主人公、夢を盗み見られる
――存在を確信してはいたけれど、本当に違う世界ってのはあるものなのねぇ。
目の前にある映像を見ながら、魔女と呼ばれる女はそんな言葉を思って力ない笑みを浮かべた。
●
私はあの夜からずっと、彼の動向を気にかけ続けてきた。
……いやまぁ実際のところを言えば。
その有様は、観察していたとも、監視してたとも表現することができると言えただろうし。
ぶっちゃければそうとしか言えないことは十二分に理解していたけれども。
……だからこそ、魔王の部下が暴走しかけた際に彼への干渉を未然に防ぐこともできたわけで。
要は何が言いたいかといえば、"悪いこと"がそのまま悪果を生じるわけではない、ということにこそあった。
元より善悪とは、そう判断する人間――あるいは集団――にとって都合がいいのか悪いのかという区別の種類でしかないのだから、当然と言えば当然の話だった。
ある結果が生じたとして、それが誰にとっても善と判断されるものはないけれど。
そうであることと同様に、それが誰にとっても悪と判断されるものもない。
それだけの話でもある。
ゆえに。
あの魔王が彼に襲撃を仕掛けるという情報を把握した上で今回は干渉しないことにしたのも、そういう類の話だった。
理由はあげようと思えばいくらでもあげられる。
当然のことながら、もっとも大きな理由は、どう転んだところで私にとっての不都合は生じないと判断したからに他ならないわけだけれど。
そう判断するに至るまでに得た多くの根拠のうち、大きなものはふたつあった。
ひとつめの根拠は、なによりも彼自身が、魔王――ないしそれに相当する誰か――に仕掛けられることを望んでいたようだからだった。
……彼の目的を考えれば、次の相手は社会を二分する誰か以外にいないものね。
おそらく彼は、私が彼を観察し続けていることに気付いている。
それが想像による推察なのか、こちらが観察している気配を感じているがゆえの確信なのかは私にはわからないが。
どちらにせよ、彼の行動理由に私の存在が大きく影響していることに違いはなかった。
もっとも、そう考えた場合には、彼が私に対してどういう類の危惧を抱いているかも想像できるわけで。
……実際に状況の推移を楽しんでいるのだから、当たっているとも言えるのがね。
そんな風に、私個人としては筆舌に尽くしがたい複雑な気分になったりもするけども――そこを考え出すと本題から思考がずれてしまうのでやめておくとして。
話を戻しましょうそうしましょう。
――さて、魔王の行動を見逃す判断をしたふたつめの根拠だけれど。
これも別にもったいぶるようなものではなくて。
単純に、魔王が彼を殺す可能性は非常に低いと判断したからに過ぎなかった。
……ま、ただの行動予測であって外れる可能性もあったけど。
この予想は当たることだろう、という確信めいたものはあった。
なにせ、これでもあれとは長い長い付き合いがあるのだ。
私はあれのひととなりも、これまでどんな考えでもって行動してきたかも知っていた。
……あちらがそれを認めるかどうかも、そのことを好意的に受け取っているかどうかもわからないけどさ。
私からしてみれば、どういう状況が揃えばどんな行動を取るか、という想像が容易に働く相手の一人であったという話でしかなかった。
……そして、それはきっちり当たったというわけよ。
さすが私よね、と思わず小さく笑ってしまったのはここだけの話である。
「……とは言え、笑って見ていられるのもこの辺までだろうけど」
自分に言い聞かせるように思わず口に出た言葉は、推測ではなくただの現実だった。
――魔王は彼を生かす選択をした。
だから見逃した。
彼を生かした上で、あれが彼を御する手段として選択できるものは限られるが――どうやらこれまでの経緯を別の理由で上書きする方法を選択したようで。
――結論から先に言えば、その選択こそが最大の失敗だった。
●
目の前で流れている映像は、あれが彼に見せている幻の内容そのものであった。
そこには、彼がかつて存在していただろう世界が映っていた。
その世界は話でしか聞いたことのない異世界そのものであり、彼が本当に違う存在であることを改めて確信させる根拠にもなった。
彼はそこで、そこに居るのが当たり前というように生活をしていた。
……このままこの幻に捕らえていればいいのに。
そう思ったものの、それが技術的に不可能であることは自分がよく知っていた。
――あれの腕では、彼を永遠に騙し続けることなど出来はしない。
それゆえに、彼の身に死と言う名の不幸がやってくることはわかっていた。
それくらい衝撃的なきっかけでも作ってやらなければ、これまでの経緯を上書きする、なんて真似は出来ないからだった。
そして、ついに、その不幸は彼の身に突然訪れることとなった。
私にはその正体がわからなかったけれど――素早く動き回る大きなものが彼の方へと向かっていったのが見えた。
その大きさから推測できる重量差、周囲の様子からわかる速度差、そこに加えて表面の光沢から想像される人体との硬度差を考えると、なるほど、衝突が成立すれば死は必然だろうと推測できた。
しかし――映像の中でその衝突が発生することはなかった。
「……っ」
その直前に、目の前の映像がその術式ごと破壊されて消え失せたからだった。
魔王がこちらの存在に気付いて覗き見するなと釘を刺した――なんて、何も知らない人間であればそう考えたかもしれないけれど。
……あれに気取られることはありえない。
単なる事実として、魔術の腕において私と魔王は格が異なる。
――もちろん、あれが下で私が上だ。
したがって、魔王に私の術式が砕かれたという可能性はなかった。
――ならば、何があれと私の術を壊したのか。
そんなことはどんな馬鹿にだってわかることだった。
だって、残っているのは一人だけなのだから。
……あの夜を思い出すわね。
今起こったことは、あの夜に起こった出来事と全く同じだった。
異なる点をあえてあげるとすれば、それは、彼に手を出したのがどこにでも居るような輩ではなく魔王であったということと。
……彼が負かした相手を私が助けること、かしら。
確かに彼には安定した今の世の中に刺激を加えることを期待していたわけだけど、流石に魔王を殺すのは刺激なんて言葉では済まされないくらいに影響が大きすぎる。
それに。
確かに私は刺激に飢えていたけれど。
だからと言って、今の、それなりに便利なものも多い状況そのものを根底から崩したいわけでもないし。
なによりも、娯楽のために付き合いの長い顔見知りが死ぬのを放置するようなことが平気で出来るほど、人間味を捨てたつもりもなかったのだ。
……まぁ実際に痛い目見ないとわからないだろうから放置した私が言えたことじゃないけどね。
そこまで考えたところで溜め息を吐いて思考を中断し、
「急ぐとしましょうか」
自分に言い聞かせるようにそう呟いた後で、瀕死になっているだろう長い知り合いの元へと向かうことにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます