

「ちょっと待て。お前さっきからなんだよ」

「いいから、よく考えて」

「敵って。そりゃあ海外企業なんだろ」


 しかし、それでも対応が遅れているような。いや、胡桃はすでに国は知っていると言っていたはず。


「……もしかして企業の後ろに? 当局とか?」


 花田は孟に当局は教えてくれなかったのかと鎌をかけたのを思い出した。あの時は時間稼ぎで言ったのだか間違ってはいなかったのか。もしそうなら国が二の足を踏めないのも頷ける。そしてここが外事課であることにも納得がいく。


 そして九条はにっと口端を伸ばして立ち上がった。


「さあ、行きましょう」

「どこに?」

「セカンドワールドよ」


 それは田宮信子がプレイしていたVRMMORPGである。


「なんでだよ! さっきの質問となんの繋がりが?」

「それはおいおいわかるわ。それにこれはきちんとした捜査よ。田宮信子がセカンドワールドでコンタクトを取ってた人物を見つけたの」

「そいつとコンタクトを取るのか?」

「いいえ。つけるのよ」

「ゲームで尾行かよ」


 花田は溜め息を吐いた。


  ○ ○ ○


 九条に連れられて訪れたのは五階建ての日焼けしたビルだった。


「ここは?」


 しかし、九条は返事をせずにビルへと入る。

 外装の見た目とは違い、中は出入りに厳重で扉にもいくつものロックがある。そしてビルの内装もまた綺麗であった。

 二人は階段で三階へと上がる。


「花田さん、デバイス入れてないでしょ」


 部屋の前で九条は花田に向き、自身の頭を右手人差指でつつきながら聞く。


「ああ。俺が若いときは流行ってなかったしな。それにゲームとかあんまり興味ないからな」

「でも大丈夫。ここならデバイスを頭に入れてなくてもいいの」


 九条はそう言ってドアに向け手を向ける。

 確かにデバイスを入れなくてもVRMMOを体験することは可能だ。ただし、それには設備が大きく、そして膨大な電力が必要で使用には医師とエンジニアが常時モニタニングしていないといけない。それゆえ金額も馬鹿にはならない。


「おい。本当にセカンドワールドに行くのか? 金はどうする?」

「お金も気にしなくていいわよ。このビルにあるの全部鏡花のだから」


 深山鏡花、深山グループの令嬢であり、そして花田の上司深山の従姉妹である。


「まじかよ。さすがは御令嬢だな」


 九条はドアを開け、部屋へと入るので花田も後に続く。そして部屋の中を見て花田は驚いた。


 ガラスケースを嵌められたベッド。

 そのベッドの横に大きなボックス型の機械と一体化した机があり、その上にはパソコンが。


 ベッド、機械、パソコンが大小各々のケーブルに接続されている。

 部屋には二人の女性がいた。


 一人は昨夜出会ったスーツ姿の美人秘書風の胡桃。そしてもう一人は初見だった。九条はそれに気づいたのか、


「彼女は葵」


 と、花田にもう一人の女性を紹介する。紹介された葵という女性は花田に丁寧にお辞儀をする。


「ほら、ここに寝て」


 九条がガラスケースを叩く。


「本当に寝るのかよ」

「何よ。怖気付いた?」

「俺は初心者だぞ。経験者の方がいいんじゃないのか?」

「大丈夫よ」


 九条は胡桃たちに、


「それじゃあ、操作の方お願いね」


 そして葵が椅子に座り、パソコンを操作する。ベッド型巨大デバイスの電源を入れたのかモーターか何かの大きな駆動音が発生する。


 そして炭酸の抜ける音の後にガラスケースがゆっくりと持ち上がった。


「どうぞ」


 胡桃に促され花田は靴を脱ぎ、ベッドに横たわる。


「失礼します」


 と、胡桃は断りを告げてから右手首にコードの付いた電極パッドを付ける。他に頭部にも左右それぞれに4つの電極パッドが貼り付けられる。最後に枕にある電源ボタンを押す。どうやらただの枕ではないらしい。この枕もデバイスの1つなのだろう。


 胡桃は美人なので顔を近づかれたり、さらに体のあちこちを触られるのは変に集中してしまう。


 最後にシャツの中に胡桃の手が入る。心臓の上辺りの胸に電極パッドを。パソコンのスクリーンに心電図が表示される。九条はそれを見て、


「脈が上がってるよ。美人さんにタッチされて興奮してる?」

「ち、違う。初のVRMMOで緊張しているだけだ」

「はい、はい」

「では閉めますので」


 葵がパソコンを操作し、ケースが閉じる。


「眠気が訪れますが抵抗せず受け入れてください」


 葵がパソコンを操作しながら言う。外の声がケースのせいで聞こえにくくなっている。


「私は後からすぐ行くから」


 九条が手を振って言う。


「わかった」


 花田はそう言って目を閉じた。

 しばらくすると眠気がゆるやかな波のよう訪れた。波の揺れ意識を預けると全身の力が抜けていくのを感じた。


 揺れはなくなっていた。その時には水の中に沈む感覚であった。

 下へと、下へと沈み落ちていく。


  ○ ○ ○


 意識が浮かび上がって花田は目を開けた。いや、アバターの目を開けた。


 上半身を起き上がらせようするとバランスを崩し、たたらを踏んだ。どうやら体は横になっているのではなく立っていたのだ。


 姿勢を正し、辺りを見渡す。

 青い空と草原。どちらも。まるで青いボールの中に小さな緑のボールの上にたっているような。


 目の前で光が生まれ、目を細める。

 光から女性が現れた。幼い顔立ちに、ピンクを基調としたドレス風の衣装。ゲームをあまりしない花田でもわかるファンタジー衣装だった。


「どちら様で?」

「私よ。九条。ここではナインズって名乗ってるから」


 と、言いウインクを投げる。

 花田は九条のアバターを上から下まで眺める。


「ずいぶんセクシーになった」


 布面積は広いが谷間辺りは開いている。しかも胸も現実に比べ割り増しになっている。


「言っておくけどそれセクハラ。ゲームだからってじろじろ舐め回すのはマナー違反だから」

「ああ、すまない。そう言えば俺の体ってどうなってる?」


 花田は腕や体、足は見えるが顔が見えずわからない。


「ちょっと待って」


 九条ことナインズはポケットから端末を取り出し、操作する。そして、花田の目の前に姿見が現れた。


「これが俺の顔?」


 花田は姿見をじっと見ながら自身の顔を撫でる。


「ペルソナ型だと跡が残るからね」

「ペルソナ型?」

「ううん、なんでない。こっちのことよ。それよりどう? ちょっとイケメンになった感じは?」

「まあ、悪くはないが。なんか落ち着かないな」

「初めはね。そのうち馴れるから。そうそうここではフランだから」

「フラン?」

「貴方のここでの名前よ。本名は禁止」

「わかった」


 ナインズが端末を操作すると青い空と草原は消えた。代わりに壁に床、天井がそして次々と家具が現れた。


「部屋?」

「私たちのホームよ」


 ナインズは両手を広げ、自慢気に答える。


「? お前と結婚した覚えはないが?」

「当たり前でしょ! 拠点よ。拠点」


  ○ ○ ○


「あいつよ。あの黄色の子供が黒木よ」

「まじかよ」


 噴水広場に女神の像があり、その前に一人の少女がいる。少女は誰かを待っているのだろう、じっとして動かないでいる。それをオープンカフェから花田たちは様子を窺っている。


「いくらなんでも若作りしすぎだろ?」


 目の前の少女は10代前半ぐらいだ。現実とは一回り程若作りをしている。


「あのね、VRMMOでは若作りなんて基本よ。それにここはセカンドワールド。第2の人生を謳ったゲームよ。年齢層も結構高いのよ」

「なんか怖くないか? 出会った相手が実はオッサン、オバサンとか」

「出会い系でやってるやつは少ないわよ。第2の人生よ。ここの人たちは余生をのびのびと暮らしたいのよ。それと私はオバサンではないわよ」

「現実でのびのびすればいいのに」


 と、フランが呟くとすぐにナインズが返す。


「それができないからでしょ。あって」


 ま、それもそうだなと思いながら花田は手付かずだったコーヒーを飲む。


「苦いな。コーヒーだ」


 驚いてつい声にしてしまった。

 目の前のそれは本物ではないはずなのに本物のようにコーヒー独特の風味と苦みがあった。


 花田は黒木らしき少女だけでなく眼前の噴水広場や建物に目を向ける。建物はヨーロッパ風のレンガ造りや木造建築の家屋が多い。だが中には現代風の建物も見られる。道路は縁石で馬車道と歩道に別れている。馬車道は黒いアスファルトで歩道は石畳である。


 まるでファンタジーというか古風なヨーロッパと現実の文化が折衷した世界であった。


「ここならのんびり余生を暮らせそうだな」


 花田が景色を眺め、感慨深く言った時だ。


「日和ってる場合ではないわ。来たわよ」


 噴水広場前に目を向けると群青色の髪に狼の耳、目はやらしく、八重歯が大きい。いかにも悪さを企んでいそうな不良って顔つき。服装は黒のジャケット、ダメージジーンズ、赤のスニーカー。その狼男が少女に近づいてきた。


獣耳けものみみ!? なんだあれ?」

「獣人タイプよ。ゲームだからいちいち驚かないで」

「相手は誰だ?」


 少女と狼男は歩き始めた。


「追うわよ」


 花田たちは二人の後を追う。少女と肉食系の不良だから見失うことはなかった。その二人が向かった先は――。


「……ラブホ。まじかよ」

「違うわよ。普通のホテルよ。きっと密会よ」

「いや、それでも……」

「言っておくけどではそういう行為はできないわよ」

「そうなのか。で、どうする?」

「勿論行くわよ」


 九条が腕まくりのような仕草をした後、ホテルへと向かう。

 ゲームといえど異性とホテルに入るのは気が引ける。


「ほら、行くよ」


 九条が早くと手招きをする。


「わかった」


 花田は九条から少し距離を取ってホテルへ入る。

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